- Amazon.co.jp ・本 (179ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102118153
感想・レビュー・書評
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繊細で綺麗で、触れたら粉々になってしまいそうな世界観が好きです。
「人は折れてしまうのです、でなければ人間の中の何かが折れてしまうのです。」
「こういうふうにしてしか人は人生を捉えることができないと思います。つまり、すでに上演されて、結末を知っているオペラ・コミックスのようにです。絶望的に期待するわけですーーー」
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サガンのさまざまなインタビューを再編したもの。まとめるにあたってインタビューの質問を本にあわせて書き換え、答えにはサガン自身が手を加えているという。
サガンは1954年、18歳のときに『悲しみよ こんにちは』でデビュー。このインタビュー集は1974年、サガン38歳頃のもの。この時点では小説9編、何本かは映画化され、戯曲も手がけている。離婚が2回、息子がひとり。
若くして作家として成功し、作家というよりは派手な生活などで有名になり、少し落ち着いた頃でしょうか。
お金や自分のイメージに対する無関心さ、恋愛については洒脱な答えを返してますが、文章に手を入れてるだけあってちょっとオシャレすぎる回答も。答えが哲学的すぎるのか、日本語訳があわないのか、わかりにくいところもありました。
作家としては軽く見られがちなサガンですが、プルーストやランボー、サルトルなんかが会話に出てくるあたり、知性を感じるというか、当時のフランス人はこれくらい読んでいて当たり前なんでしょうか。
マスコミによって派手なイメージをつくられたサガンですが、サガン本人もそのイメージに乗っているというか、「派手なイメージにうんざりしてるサガン」を演じているような感じもあります。
サガンが亡くなったのは2004年69歳のとき。晩年は経済的にも困窮し、このインタビューにも出てくるノルマンディーの別荘で過ごしたそうです。
今では『悲しみよ こんにちは』と『ブラームスはお好き』以外、ほとんど絶版。
『ある微笑』とか『熱い恋』とかおもしろいんだけどなあ。
(『ジョゼと虎と魚たち』のジョゼは『一年ののち』に登場。映画では続編の『すばらしい雲』を本屋で探すシーンがありました。)
出会って恋をして別れて以外何も起こらない、そこがサガンの小説のいいところ。
「サガンの小説の中では何も起らない」と言われたサガンの答えがよいです。
「わたしの本の中ではドラマチックな事件が少ないのですが、それは考えてみるとすべてがドラマチックだからです。ある人に出会い、恋愛し、一緒に暮し、その人が自分のすべてとなり、なのに三年のちには心を痛めて別れることになる、ドラマチックですよね。」
以下、引用。
36
誰かと愛し合っているときか、あるいはまったく恋愛していないときしか自由ではないのですもの。それに十七歳のころというのは、とかく片想いばかり積み重ねる年齢ですからね。
67
夜はいつもパリらしくない風みたいなものが吹いているからです
73
わたしの作品にはテーマが二つあります。たしかにいつも同じです、恋愛と孤独。孤独と恋愛という順で言ったほうが正しいかもしれません、主要テーマは孤独のほうですから。
──サガンの小説の中ではあまり何も起らない、と人は言いますが──
わたしの本の中ではドラマチックな事件が少ないのですが、それは考えてみるとすべてがドラマチックだからです。ある人に出会い、恋愛し、一緒に暮し、その人が自分のすべてとなり、なのに三年のちには心を痛めて別れることになる、ドラマチックですよね。
97
──他人の中に自分の姿を求めているのと違いますか?──
鏡なんかは必要ではありません。わたしが他人を見るときはその人を見るためで、その人の瞳の中に自分の映像を見つけるためではありません。
149
わたしは七年以上続いた恋愛はしたことがありません、肉体は七年おきに新しくなると言いますね。恋愛が始まるときはいつもすばらしいものです。途中はもっといいのです。終りのほうは……どっちが先に飽きるかによります。
162
ランボーみたいですね、マルセイユの病院に死にに行くときの……。妹に、僕は死ぬけど君は太陽の下を歩く、と怒り狂って言ったそうです。
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古本屋でたまたま100円で見つけたけれど、そんなの申し訳ないくらい価値のある本。
悲しみよこんにちはを読んでから、こちらのインタビューを読むのはとてもおもしろかった。
とても自分に正直に真っ直ぐ生きている人なんだなぁと。
一番の贅沢は、時間に追われていないこと、時間的に余裕があること、とても納得です。
これはまた読み直したい。 -
サガンって遠い人じゃなかった。今、横にいてもらいたい格好いい人。もっともなことや、そこは違うと思うとかそんな色んなことが彼女をサガンにしていて、憧れる。大好きです。サガン。
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サガンの自伝で読んだのは19~20ぐらいの時で高校の時からずっとサガンにハマってた。
内容にナチ党員だった女性を聴衆の前で丸坊主にする事をサガンの母親が激しく批判するのが印象的。
「あなた方のやっている事はナチスとおなじですよ!」 -
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強くなろうと思った
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サガンの15作目。
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かういふインタビューのものは、ひととなりといふものがよくみえてくるものだと思ふ。
サガンはそのきらびやかな生活スタイルから、派手好きで蓮っ葉なひとと思はれてきたことかと思ふ。けれど、作品の中から漂つてくるものは、どこかさういう消えゆくものへのさびしさであつたりとか、哀しみのもののやうな気がして仕方がなかつた。だからこそ、彼女は惜しみなく消えゆく存在を惜しみ、愛することができるのである。
インタビューの面白さは、本人を前にして気になることを単刀直入に聞くことができるところにある。彼女が何をして、その時何を考へ、今思ひ返してどうか。ひとの行動にはひとの心が映るものでなければをかしい。形には中身が伴ふ。演じるとは、中身に形をもたせることだ。彼女は年を経るにつれてさう気付いた。さういつた成長もみられる。
さうして彼女の変らない姿が目に耳に心に焼きつくのだ。彼女の作品が変らないのではなく、形とともに変わつていくから、彼女の存在が生き続けるのだ。
彼女がモラルといふものをこれでもかと毛嫌ひするのは、それが中身のない形を与へられるからに他ならない。モラルといふものは与へられるものでは決してなく、はじめからもつているといふのに、何を今さら。さういうものならわたしはいらない。といつて捨てただけのことである。自分の存在をどこまでも愛せるから、他人を本気で愛せる。
彼女の求める十歳とは、さうやつて生まれたのだと思ふ。アンチエイジングではなく、生きることへの惜しみない喜び。生きて変り続け、そして変らないこと。永遠とは、終り、はじまり続ける営み。