作品紹介・あらすじ
祖父・樺山資紀の思い出から、昭和天皇も遊びに来た富士の別荘のこと、幼い頃から夢中になった能や歌舞伎の名舞台、十四歳でのアメリカ留学、白洲次郎との結婚とヨーロッパへの新婚旅行、小林秀雄や河上徹太郎との交流…興味つきないエピソードの連続でぐいぐい読ませる、"韋駄天お正"待望の自伝。
感想・レビュー・書評
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とかく前後の見境もなく飛び出すのが薩摩隼人の習性で、小規模とは言え血で血を洗う争に発展したのは、西南戦争の場合と同じである。
人間が人間に伝えられるのはほんのわずかのことで、何事でも持得する以外に極意に達する道は無い。だから型は単純であればあるほど理想的なのではないかと私は思っている。
その辺から財テクのために美術品を集めることが始まったので、それに比べたら昔の収集家は純粋だった。
客が純粋なら、骨董屋もイキに感ずると言うわけで、そうして互いに人間も磨き上げて行ったのだ。なんといってもそこには数百年の伝統を持つ茶道が中心をなしていたからで、茶道は堕落しようともものは残って今も生き生きとした利休の精神を伝えている。
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名前だけは知っていた。白洲次郎の嫁というだけ波瀾万丈
著者プロフィール
1910(明治43)年、東京生れ。実家は薩摩出身の樺山伯爵家。学習院女子部初等科卒業後、渡米。ハートリッジ・スクールを卒業して帰国。翌1929年、白洲次郎と結婚。1964年『能面』で、1972年『かくれ里』で、読売文学賞を受賞。他に『お能の見方』『明恵上人』『近江山河抄』『十一面観音巡礼』『西行』『いまなぜ青山二郎なのか』『白洲正子自伝』など多数の著作がある。
「2018年 『たしなみについて』 で使われていた紹介文から引用しています。」
白洲正子の作品