須賀敦子を読む

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103149316

作品紹介・あらすじ

十代での受洗、渡ったミラノでの結婚、そして故郷夙川の家族たち-。日本とイタリアを往還し、紡ぎ出された厳しくも温かな人間ドラマに、世の読書人は目を見張った。彼女の作品はなぜこれほどまでに深く人の心を打つのか?元担当編集者の著者がその主著5冊の精読を重ね、須賀敦子作品の真の魅力を描いた、初めての、本格的須賀敦子論。

感想・レビュー・書評

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  • 私は昨年の2月から一か月間で、須賀敦子さんの生前刊行された5冊のエッセイを読みました。
    その後彼女に関する本や亡くなってから刊行された本を数冊読み、昨年末から今年初めにかけて5冊のエッセイを再読しました。

    ですからこの湯川豊さんによる須賀敦子論、読みながらその話の内容をはっきり思い出すし、彼の解説もすごく納得しました。とても面白かったです。

    その前にも追悼特集の高学歴文化人のみなさんによる須賀敦子論で、彼女の作品の面白さや彼女の魅力を再体験することができました。
    ですからここでは私オリジナルの、言ってみればレベルのひくいレビューを書きます。

    私が彼女に惹かれる理由のひとつ。
    彼女の幼いころや独身のころに自分が重なります。
    そして彼女のおかあさんと私の母。

    彼女のお父さんは慶応大学を中退し、家業を継ぎます。でもイマイチ気分がのらない。
    ということで、修行あるいは啓発のために、10か月間の世界一周実業視察団体旅行に行かせてもらうのです。二・二六事件の年に、妻と幼い3人の子をおいて!

    その父は彼女が20歳ぐらいの時に愛人をつくり、家に帰らなくなる。
    聖心女子大の学生だった敦子さんがとりもって二人を元にもどさせます。

    私の個人的印象としてはお母さんは愚痴っぽく面倒な人。
    敦子さんは大学院時代の友達と「一生独身でいよう」と言ったことがあるそうで親を見てあまり結婚したいと思わなかったかも?そしてひとりヨーロッパに行ったのは親から離れたかったのではないかしら?
    全集第八巻にある彼女からおかあさんへの手紙を読むと、「うまくやっているから心配しないで」風なようすが感じられます。

    敦子さんが船でいってしまったとき、おかあさんが泣いているのを見て妹さんは胸をつかれたそうですが、「早いもの勝ちだな」と思った私。


    須賀敦子さんに惹かれるもうひとつの理由、彼女がであってきたたくさんの人について、50代半ば過ぎて書いているのですが、彼女がすべての人に対して肯定的だと感じられることです。
    じぶんは親に「こうあるべき」と強いられて、けなされてきて、自己肯定感が低いように思う。
    でも須賀敦子さんのエッセイを読むと、世の中にはいろいろな人がいて、様々な考え、生き方があっていいんだと思えます。

    須賀敦子さんはたくさんの本を読んで、いろいろな人と出会い、いろいろな経験をしてきたからなのだと思います。
    だから彼女の本を読んで私は自分のことも個性的なひとりの人間として認められるし、他人とうまくいかなかったことも良い経験ととらえられるし、これからも前向きに生きていけるように思えるのです。

  • 今、集中して読んでいる須賀敦子さんに関する本。
    どうして私が須賀敦子さんの文章に惹かれたのか、すっきりとした文章で解説してくれます。
    時折難しい単語があり辞書を引きましたが、読みが難しい熟語もあり、ちょっと苦戦しました。
    著者や作品の背景を知ることが出来ると、改めて作品を読み返したくなります。
    須賀敦子さんを読む良い手助けになる本。

  • 2021年1月期の展示本です。
    最新の所在はOPACを確認してください。

    TEA-OPACへのリンクはこちら↓
    https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00330465

  • 須賀さんのエッセイは、
    読んでいると時々、小説を読んでいるような感覚におちいる。

    この本の著者は、須賀さんの第2作『コルシカ書店』を担当した編集者。
    本作りの裏側を描くのではなく、
    あくまでも須賀さんの文体について、深く読み込んでいる。

