冷血 (新潮文庫 赤 95C)

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  • Amazon.co.jp ・本 (559ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102095034

感想・レビュー・書評

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  • この本の476ページ以降、2人の殺人犯に関する精神病医の分析が書かれた箇所は、特に私たちの目を開かせ、深いため息をつかせる。

    まずヒコックの分析。
    「知性は平均以上」「思考力はよく組織されて論理的」だが、「あとの結果とか、そのため将来、自分自身や他の人間にどのような不快なことが起こるかといったことを考慮せずに物事を行う傾向のある人間」であり、「挫折感にたいしては、もっと正常な人間ならばがまんしていくところを、がまんすることができず、反社会的な行動に出る以外に、その挫折感を取り除くすべを知らないよう」なタイプ。

    もう一人の殺人犯ペリーの分析。
    「その貧弱な教育的背景を考慮すれば、なかなか広範囲の知識をそなえている」が、「他人が口にする事柄のうちに侮蔑とか侮辱とかいったものを鋭く感じとり、しばしば善意の言葉を曲解」し、「他人にだまされたり、さげすまれたり、劣っているとレッテルを貼られたと感じると、わけもなく激発」し、そして「彼は非常に狭い範囲の友人以外の人たちにたいしては、ほとんどどのような感情も示さず、人間の生命というものにたいしてほんとうの価値をほとんど認めていない」タイプ。

    まさに、日本でもほぼ日常的に報道されている凶悪犯の人物像が、ヒコックとペリーに見事に重なる。それどころか、アイツがそっくりだ、と自分に身近な人間が思い浮かぶはず。

    そして、486ページ以降に出てくる、ある論文に書かれた仮説がさらに裏付ける。
    この論文では、“精神正常者”と“精神異常者”という区分のどちらにも入らないような犯人-「殺人者が一見、合理的で、矛盾がなく、抑制がきいているような人間に思えながら、それでいて、怪奇な、一見、無意味と思われるような殺人行為を犯す」犯人を考察している。

    論文では、それらの犯人は「将来の犠牲者が、ある過去の外傷性形態において中心的人物であると無意識に感知される場合」に(暴発的な殺意が)活性化する、と書いている。
    わかりやすく言うと、殺される人は、殺人犯が悪意を抱くような言動は全くしておらず、悪い点は一つもない。
    しかし、犯人側のトラウマ(幼少時の虐待、両親の不仲など)がある瞬間に蘇えり、その何も罪のない被害者に“偶然”重なってしまった場合、犯人の凶行が噴出するのだという。

    大阪府池田市の事件、秋葉原の事件…日本の犯罪史上でも、私たちは論文の仮説と重なるような事件を容易に思い出すことができる。殺人、裁判、死刑といった、自分の日常から遠いと思っていた問題が、実は自宅の玄関のドアを出たすぐそこに身を隠し、凶器をもって私たちが近づくのを待っているかもしれないという現実… でも、この本を読んでその現実を世間より先に知り得た私たち読者は、少しだけ幸せかもしれない。気休めにもならないけど。(2011/6/4)

  • 真実はどちらだったのかは自白からは確定できなくて、どちらもあの事件を起こす可能性があった。
    だからこそ、結局結果は変わらないのに、「この人ではなく、あいつが犯人だろう」と思ってしまう。
    どんな悪人にもそうなった背景、いわゆる「his story」があるもので、けれど、本当のそれが何なのか、外から見ている他人には分からない。
    もしかすると、本人にも分からなくなっていて、だからこそ、やりきれない思いが拭えない。

  • 2021年 37冊目

    クラター一家の個々人の属性、気質といったこまやかな描写が続いたかと思うと次の瞬間、一家の生命が突然絶たれこれが殺人の恐ろしさかと身がすくむ。細かい描写は被害者だけでなく関係者及び加害者にも及ぶ。遠く離れた国の昔の事件の必然性を感じ取れたのは作者の入念な取材の賜物だろうが、所々冗長に感じる場面があり残念。ノンフィクション「ノベル」は難しい。

  • リアリティ重視の「ノンフィクション・ノベル」。日本の小説だと、島田荘司「秋吉事件」あたりが近いのかな。
    確かに、細かな情景描写や説明は著者の調査の苦労が覗われるが、小説として必要かと言えば、必然性を感じないところに難がある。著者の晩年はアルコールと薬物依存に苦しんだそうですが、この時期の作者の実体験を読みたいと思った。きっと事実は小説を超える作品が出来上がったと思う。

  • とても読みごたえがあった。
    小説としての読者を引き込む構造も秀逸だった。
    調査の手間を惜しんでいないことも、読んでいて感じられる。
    いつまでも古くならない。
    名作だと思う。

    内容としては、様々な焦点の当て方ができるだろう、と思う。
    いくつも心にとまったことがある中で、私は人の親として、ディックの両親の態度に考えるところがあった。
    彼らは甘い。
    「自分たちの息子は悪くない」と思いたいがために、多くのことに目をつむったり、ごまかしたりしている。
    それは、息子のためではなく、自分たちのために。
    自分たちに対する厳しさが少ない。
    私の近所に、手癖の悪い子どもたちが実在するが、そこの両親も同様のことを言う。
    ダメなことを認め、考えさせる。
    その強さが無いのだ。

