ガラスの動物園 (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102109076

感想・レビュー・書評

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  • 著者テネシー・ウィリアムズの自伝的要素が強い戯曲形式の小説。登場人物は、夫に逃げられた母親、足の障害で引きこもる姉、家出を試みる文学少年の弟、そして後半に出てくる弟の同僚。タイトルの『ガラスの動物園』は、姉が大事にしている動物の形をしたガラス細工から由来している。家族三人とも、現実を直視せず空想の世界に閉じこもっている。そこに異分子である弟の同僚が登場し家族に変化が起きるわけだが、理想を追い求めるだけでなく、まずは目の前の現実の中から幸せを見いだすことの大切さを改めて感じさせられた。

  • 舞台は1930年代の世界恐慌下のアメリカ。哀愁と喪失を抱えながら“狭間の時代”を生きる、ある家族を描いた戯曲作品です。
    過去に何度も舞台や映画で演じられ、多くの人々を魅了してきた本作。2021年末にはれて観劇することになり、まず原作に触れたいと思い手に取りました。

    登場人物はウィングフィールド家――母親のアマンダ、姉のローラ、弟で語り部のトム、後半からトムの友人のジム、の以上4人。
    ローラはハイスクール時代の出来事が原因で何に対しても消極的であり、ひきこもり生活をしています。唯一の趣味は大切にしているガラスの動物のコレクションを手入れすること。アマンダはかつて数多の男性に言い寄られ華やかだった社交場の思い出に浸る反面、自分のもとから去った夫に時折悪態をつきながら、ローラと明日の生活を案じセールス業に勤しみます。トムは密かに夢を抱えながらも家族のため、不満を募らせながら安月給の工場へ勤めに向かいます。それぞれが心に喪失を抱え、満たされない日々を過ごしています。

    アマンダの個性は強烈で、行動思考の発端が“ローラのため”ゆえに、過干渉な母親です。ローラは母親の機嫌を損ねないよう振舞いつつ、その期待に応えられない自分の器量に落ち込み、極度に内向的な性格にさらに拍車をかけています。トムはそんなローラの気持ちを汲みながらアマンダを制することもありますが、そもそもトム自身を受け止めてはもらえず衝突するばかり。
    父親不在のこの家族ははたから見るといびつで、とても不安定な様相です。「もっとこう振る舞えば相手にも伝わるし、事も上手く向かいそうなのに」とつい口出しをしたくなるほど不器用だとも思います。しかしそれぞれ不器用なりに、家族に対して愛を持っている。期待をしては裏切られ、自由を願いながらも責任を果たそうと務め、華やかな世界を横目に閉塞感あふれる我が家で生活を営む。不器用な家族愛のもと、絶妙なバランスでこの家族は成り立っています。
    そんな家族のもとに“青年紳士”であるジムが訪れます。アマンダとトムの密かな思惑、ローラのかつての恋心と、ジムの登場は家族に大きな変化をもたらすことに。

    トムは著者テネシー・ウィリアムズ、ローラは著者の姉、アマンダは著者の母親がモデルです。この作品自体、著者が愛する亡き姉へ捧げたと思われる自叙伝です。
    多くの人はなぜジムのように、そしてガラス細工のペガサスのように自分の長所や特別な光るものに目を向けず、短所ばかりに目がいって身動きが取れなくなるのだろう。家族とは一体どのような集まりだろう。繰り返し考えることになりました。
    物語は読みやすく、展開もシンプルです。しかし登場人物を掘り下げていくと、それぞれに共感できる部分があります。さらに、ラストへ向けての各々の決断には胸が張り裂けそうになりますが、同時に背景を考えるととても理解もできるし、そっと寄り添いたくなります。考えれば考えるほど多くの気づきを与えてくれる作品で、機会あればまた舞台も見に行けたらと思います。

  • 1930年代のアメリカ、
    とある家族の物語。
    普遍的な内容で、
    誰しもが誰かしらに共感するとか…。

    舞台を観に行く前に予習で読んだので
    キャストを思い浮かべながら読んだが、
    キャストがぴったり過ぎて!
    これは舞台が楽しみだ。

  • ほぼ家の中のワンシーンだけで完結する内容なのに、グサッと胸に突き刺さるものがあります。戯曲の形式であるから、室内劇でも感情の動きだけでここまで魂を揺さぶられるんだろうなと見直しました。
    過去の栄光にすがりつく母と、社会に適合できない娘、そして二人を支えるために自分の夢を犠牲にする息子。今にもバラバラに砕け散ってしまいそうな家族の脆さに、悲劇的な美しさを感じてしまいます。
    それでも後味が悪くなくて、ささやかな希望も感じられるところが良いですね。陽の光が当たる道を生きれない人間の苦しみを描いた普遍的な名作だと思います。

  • あの時代のアメリカの雰囲気を濃厚に漂わせつつ、普遍的な家族の物語になっていて、私はトムでもありアマンダでもありローラでもあるなと場面ごと台詞ごとにしんみり考えさせられた。ラストちょっとあっけなかったけど。
    最後20ページくらい残したところで実際の舞台を観劇したんだけども、台詞の記憶も鮮やかだったおかげで、戯曲の表現の繊細さ、役者さんの解釈・表現力の巧みさ、両方を楽しむことができた。戯曲の面白さに目覚めた(と思う)ので、他の作家の作品も読んでみたいけど、いまいち知識がなくて何に手を出せばいいかわからない…