    須賀さんの言葉
    「書くという私にとって息をするのと同じくらい大切なこと」

    湯川さんの言葉
    「結局のところ作家は文章のなかにしかいない」
    「『文は人なり』というけれど、ある意味では『文は人以上』なのである」

    著者の須賀さんへの敬愛の念が心に沁みるいい本だ。
    また須賀さんの作品をじっくりと読みたくなる。

  • 須賀敦子のどこが魅力かをあらためて探る【赤松正雄の読書録ブログ】

     気がついてみたら、ほとんどこの人の作品を読んでしまっている。彼女が亡くなって10年。最近では、いわゆるガイドブックの類いまで読んでいるから、我ながらその入れ込み方は尋常ではないと思う。この度も、極め付きの案内書を一気に読み、いま余韻に浸っている。湯川豊『須賀敦子を読む』である。

     須賀敦子さんのものを読むようになったのは、かれこれ10年前、その死の直後くらいからだ。湯川さんと言う人は、かつて編集人として須賀さんを担当。いまは、大学教授。たまたま9日の聖教新聞の文化欄に、「須賀敦子を読み解く」とのタイトルで、著者インタビューが掲載されていた。そこでは、「エッセーという枠組みの中で、ヨーロッパの小説技法を徹底的に使いこなしている」ことが、須賀敦子の魅力の中核にあるというのだが、あまり意識したことはない。

     ミラノ、コルシア、ヴェネツィア、トリエステ、ユルスナールと地名が冠せられた五冊のエッセイ集。これらのひとつひとつを溶き解いてくれ、余すところがない。「須賀のエッセイは、人や事物、あるいは本の世界を語るときでも、具体的な物語をつくっていて、抽象的な思索に傾くのを拒んでいる」との指摘がなされる。そのあとで、同じように異国体験をエッセイで表現した森有正のものが「きまじめな人生論に傾いてゆく気配を示した」のと対蹠的との捉え方が提示されており、興味深い。

     須賀敦子の魅力を私はどう感じて今まで読んできたのだろうか。カトリック信仰者としての実践活動と、「書くという私にとって息をするのとおなじくらい大切なこと」との両立を意識して、未完のままに終わった「アルザスの曲がりくねった道」のくだりがヒントを与えてくれた。「文学と宗教は、ふたつの離れた世界だ」が、「もしかしたら私という泥のなかには、信仰が、古いハスのタネのようにひそんでいるかもしれない」と須賀敦子は晩年に書いた。いままでの仕事はゴミみたいなもんだから」と、死の直前に語ったという彼女の言葉が紹介されている。恐らくは「信仰と文学」を初めての小説という形態で表現しようとしたものと思われる。こうした確かなる信仰に裏付けられた、一途なまでの書くことへの執念こそ、私が感じてきた魅力に違いない。この解説を持ってひとまずは私の「須賀敦子読書行」も区切りにしたい。

  • (2009.12.22読了)
    須賀敦子の文章を読むとその文章の不思議な魔力に魅せられ、たちまちにその虜になり、ファンになってしまう。僕もその一人です。
    この本の著者は、文芸春秋に勤めていたときに編集者の特権を活かし、須賀さんに会い、「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」の出版を担当した。何ともうらやましい限りです。僕が須賀さんの本を読んだのは、2003年ですので、すでに須賀さんは、あの世に旅立った後でした。何とも残念なことです。でも、著作は残りました。
    まだすべてを読んだわけではないので、まだ新しい話が聞けます。

    この本では須賀さんが生きている間に出版した5冊の本「コルシア書店の仲間たち」「ミラノ 霧の風景」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」と書きかけの「アルザスの曲がりくねった道」を読みながら、そこに何が書かれているのか、何を書こうとしたのか、何が書かれなかったのか、どのような表現方法をとっているのか、等、が書かれています。
    須賀さんの著作を読むだけではわからないことが書いてあります。興味深く読めました。

