あらためて教養とは (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101375519

感想・レビュー・書評

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  • 嫌いな人は嫌いだろうなあ。
    でも私はなぜか、こういう話を聞くのが昔から嫌いではない。
    「人間ならかくあるべし」という言説は時に煙たく、うっとうしい。
    でも、そこにはなにか無下にできないものを感じる。
    ついつい耳を傾けてしまう魅力がある、そんな風に感じる。

    「かくあるべし」というその在り方を、筆者は「規矩」という言葉で表す。
    そしてその「規矩」を作り上げるものこそが「教養」だという。

    本書の巻末には「教養のためにしてはならない百箇条」があげられている。
    ほとんど私には当てはまらない。
    思わず苦笑いしてしまうようなものもある。
    でも否定はしきれない何かがある。
    きっと生涯受け入れることはないにせよ。

    若い世代に向かって、こういう「お節介」なことを言う老人が減った、というのは本書の中で筆者自身が指摘されていることでもあるが、感覚的にも納得できる。

    父は自分の価値観を全く強要しない人だった。
    祖父も95になってまだ健在だが、孫にその生き方を説くようなことはほとんどなかった。
    (正月やお盆の親戚の集まりの中で、それらしいことを酔って喋っていたのを聞いていた記憶はある)

    村上陽一郎氏以外で、この手のことをずけずけ言ってくれるのは養老孟司氏くらいしか思い浮かばない。
    (その点一世代下の内田樹氏は言い方が優しい)

    拒絶反応が出てしまう箇所があるかもしれないが、学ぶことも多い、貴重な(レアな)本だと思う。

  • 大学時代以来の再読。ややコンサバ過ぎるきらいはあるが、現代においても重要なことを書いていると思う。自分の品行を正すためにも定期的に読みたい本。

  • 81 あらためて教養とは 村上陽一郎
    ・リベラルアーツ:三科神の書いた書物を読み説く
    四科神の作品である自然を読み説く
    ・教養:家庭における規矩の習得+リベラルアーツカレッジにおける知的習熟
    ・理科:自然と接する+社会と接する
    ・知的教養主義→戦争→民主主義
    @cpa_1992
    ・教養:正しいと思う方向に向かって自分を作り上げていくこと
    ・知識:自分を作り上げる射程が広がる
    ・自分を作り上げていく素材だと捉えるならば、何事も虚学ではなく実学
    ・専門性:自分が依拠しようとする枠組み→物分かりがよい父と頑固な父とどちらがよいかを選ぶこと

  • 論文執筆のために、タイトルを見て本書を購入してみた。しかし、これは参考文献に載せにくいのかもしれない。とはいえ、今まで読んだ教養に関する書籍で一番腹落ちした本である。それはなぜなのだろうか。ひとえに、教養について、自身の言葉(話し言葉)で自由自在に表現しているからなのかもしれない。

    「規矩」という言葉を本書で初めて知った。教養がないので。規矩とは、「自分ひとりに課したものでありながら、やはり自分の生きる社会との関係の中で、自らと社会との協働関係の中で、見出し、自分に課していくべきもの」という。これを理解できたとすれば本書を読んだ価値があるということだろう。

    教養は、読書や芸術に触れて、自らにある種の「枠をつくる」ことと解した。自分の枠組みを持つことともいっている。終章ではbilden、build、建てるという言葉を挙げ、「自分を建築する」のが「教養」としている。そのとおりだと思う。

  • 祖父から昭和初期の高校生活や大学生活について聞いてきた私にとっては、祖父が教えてくれようとしていた世界を解説してくれたとても勉強になる本です。「教養」とは、自分が生きていくうえでの「枠組」を自ら設定し、それに基づいて自分を律すること、またその「枠組」を常に高めようとすること。という考え方には、非常に共感を覚えます。そして、自分を高めるための道筋が見えてきた本でもあります。今後、何度でも読み返したい本の1つ。

  • 『あらためて教養とは』(村上陽一郎、2009年、新潮文庫)

     「教養」とはなんでしょうか。ただ知識が多くいろいろなことを知っている人のことでしょうか。たぶん違いますね…。これは私見ですが、たぶん、知っている知識が単に多い人は「物知り」でしょう。それをひけらかすのは「蘊蓄(うんちく)」、そのような人は「衒学者(げんがくしゃ)」でしょう。思うに、「教養ある人」とは、機転が利き、ユーモアがあって、知識をうまく組み合わせられるような人ではないでしょうか。

     では、村上氏の言う「教養」とはどのようなものか。筆者は「教養」を「「自分」という人間をきちんと造り上げていくこと」とし、その上で「広い知識や広い経験は決定的に大事な材料」としながらも、「「自分」というものを固定化するのではなく、むしろいつも「開かれて」いて、それを「自分」であると見なす作業」が大事だと筆者は説く。そして、「一生をかけて自分を造り上げていくということにいそしんでいる、邁進し」、「日常、努力している人」が「教養ある人」であるとしています。

     今日の世界では、日々、「知識」は更新され、日を経るごとに古くなっていきます。そのような世界にあって、決して今ある自分自身の「知識」や「経験」を固定化せず、新しい知識や経験を受け入れるために、自分自身を「開かれた」ものとする姿勢。これが「教養ある人」たる姿勢なのではないかと本書を読んで考えました。

    (2009年5月27日)
    (2010年5月1日 大学院生)
    (2010年12月19日 大学院生)

著者プロフィール

1936年東京生まれ。科学史家、科学哲学者。東京大学教養学部卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、同先端科学技術研究センター長、国際基督教大学教養学部教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授。『ペスト大流行』『コロナ後の世界を生きる』(ともに岩波新書)、『科学の現代を問う』(講談社現代新書)、『あらためて教養とは』(新潮文庫)、『人間にとって科学とは何か』(新潮選書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)など著書多数。

「2022年 『「専門家」とは誰か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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