- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101356617
作品紹介・あらすじ
日本、百姓、金融…。歴史の中で出会う言葉に、現代の意味を押しつけていませんか。「国名」は誰が決めたのか。「百姓=農民」という誤解。そして、聖なる「金融」が俗なるものへと堕ちた理由。これらの語義を知ったとき、あなたが見慣れた歴史の、日本の、世界の風景が一変する。みんなが知りたかった「本当の日本史」を、中世史の大家が易しく語り直す。日本像を塗り替える名著。
感想・レビュー・書評
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日本語に隠された歴史を読み解く。意外なことがたくさんありました。百姓は農民のみを指すのではない、金融は当初神仏と通じていた、被差別呼称の真実、落とし物の意味、切手の手とは、自由や自然の意味合い、など目から鱗の体験ができました。
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ことばから日本史を探った良書。
網野さんの歴史観は大変面白い。勉強になる。
例えば、日本という国名。日本の国名が決まったのはいつか?正確に答えられる人がいまの日本にどれほどいるだろう。日本という国名が決まったのは、浄御原令(きよみはらりょう)という法令が施行された689年。この時期は同時に藤原京の造営を始めた頃である。それまで「倭」という国名を使い、隋以前の大陸に朝貢していたヤマトの支配層が、このころ朝貢国からの脱却を試み、自らの帝国を作るのだという姿勢を明確に打ち出した。「日本」は当時のヤマトの支配層が中国大陸に対抗意識を燃やし定めた国名であり、大陸から見て東の方向、つまり日出づるところ=「日本」と名を定めたという。
663年の白村江の戦いで、日本は唐・新羅連合軍に百済とともに敗れ、朝鮮半島での地位も失った。しかし、これが契機となり漢語圏からの独立気運が高まり、日本は独自にかな(仮名)文字を発明する。こういった他国に対する劣等意識や敗戦体験などの負のエネルギーが、国のかたちを作るきっかけになる。ここが日本のおもしろさであり、日本史の肝所だろう。
一番おもしろい、興味深いのが「市場」ということば。中世の日本で、市場(いちば)は「市庭」と表記された。相場も「相庭」。これは「庭」という文字は私的関係を超えた特異空間を指す言葉だったという。つまり共同体を超え、物と物を交換する場を示す言葉だった。
人々が市を立てた場所は、みな人間の力を超えた聖なる世界と世俗の世界との境(お寺)であった。お寺は祈るだけでなく、世俗の縁の切れる場所=無縁の場でもある。(そういや縁切り寺というのもあるしねえ・・。)人も物も縁が切れた状態、つまり神仏の世界(聖なる世界)に属し、誰のものでもなくなる。人の力を越えた場所に物を投入することで、人は物を神に委ねる。委ねるがゆえに縁が切れ、切れるがゆえに誰でもないモノになり、交換できる。
ここからお寺がオークション会場や金融の役割も果たすようになる。信仰の中心地が金融セクターも兼ねていたとは驚きでもあるが、おもしろい。最近の金融危機を考えると人間は市場を制御できるのか、という難しい問題に直面するけど、こうした歴史は思考の補助線として役に立つ。
日本史を読み解くなかで、ことばをその時代に使われていた文脈に即して捉え直し、過去を探る。その営みを続ける者を歴史家というのだろう。と、読後の感想。 -
落ちる=世俗との関係が切れて無主物となる。(落書き=匿名投書)
支配=割り当てる、配分する
「募る」が多義的で、「権威を笠にきる」「贖う、充てる」を、同じ「募る」で意味する理由が上手く説明出来ない、云々とあったが(P189)、記載されている用例だと、いづれも、temporary use という語感で統一的な印象。 -
「百姓」「自由」などの言葉の意味を、字面から判断したら見誤る。歴史を見つめる私達の視線は、現代的価値観によって作られたもの。それを常に頭に置いておかなければならない。言葉の奥底に込められた本当の意味を知れば、新しい中世日本が見えてくる。そんな「歴史を考えるヒント」が満載の本。
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「もののけ姫」の着想にも影響した歴史家の、講演をもとに執筆された、晩年の著作。