    ●コルシア書店(11頁)
    「生きるエネルギーの大半」を注いでいたというコルシア書店の活動に、須賀敦子自身がどうかかわっていたのかについて、この本ではほとんど語られていない
    コルシア書店が「それ自体の歴史と思想」を持つという、その歴史と思想もまた明確に書かれているわけではない
    ●ナタリア・ギンズブルグ「ある家族の会話」(19頁)
    自分の言葉を、文体として練り上げる。無名の家族の一人ひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている。
    これは須賀敦子のエッセイの手法そのものではないか。
    ●「コルシア書店の仲間たち」(42頁)
    一つの時代の、仲間たちとの日々をほとんど現在形で再現し、そうすることで須賀はその日々をもう一度生き直した。書き終えたちょうどそのときに、主人公ともいえるダヴィデ神父の死の知らせを受ける。
    ●須賀さんの文章の特徴(56頁)
    一つは、文章の息が長く、ゆったりしていることだ。寄せては返す波のような呼吸がある。
    二つ目の特徴は、カタカナの多用ということである。これは望んでそうすることではなく、西洋の人や物を語る対象にした場合には誰にも避けられないことだ。
    私たちは須賀の文章の気品と優雅がカタカナに妨げられているとはほとんど感じない。
    ●「ヴェネツィアの宿」(73頁)
    「ヴェネツィアの宿」は、雑誌『文學界』に1992年9月号から93年8月号まで1年間にわたって連載された。そして連載時のタイトルは「古い地図帳」だった。
    古い地図帳と言うのは、父親が死の間際まで見ていた「戦後すぐにイギリスで出版された」地図帳のことだった。
    父親のこと、そして父親と自分との関係を書くことがテーマとしてあった。
    ●パリ留学(94頁)
    ヨーロッパに来たのは、文学の勉強をするためだけではないはずだった。戦後の混乱の中で両親の反対をおして選びとったキリスト教を、自分のこれからの人生の中でどのように位置づけるのか、また、ヨーロッパの女性が社会とどのようにかかわって生きるのか、学問以外にも知りたいことが山のようにあった。
    ●傘(130頁)
    イタリアでは、学生を含めて、生活がぎりぎりという階級の男たちは傘を持っていない。
    ●貧困(153頁)
    私は「トリエステの坂道」の家族の肖像の中に、貧困に対してたじろがない、また貧困を観念的に論じようとしない須賀敦子を見た。そのような姿勢は、須賀が長い時間をかけて身につけたものであり、おそらくは須賀の信仰に深いところでかかわっている。
    ●須賀さんのエッセイ(161頁)
    須賀のエッセイは、内に「小説」を秘めているとも言うべき、きわめて独創的な作品である。
    ●影響を受けた作家(182頁)
    ナタリア・ギンズブルグ、プルースト、ユルスナール、シモーヌ・ヴェイユ

    ☆須賀敦子の本(既読)
    「ミラノ 霧の風景」須賀敦子著、白水Uブックス、1994.09.30
    「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子著、文芸春秋、1992.04.30
    「ヴェネツィアの宿」須賀敦子著、文春文庫、1998.08.10
    「トリエステの坂道」須賀敦子著、新潮文庫、1998.09.01
    「ユルスナールの靴」須賀敦子著、河出文庫、1998.10.02
    「遠い朝の本たち」須賀敦子著、ちくま文庫、2001.03.07
    「地図のない道」須賀敦子著、新潮文庫、2002.08.01
    著者 湯川 豊
    1938年、新潟市生まれ
    1964年、慶応義塾大学文学部卒業
    1964年、文藝春秋に入社
    「文學界」編集長、同社取締役などを経て、
    京都造形芸術大学教授
    (2009年12月23日・記)

  • ふとしたきっかけで出会った須賀敦子という人、作家の作品について語られた本。少ない著作全てを読んで多いに感慨を得たあとしばらくたってこういう本を読むと、また読みたくなる。彼女が語らなかったこと、語らずにいたことについて、編集者として彼女と共に仕事をした経験のある著者が、少しだけ踏み込んで考察している。

  • 感想は文庫版に。

    -----[2009.5.25 未読リストアップ時のコメント]-----

    本屋さんで白水Uブックスの棚からすっと目線を下ろすと…こんな本が!書店員さん、この配置はグッジョブ(笑)。

    奥付が「2009.5.25初版」となっていましたので、棚に並びたてのところに遭遇したようです。帯によれば、須賀作品5つの評論らしいのですが…本文を開くとレジ直行なので、そっと棚へ戻しました。後日のお楽しみです。

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著者プロフィール

1938年新潟県生まれ。慶應大学文学部卒業後、文藝春秋に入社。「文學界」編集長、同社取締役を経て、東海大学教授、京都造形芸術大学教授を歴任。『須賀敦子を読む』で読売文学賞を受賞。著書、編著多数。

「2019年 『大岡昇平の時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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