    人の性格、人格形成。
    そういったものの、複雑さや悲しさ、のようなものを感じる。
    決めつけや偏見をなるべく抑えようとした、カポーティの冷静な視線を感じた。

    2人の強盗を前にしたクラター氏の態度に感銘を受けた。
    なかなか、あのようにはふるまえない。
    本当の紳士であり、素晴らしい人間だと思う。
    心が震える思いがする。
    しかし、その優しさ・誠実さが仇になってしまったか?
    どのような態度で接したところで、殺されてしまう運命だったのか?
    残念なことだ。

  • <天使の反応を、無垢と見るか冷血と見るか?>


    『誕生日の子どもたち』巻末の訳者あとがき(村上春樹)に、こう記されていました。
    〝たとえば『冷血』にしても、破壊されたイノセンスのひとつのかたちとして、翼を奪われ楽園を追放された天使たちの残酷な物語として読みとることができる〟

     どうして気づけなかったのかと恥じながら、『冷血』をあらためてみました。
     最初、こんな本当のことばかり書かれてもどうしようもない、という感想を持った、戦慄の一家惨殺事件の顛末。『冷血』に天使を見つけようなどとは、考えが及ばなかった……★ でも、カポーティの心のなかにはいつも楽園があり、作風は変わっても何らかのかたちでそこを表現しているのを、今度こそ感じたのでした。

     冷血な事件の真犯人は二人。どちらも、自分のやっていることに「人間としては」無自覚でした。
     計画犯ディックは、花びらがあったら、羽根があったら、むしろうかなと思いつく。そして、一つのアイディアがあれば、詐欺でも殺人でも計画を立てるところまでは行きます。
     実行犯ペリーは、誰かが「そこにある羽根をむしろうぜ」と言えば、素直に応じるだけ。自分の行動を人に決定づけてもらうから、わけが分からなくても実行に移せる、だから残虐にだってなれたのです。
     一人は詐欺師、もう一人はチビ。お世辞にも天使のようなどと形容できる面子ではないけれど、見方を変えたらピュアな彼ら★

     ただ、羽根があったらむしってしまう性質だったのでしょう。ふわふわした羽根が綺麗でさわってるうち、引っ張ったらどうなるか確かめたくなってしまった。でも、二人してむしったのは、花びらや羽根、ティッシュのような可愛いものではありませんでした。人の命をむしりとってしまったのです。

     これを無垢と見るか冷血と見るか。世間は後者とみなし、審判が下りました。そんな人間界にはいられなくなって、彼らは去っていったのです。天使追放の話だったとは!

  • 高村薫さんの「冷血」という小説を読んだついでに、カポーティのこの作品を読んでみる。(高村さんの小説は、これが底本になっているようだ)

    アメリカ・カンザス州で実際に起こった殺人事件を題材にしたもので、刑務所で知り合った2人組が地域社会で人望の厚い家族4人を惨殺するという話だが、基本プロットのほか登場人物の性格や立ち位置が高村「冷血」に驚くほどよく反映されていて、並べて読むとかなり面白い。

    ただし、カポーティの本の方は、わずか40ドルを奪うために(犯人たちはもっと大金をつかむつもりだったようだが)それとはまったく釣り合わない凶悪な殺人を犯してしまう、その不均衡・不条理さを描いている。

  • クラター家の殺人事件を、唯一無二の劇的な事件として描いているのではない。その後発生した模倣犯に短く触れながら、センセーショナル性・鮮度が失われていくところも描いているところが、むしろ生々しく現実感を伴う。そこはいい。
    関係ない話だが、生前に三島由紀夫が開高健のベトナム戦争絡みの小説を、止むにやまれず書いているのではなく書きたいことを求めて彼の地へ行っている、と批判していた。本作を読みながらそのエピソードを思い出した。
    個人的な感覚だが、ここにあるのは「書かずにはいられなかった何か」ではなく「書かずにはいられなかった私」なのだろうと思う。

  • 「なで肩の男」の解説で勧められていたので。

    カンザス州の小さな町ホルカムの一家四人が、
    全く見ず知らずの男2人に殺害された事件。

    実際に起きた事件だが、
    膨大な取材内容を選択し感情を移入することによって、
    書かれた「ノンフィクション・ノベル」ということらしい。

    確かに、
    犯人と被害者を巡る人々や出来事の非常に細かい記述が、
    時間と空間を超えて行ったり来たりし、
    それが犯人たちの個性と相まって、
    まるで「作り物」のような印象を与える。

    残酷な事件ではあるが、
    「なで肩の男」のような連続殺人犯でもなく、
    恐怖感はない。
    刑務所内での他の死刑囚たちとの交流にいたっては、
    可笑しささえ感じる。

  • うーん、イマイチだった。結構飛ばし読みした部分も多かった。でもそれ、訳文によるところも大きい。前にクリスティ読んだときも思ったけど、やっぱり30年前くらいの訳って、今より拙いと思う。まあでも、もともとはこれを読んで高評価を得た訳だから、それでもあまり良いと思えなかったのは、原作もそんなに好きじゃないってことかもしらんけど。情景描写とかいろんな人へのインタビューとか、冗長と思えてしまうところが結構あった。ってか、新しい訳で出た別バージョンもあったのね。そっちで読めば、幾分評価は違ったかも。

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