- Amazon.co.jp ・本 (468ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101444581
作品紹介・あらすじ
徳川の駿河以東への進撃は、武田の南進によって阻まれた。三方原合戦-家康の前に信玄が立ちはだかる。潰滅的惨敗を喫した家康だったが、天祐ともいうべき信玄の死により再起する。武田勝頼との決戦、長篠合戦において大久保忠世・忠佐兄弟が見せた獅子奮迅の活躍は、信長を驚喜させ、家康の嫡子信康に両雄への憧憬をもたらせた。しかし、運命は極めて残酷な旋回を見せたのだった。
感想・レビュー・書評
-
中巻は主に遠江、駿河への進出と、それに伴う武田家との闘いが描かれている。よくある歴史小説とは異なり、三方ヶ原の戦いにおける徳川家康の倫理的信念と、武田信玄の倫理観に悖る行いというような価値観で描かれている。また、駿河進行に至るまでの過程も、大久保家を主体として描くことで丁寧に描かれていて、他の歴史小説とは異なる視点が示されているところが面白い。上巻以上に内容に引き込まれた。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
家康の三河統一から天正壬午の乱まで描かれる。大久保忠世は出奔中の本多正信の妻に塩や味噌、薪を送り続けた(宮城谷昌光『新三河物語 中』新潮社、2008年、44頁)。NHK大河ドラマ『どうする家康』第5回「瀬名奪還作戦」では大久保忠世が正信を松平元康(後の家康)に紹介した。正信が家康側近として活躍するのは本能寺の変の後で「瀬名奪還作戦」の頃の正信は創作要素が強い。忠世と正信の関係を踏まえて、忠世を紹介者にしたのだろう。
家康は武田信玄を尊敬していたイメージがある。しかし、本書では強さを認めつつも義に反していると軽蔑していた。信玄は同盟国の今川を侵略した。この駿河攻めには義がない。ウクライナを侵略するロシア連邦と同じである。信玄の戦争も完璧ではない。駿河攻めでは今川氏真を取り逃がした。
家康は野戦の名手とのイメージがある。大久保彦左衛門は堅固な城に頼ることに批判的である。「天下万民の敵になった者の城が、難攻不落では、万民が難儀するという考えかたがあります。あえていえば天下を主宰する者は、そういう城を築いてはならぬのです」(330頁以下)。天下人になった後の家康は江戸城や名古屋城など堅固な城を築いた。これはどう評価するだろうか。もっとも天下普請には大名の財力を吐き出させるという目的もあった。
織田信長と今川義元の共通点として冤罪で罰したことを指摘する。「かつて今川義元は風聞だけで家臣を疑い、訟獄などをいっさい聴かず、誅殺をおこなった。無実の者にとって訴えをとりあげてくれる訟庭がなければ、泣き寝入りをするか、処罰されるまえに叛逆するか、ということになろう。いまの信長は、かつての今川義元に似ていないか」(342頁)。本能寺の変を考えると興味深い。 -
宮城谷さんが描く、家康物のサイドストーリーでしょうか。家康を囲む重臣(大久保氏)からの視線で描く三河の新しい物語であります。大久保一族の名前をフォローするのが大変なので(忠員、忠世、忠佐、忠包、忠寄等々)、手元の一覧表を頼りに、読み進めております。もう一つの家康サイドストーリー、風は山河から、とも重なる攻防戦(信玄との戦い等)も描かれ、家康の遠江攻略の物語が立体的となる印象もあります。作者(豊橋、時習館高卒)の郷土愛の感じられる一冊、★四つであります。」
-
2022/12/29読了。今川義元の桶狭間の敗北と死によって家康は悲願の岡崎城に凱旋。しかし、勢力図も尾張の織田信長、甲斐ねな武田信玄の台頭で時代は混沌。特に、三河の家康にとって駿河以東への進撃は、武田の南進によって阻まれた。遂に三方ヶ原の合戦で家康は壊滅的惨敗を喫した。しかし、またまた天佑とも言うべき信玄の死により再起する。続いての武田勝頼との長篠の合戦の勝利。大久保一族の奮迅の働きと活躍は感動。平助も成長し存在感を
だして来る。しかし、一方で信長の威勢ゆえにまたまた家康に試練が…。 -
【作品紹介】
徳川の駿河以東への進撃は、武田の南進によって阻まれた。三方原合戦──家康の前に信玄が立ちはだかる。潰滅的惨敗を喫した家康だったが、天祐ともいうべき信玄の死により再起する。武田勝頼との決戦、長篠合戦において大久保忠世・忠佐兄弟が見せた獅子奮迅の活躍は、信長を驚喜させ、家康の嫡子信康に両雄への憧憬をもたらせた。しかし、運命は極めて残酷な旋回を見せたのだった。
※感想は下巻読了後 -
123
-
徳川家が成長するにつれて、大久保家の立場も徐々に大きくなっていく。この巻でも、大久保家の視点から見た描写は一貫して変わらず、その姿が魅力的に描かれている。
-
978-4-10-144458-1 468p 2011・4・1 ?
-
徳川家康が三河統一し、武田信玄との戦い、遠江攻略、長男の信康自害までを描く。
家康は信康、築山殿を岡崎城におき、あまり構うことはなかった。今川への内通を考慮したのだろうが、父に構われない信康は粗野になり、結局自害することになる。