言葉や字義(の変化)に真摯に向かい合うことで日本史を追求することで見えてくるものの多さ。
そもそも「日本」とは?からはじまり、その「日本」国がどこからどこまでの範囲を規定する言葉だったのか、に唸り、すっかり侮蔑語扱いを受けるようになった「百姓」の指し示す範囲の広さを知る頃には、物語的な政治史や人物の伝記の面白さとは全く異なる歴史学のアプローチにのめり込むに違いない。 -
歴史を考えるヒント
日本史観をまるっきり変えてしまう名作。
まず、日本という国の出自についての話がある。歴史を紐解けば、近代という時代が作り出した、「日本」というゆがんだ見方を相対化することが出来るのだ。そもそも、日本はアジアと不可分のものであり(地理的に見てもわかる)、日本国内で見ても、非常に多様である。関西と関東は異なり、朝廷のある関西という権威に挑戦した平将門を、鎌倉幕府の源流とみなす歴史の見方に、感動を覚えた。歴史の「もしも」として、藤原純友の乱の時期がずれていれば、朝廷が崩壊し、全く違う現在が作られていたと考えると、これまた面白い。
空間のはなしもさながら、身分の話が面白い。百姓=農民ではなく、百姓は普通の人であるということが網野説である。百姓を農民と考えれば、日本の江戸時代は大変な農業国家であるが、百姓が必ずしも農民ではなく、第二次・第三次産業の就業者であると考えれば、江戸時代像はまるっきり変わる。第一次→第二次と産業の発展を見るマルクス主義的な歴史観によって、江戸時代がある種の未開の時代とすることで、明治を神聖化する以前の歴史学の考え方は、網野が強調する江戸時代と明治時代の連続性によって違う見方もできるのである。不可触民の歴史も、商業の歴史も、面白いほど西洋中世史と似ている部分もある。不可触民は、天皇直属の身分であり、必ずしも下位とは言えない。人類学的な境界侵犯の原則によって忌避されているのであろう。商業についてだが、商業以前の時代では、物と物を交換する営みに、縁という考え方があった。これは贈与論のマルセルモースも指摘するものであるが、一種のハウとみなせる。物の持ち主の魂の一部が宿るという考え方である。しかし、商業の俎上に載せられれば、そんなことは言っていられない。交換を活発化するためには、そこは縁のような呪術的なものを停止する必要がある。それが「無縁」である。無縁の空間で初めて、自由闊達な商業取引ができる。そのため、縁をコントロールできる神に近い身分の人々が初期の金融や商業には携わっていたのである。このような無縁空間というかつての日本人のルールは、人類学的に見ても、その他の時代に共通するものを見つけられるのではないか。商業で使われる「切る」や「割る」という動詞の目的語は、縁である。
日本の歴史を紐解く上で、今の考え方を一度括弧に入れて、その時代に流通していた言葉や考え方で歴史を見直す必要があると、筆者は述べている。そのような観点から見た日本史はとても面白いものであった。 -
日本の国名が決まったのはいつか、百姓とは何をする人か、などなど、ちょっとした豆知識が増える本でした。(知識、というよりは筆者の解釈、ですが) お気に入り豆知識→「昔、虹が出た場所に必ず市を立てるという慣習があった。虹はあの世とこの世、天の世界と人間の世界との架け橋であり、その下で交易を行うことによって神を喜ばせなくてはならなかった」
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「日本、百姓、金融…。歴史の中で出会う言葉に、現代の意味を押しつけていませんか。「国名」は誰が決めたのか。「百姓=農民」という誤解。そして、聖なる「金融」が俗なるものへと堕ちた理由。これらの語義を知ったとき、あなたが見慣れた歴史の、日本の、世界の風景が一変する。みんなが知りたかった「本当の日本史」を、中世史の大家が易しく語り直す。日本像を塗り替える名著。」
目次
1 「日本」という国名
2 列島の多様な地域
3 地域名の誕生
4 「普通の人々」の呼称
5 誤解された「百姓」
6 不自由民と職能民
7 被差別民の呼称
8 商業用語について
9 日常用語の中から
10 あとがき
著者等紹介
網野善彦[アミノヨシヒコ]
1928‐2004。山梨県生れ。東京大学文学部卒業。日本常民文化研究所研究員、名古屋大学文学部助教授、神奈川大学短期大学部教授、同大学経済学部特任教授を務めた。専門は日本中世史、日本海民史