  • 吐き気をもよおすような戯曲だった。

    「ねえ、ローラ、棺桶に入って釘づけになるぐらいならたいして知恵はいらんよね。だけど、そのなかから釘一本動かさずに抜け出すやつなんて、この世にいるだろうか?」

    ガラスの動物たちが出てくると悲しいけど心が安らぐ。

  • おそらく三十年ぶりの再読。豊崎由美さんの「まるでダメ男じゃん!」に出てきて読みたくなり、本棚から(まさに)発掘。紙は変色してるし、字は小っちゃいし(昔の文庫ってほんとに字が小さい。中高年は文庫を読まなかったのか?)読みづらいのなんの。それでもやはり面白くて一気に読んでしまった。

    以前読んだときどう思ったかは、もはや定かではないけれど、まず間違いなくその時とは違う感慨を抱いたのは、ヒロインであるローラの母アマンダについてだ。若かった私にはこのアマンダの心の内はわからなかったと思う。ただ愚かで支配的な母親だとしか思わなかったに違いない。今は、このアマンダの優しさや、報われない善良さが悲しく胸に迫ってくる。痛切なラストも、ローラと同じかそれ以上にアマンダに心を寄せて味わった。

    豊崎さんも書いていたが、まったくこの話には「救い」というものがない。それでいて実に美しい。文句のない名作。

  • ガラスの動物たちに囲まれたローラの儚げで陰鬱な生活と彼女を取り巻く人間の空しさやもろさが淡々と進んでいくようすがすきです。スクリーン、照明、音楽のト書きも斬新で舞台でもみたくなる!

  • 読みながらずっと、舞台に立つ役者に落ちる光とチンダル現象のあの光の道筋を、自分一人しかいない劇場で眺めるような孤独を感じていた。ノスタルジーというよりも、在りし日を振り返った時に得る現在の自分との比較の上での孤独感のようなものがあり、それはこの本が作者の自伝的作品であるという部分によるものだと解説までを読むと納得する。

    はじめにトムはジムという青年紳士はこの劇の中で最もリアリスティックと言うが、その言葉が姉ローラとジムが過ごしたロマンチックな時間の後のシーンに繋がる。
    ジムはローラに対して「インフェリオリティ・コンプレックスだ」と評し、まったく悪気なく残酷にその考えを変えるべきだと言う。ジムは自身も以前はそうだったとも言うが、ジムの中には自身の容姿に対する確固たる自信がある。ジムはローラと踊りキスをするが、そんなジムには婚約者がいる。

    ジムとのやり取りは確かにローラの心を溶かしたし、それはジムの心からの優しさ故なのだけれど、それにしたってジムという人物がもたらしたこの家族への変化というのは残酷なんだよなあ。

    ジムという青年紳士はこの家族(とりわけアマンダとローラ)にとっての夢であり、この閉塞感を覆す待ち望んだ存在であったように思う。それは作者の半生で起こった、姉ローラを取り巻く様々の縮図とも……希望を抱き、散り、トム(作者)は家を捨てるが、姉への感情を捨てきれないでいる。

    作者の姉が現実にロボトミー手術を受けたように、ジムの言葉の数々はロボトミー手術の提案で、ローラが大切にしていたガラス細工のユニコーンの角が折れてしまったのはロボトミー手術そのものを表現しているのだろうか? 分からないや…

    ジムは現実幻想問わず"夢"という存在そのもので、誰よりもずっと輝かしく描かれる。対してこの家族が辿った道というものは、結局のところジムという夢とは触れられそうな距離まで近づきこそすれ、交わることができないままだった。

  • 「角の折れたユニコーン」というメタファーが強烈に印象的でした。
    ユニコーンとは、ローラのことのように思われます。障害ととらえられる特別なものを持っていたローラ。そこにはジムの言う劣等感も含まれるのでしょう。束の間のジムとの交流で普通の姿になり得た。あるいは、作者の実際の姉ローズが手術によって前頭葉を失ったことにも重なります。
    しかし、他の三人も「かつては守られていた大切で特別な何かを失った」という点で、このモチーフに重なります。娘の将来と息子の存在を失ったアマンダ。ローラへの不貞行為により6年前の栄光を完全に失ったジム。自ら立ち去ることで家族を失ったトム。
    ユニコーンの示唆する正解は定かではありません。しかし、角を失ったユニコーンというモチーフは私たちを幻想の世界へといっそう引き込み、本戯曲の要となっています。

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著者プロフィール

1911-1983。アメリカ合衆国ミシシッピ州生まれの劇作家。約60の戯曲と2冊の詩集を出版している。1944年に『ガラスの動物園』がブロードウェイで大成功を収め、1948年には『欲望という名の電車』で、1955年には『熱いトタン屋根の猫』でピューリツァー賞を受賞している。

「2019年 『西洋能 男が死ぬ日 他2篇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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