- Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101362229
作品紹介・あらすじ
恋人と語らう柏崎の浜辺で、声をかけてきた見知らぬ男。「煙草の火を貸してくれませんか」。この言葉が、〈拉致〉のはじまりだった――。言動・思想の自由を奪われた生活、脱出への希望と挫折、子どもについた大きな嘘……。夢と絆を断たれながらも必死で生き抜いた、北朝鮮での24年間とは。帰国から10年を経て初めて綴られた、迫真の手記。拉致の当日を記した原稿を新たに収録。
感想・レビュー・書評
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なんだろう、この何か挟まった感は。
北に残されている人の事を考えて無難な内容に。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
蓮池氏が本書を刊行した目的は、拉致問題への関心を深めてほしいとの思ひが一番。政府はトランプから金正恩に伝へてもらふのみで自らは何も出来ない。何だか世間が拉致問題を忘れてくれればいい、と思つてゐるのではと勘繰りたくなります。世論も、そんなことより外交・国防だぜ、それからわしらの年金を頼むよ、2000万円なんて無理ぜよ、なんて風潮があるやうに感じます。俺だけか?
1978年7月31日のこと。蓮池薫さんは地元の新潟・柏崎で後に妻となる祐木子さんと会つてゐました。砂浜でデート中に、ある男から「煙草の火を貸してくれませんか」と頼まれ、何の疑ひも抱かぬ蓮池さんはライターを取り出します。その隙に数人の男から殴打され、たちまち拉致されてしまつたのです。
北朝鮮へ有無を言はせず連れて行かれ、その後は長い監視下の生活が続くのであります.........
北朝鮮での24年間を明らかにしたとして、刊行当時から話題になりました。平静を保つてゐた一方で、知らず知らずの間に洗脳させられてゐたのですねえ。兄の蓮池透氏が語つたところによると、薫さんは帰国当初は北の肩を持つ発言が目立つたさうで、洗脳教育の影響だらうと述べてゐました。
本書を一読して、北の様子がかなり詳しくリポートされてゐると存じますが、やはり語れぬ部分もあるでせう。下手をすれば未だ帰国を果たせぬ人たちへ悪影響があるかも知れません。
しかしさういふ点を割り引いても、本書を世に問ふた意義は少なくないでせう。つくづくあの半島には関りたくない喃と勘考する次第であります。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-793.html -
2002年に北朝鮮から帰国した蓮池薫氏が、帰国から10年を経て、初めて北朝鮮で過ごした24年間を綴った手記。2012年に単行本で発行され、2015年に文庫化された。
本書を読み終わって、北朝鮮で過ごした24年と帰国後の10年の蓮池さんの心の葛藤は如何ばかりのものであっただろうかと、心が締め付けられる思いである。
蓮池さんは、「はじめに」で、本書を書き記す決断をするために、
◆何よりも日本に残るという決断が正しかったという確信が必要だった。それには子どもたちが意欲を持って自立の道を歩み出すことが最低条件だった。
◆ほかの拉致被害者たちの帰国を実現するうえで、いったい私がどうすることが適切なのか、つまり私がこのようなものを書くことが問題解決に有益なのかどうかを判断する必要もあった。
◆さらには、私自身が北朝鮮での生活を、むき出しの感情や感傷からだけでなく、一定の距離を置いて冷静に振り返ることのできる、心の余裕も不可欠だった。
といい、そのためには10年が必要だったと語っている。
本書には、蓮池さん自身の心の動き、葛藤についての記述が中心で、その他のことは意外に書かれていない。招待所に住んでいた他の人々のことはもちろん、家族のことですら最小限しか触れられていない。
また、かつて一部の市民運動家たちからは、「生還した拉致被害者はもっと多くのことを知っているはずだ。それを明らかにすべきだ」と非難されたとも言う。
しかし、蓮池さんは、誰に相談することもなく、「ここまでなら明かしていいだろう。これ以上は不味い」ということを、時の経過により変容した部分を含めて判断し、本書を綴っているのであり、その緊張感は並大抵のものではなかろうと、心中を察する。
そして、本書の中心となっている、蓮池さんが、家族が少しでも幸せに生きるためには何が必要かを考え、帰国の夢を断ち切り、我が子に自分たちは在日朝鮮人だと嘘をつき通したことには、言葉も見つからない。
また、北朝鮮の人々にも温かい目を向けているが、それは蓮池さんの心の強さと柔軟さの現れであると思う。
書かれていないことには理由があり、それを想像することを含めて、とても深く重い。
(2015年4月了) -
