そして二人だけになった―Until Death Do Us Part (新潮文庫)
- 新潮社 (2002年11月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (557ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101394312
感想・レビュー・書評
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はっきり言って、☆は何個でも妥当とは言えない。
本当は評価しない、が正答だろうけど、一応3個くらいの感覚の方が近いので。
以下壮絶なネタバレ。笑
最後にどんでん返しがあり、実はシェルタのようになっているアンカレイジは二つあり、同じシェルタ内にいたように思えた二人は別々の所にいた。
という説明がある。
しかし、さらにどんでん返しがあり、実は本物の勅使河原も、影武者である勅使河原の弟も、偽物の森島有佳も、その姉も一人の人間つまり同一人物で、多重人格者だったということがわかる。
つまり、事件は二つのアンカレイジで同時進行的に行われたのではなく、単に一つのアンカレイジ内で起こった連続殺人で、すべては勅使河原の妄言だったということになる。
しかし、最後のエピローグでは偽物の勅使河原が、兄の勅使河原と森島有佳を(つまり本物の二人を)射殺する描写がある。
これはどういうことだろう。
解釈的には、これも勅使河原の精神世界と捉えるのが妥当だが、どうなのだろう。
僕的にはこの構造はとても好きだ。
森作品で一番。かもしれない。でも、ひっかかる。
この作品は第三者の手記という形になっている。
勅使河原の驚異的な記憶力によって復元された現実のようなものである。
つまり、そこにおこったことが事実だとするとおかしなことがある。
勅使河原と森島有佳は同一人物なのだから、実際アンカレイジに入ったのは六人ではなく五人。当然森島有佳を認識出来るのは勅使河原のみで、あとの四人は認識出来ないはずである。
にも関わらず、作中四人は当たり前のように認識出来ていた。
これも勅使河原の都合の良いように歪められた現実なのだろうか。
だとしたら、すこしアンフェアというか、惜しくはないか。
もし、再読時に四人が森島有佳を認識出来ていないようなことが分かるようなものだったとしたら、
このミステリィは最高の叙述トリックミステリィに成り得たのではないだろうか。
そういう気がしてならない。いや、あくまで気がするだけだが。
でも、この話も勅使河原が本当に多重人格者だった場合だけである。
プロローグとエピローグは第三者の手記ではない、という考えだと、いろいろな考え方が出てくる。
すなわち、本当は多重人格者ではなく、二つのアンカレイジで事件が起こっていたということだ。
どこかの書評でこれは、リドルストーリィ的見方を出来ないのが残念だ。
と書かれていたが、どう読んでもこれはリドルストーリィではないだろうか?
僕にはこれは、単なる(叙述トリックの時点で単なるはおかしいのだが……)叙述トリックに
出来たのにしなかったのではないか、とこれを書いているうちに思った。
つまり、作者の狙いは何が現実で、何が虚構か、幻想かそういったものを曖昧にさせる。曖昧に思わせ、謎を読者に残す。
つまり今の僕はまんまとトリックに引っかかっているわけである。
そしてもう一つの可能性を思いついた。
ただ単に壊したかった。
壊すために造った。勅使河原のように。
真相はどちらなのだろう。
もしくはどちらでもないのか。
久々に長文を打った。笑
読んで分かると思いますがこのような、推敲もしていない勢いでバーーっと書いた文なので、
読みにくいかもしれませんがあしからず。 -
再々々読くらいです。
でも、読むたびに驚きがある。
(私が長期記憶を保持していないからかもだけど)
森博嗣作品の中でも、かなり好きな一作。
A海峡大橋に秘密裡に作られたバブル。
そこに集まった6人の人々。
しかし二人は偽物。
本人の振りをしているだけ。
そこで起こる殺人事件。
一人・・・また一人・・・殺されていく。
疑心暗鬼。
渦巻く謎。
これは・・・そんなミステリでありながら、
なんだかとても美しさも感じる話なんです。
森博嗣作品は多くがそうなんですが。
張りつめられた精神の、
社会に併合するため、深く深く沈み隠された「核」の精神の美しさ。
そういうものを感じさせられます。
再読してみて、
ああ、この部分、こういう精神が、