蓮池さんご夫妻をはじめとして、拉致被害に関しては、とても日本人の乗り越えられる労力・負担・重荷の限界を超えているのではないのかと暗澹たる思いになりました。
この本の内容にしても、これだけではなくて、もっともっといろいろな生々しいご経験が必ずあったはずです。
いろいろな葛藤、お悩みとか。人には言えない事々。
そしてそれらはいま現在も続いておられるはずです。
ですから失礼かもしれませんが、抑えた感じの、あっさりとした書き方の本になってしまったのでしょう。
拉致は、拉致加害関係者たちにとっては、とんでもないことにも、特別なことでも人間としてとても許されないことでもなんでもなくて、当たり前に軽い気持ちで行われ続けてきたそうです。
蓮池さんは、愛国心に関していえば、わたしは拉致されてからどうして日本という国が救いに来てくれないのかという思いがあった、と述べられています。
拉致問題は、日本という国が太古の昔から続いてきてからいま現代までの中でも絶対に乗り越えていかなければならない最重要・最大級の大問題、課題だと痛感しました。
決して、断じて、絶対に拉致なんかを好き放題に行ってきたこと許してはいけません。
何十年、何百年、何千年、何万年かけてでも、地の果て、宇宙の果てまでも追いかけて捕まえて、拉致加害者達を問答無用に厳しく罰し、考えられるかぎりの重い刑罰、罰則で、生命や大金での償いで、人間としての罪の報いを受けさせることこそが、日本人として、人間として、心ある日本人の目指すべき道でしょう。
太古から続いてきた日本が国家として存続していくためにも。 -
『半島へふたたび』より踏み込んだ内容
北朝鮮という国家の不可思議さは
日本というものすらとらえがたいみにとってはこの本だけでは伝わらないが
だからといって事件の解決を支持しないということにはならない
同時代に進行する大きな歴史の一部分として向き合っていかなければならない -
拉致被害者である蓮池さんの手記。
ほかの脱北者や帰国者らの手記と比べると、極めて冷静かつ抑えた調子で書かれているのが特徴だ。
北朝鮮の中で特に隔離されて孤独に生きてきたせいなのか、ご本人の性格なのか、それとも北朝鮮での生活を全ては書けない(書いてはいけない)・・・という想いがあるのか。
内容についてここでは書かないが、少し気になった点がひとつ。
日本で拉致問題が大きな問題になった際、蓮池さんもジェンキンスさん(奥さんが拉致被害者)も「困ったな」と思ったそうだ。もしかしたら帰れるかもしれない、という思いよりも、日本で話題になることによって自分たちの生活がより悪化するのではないか、という心配をしたのだ。実際に蓮池さん家族は住む場所をそれまでよりもさらに人気のない場所に移されたそうだ。
そういう思いを持つほどに北朝鮮での生活は全て「北朝鮮当局のいうがままになるしかない」「北朝鮮が拉致を認めるはずなどない」という「絶望感」が強かったということなのだろう。
同署ではあまり多くは語られていないのだが、拉致被害者たちの感じた凄まじい閉塞感の一端を垣間見ることができる。 -
自分が語る事で、まだ残る拉致被害者が危険な目に遭わぬように…。
どのように拉致されたか。北朝鮮で、日々、どんな生活を送っていたか。どんな待遇を受けたか。そして今、何をやって過ごしているか。赤裸々に語られる。社会人になる前の学生カップルを突如襲った工作員。その日から急激に変わる運命。長い長い時間。受け入れざるを得なかったにせよ、全く。あまりにも。
この本では、北朝鮮が、何故彼らを拉致したのか。国家として、拉致被害者にやらせていた仕事とは何かが全く語られない。この辺が、まだ残る拉致被害者への配慮だろうと、勝手に考える。しかし、外交戦略上、拉致行為に有効性を認めさせてはならない。日本はもっと、武力や警察権でもって、強く解決に乗り出す必要があると思う。しかし、思うが、怖いのは核と非常識な為政者。金正日は、朝鮮の無い地球など不要、爆発してしまえば良いと言っていたらしい。ファシズムと強力な破壊兵器の関係は、非常に悩ましい問題だ。 -
北朝鮮に拉致された蓮池薫さんの自伝。拉致されて北朝鮮で生活していた時の話が描かれている。北朝鮮での生活や実際の北朝鮮の人々の描写など知られざる部分を知ることができる作品。やはり北朝鮮は金日成の頃はまだ良かったがだんだんと生活困窮と体制が崩壊しつつあり今後どうなるのか予断を許さない様に感じると同時にまだ拉致されている横田めぐみさんをはじめとする拉致被害者の方の早い帰国を願わずにはいられない。
北朝鮮のことを知るには読んでおくべき本多と思う。 -
何をどう書いたらいいのか……。
この方がとても頭の良い方であるということと、
いまもってして蓮池さんと同じような人がまだ彼の地にいることを思うと、とても辛いことだと思う。 -
同じ大学・同じ学部で私より一学年後輩。しかも同じ年の春に日本海の海岸近くで車に寝泊まりしながら旅行をしていた。
私だったら、蓮池さんのように冷静でいられたろうか?
早く拉致された全員の帰国を願ってやまない。