「彼は実は〇〇であった」
という部分に通ずるものがあると感じました。
そんな僅かな諦めのせいで、僕はとても気楽になった。立派な仕事をする自分、社会との関わりに生き甲斐を見つける自分。そんな幻想から、逃れることができたのだから。僕は、以前よりもずっと陽気に振舞えるようになっていた。毎日が、わりと楽しかった。ただ、もちろんそれは、外面的なことに限られる。僕の本質が変化したわけではない。おそらく、深海魚みたいに、光の届かないところまで潜ってしまっただけのことで、どこかで、ひっそりと、僕の幻想はまだ生きていたかもしれない。
そう、きっとその精神は生きていた。
光の届かないところで、夢を見ていた。
それが、発現した。
そんな一作。 -
森博嗣初読。
物語は、天才科学者とソックリな弟が入れ替わり、また、科学者のアシスタントとそのソックリな妹が入れ替わり、偽物同士とその他4人、合計6人で外部からは完全に密閉されたバルブに閉じこもり、その密室の中で次々と殺人が起こる。果たして誰が殺したのか。
本書は事件のトリックよりも、さらにそれを覆すくらいのトリックがあり、読み終わった後も、正直自分の見解が正しいのか、それとも全く別の顔を持った物語だったのか、イマイチ自信が持てずにいる。
それにしても、読んでる間は夢中になり、次が気になって仕方がなかった。このモヤのかかったような読後でなければ、☆5になったのは間違いない。 -
久しぶりに再読。こんな内容だったっけ?となりながらも読完。オチはやっぱり森ワールド炸裂。森博嗣だな…と思える展開です。いわゆるミステリーとかサスペンスではあり得なくて、時々海外の映画ではあるかな?てオチですね。
森博嗣読みすぎて、あぁなるほどこのパターンねと思うけど、全体通して考えると私はあんまり意味わからないまま読み続けてるなて改めて思った。 -
トリック?と呼んで良いものか、物語の鍵となる部分だけはかろうじて覚えていたものの、細部にいたってはほとんど忘れていたのが現状、という2度目の読書。
ここにいたるまでにすでに15冊の本を書いていたということと、まだデビューから3年ほどしか経っていないということ、そしてこれが90年代に書かれたにもかかわらずその内容がとても前衛的(というか未来を予見したものというべきか)だったことに、軽い目眩を覚えました。
最近の森博嗣作品を読んでいると、やけにスケールがでかいというか、妙に派手なロケーションではありますが、なるほど、そういうことのためかと最後は納得いかせるあたりがさすがです。
ネタバレをせずにどうやってレビューを書けば良いのか悩みますが、衝撃のどんでん返しがやってきます。そこから読み進めていくと、頭の中は必ず、これまで読んできた箇所に意識が飛んでいくはずです。
あれ?え、じゃああそこは、どういうこと?
え?じゃあ、あれは、読んだままじゃなかったっていうこと?
え?え?どういうこと?じゃあ、あれは?どうなってたの?え?もしかして、あれも?
それを確かめるためには、たぶん、読み終えたすぐ後にまた初めから読まないといけないのだとは思うのですが、なにせラストが秀逸すぎて魂の抜けた殻のような状態になってしまうため、しばらく無気力状態に。
読んだ後にどれだけ残り香を残せるかが、名作の分かれ道だと思うのですが、これは名作ルートをまっしぐらです。
そして蛇足ではありますが、森博嗣初心者の方々は、これを読んだ後に水柿助教授シリーズをお読みになられると、森博嗣という方の振り幅の広さを体感なさると楽しいかと思います。
そういえば、昔、森氏のブログか新書のどちらかで「森先生は二重人格なのですか?」との質問に対し、森氏は「失礼な。そんなに森は単純ではありません」とお答えされていて、しびれました。 -
難解で、もやもやしたまま読了。
そして藤田さんの解説で全てを理解出来なくてもいいのかと結論に至った。
完成な密室での殺人事件。
最終的に生き残りは二人だけ。
中盤でその状態になり後半はどのように展開するのかとおもったら、
今までの思い込みを二転三転するような話が次々とでてきて、手が止まらなかった。 -
まずは構成にびっくり。いきなり日記風ですか?
密かに作られたシェルターに閉じ込められてしまった、
そのシェルター製作に関わった数名の人たち。
ワケもわからず一人二人と死者が増えていく様が
日記風に語られていくのも、最後まで読んで納得。
(途中にも、それとなく伏線アリ)
自分が想像していた犯人あるいは結末とは違い、
いい意味で裏切られるでしょう。