したくないことはしない

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103185314

作品紹介・あらすじ

百年前に生まれた、日本一POPな男。外国に行ったこともないのにニューヨーカーみたいで、貧乏なのにお洒落、若者を夢中にさせた老人-。J.J氏の知られざる前半生を、名編集者が明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 傍に居た人だからこそ語れた伝記。なによりも、文章が気持ちが良い。「ファンキーじいさん」植草甚一のヒヤヒヤしてしまうような言動を暖かく見守り、しょうがない人だなと私たちと共に呆れ、でも突き放さない。植草甚一を闇雲に聖人君子にしないその姿勢に、私は他でもない著者の知性と温厚さを見出してしまう。津野海太郎、なかなか侮れない書き手と見た。社会学や文学の視点から見ればこの伝記は薄いかもしれないが、研究書にはないそうした温もりが本書をブリリアントなものにしていると思う。エゴを押し出さない編集者の書物は気持ち良く読める

  • 僕が植草甚一を知ったのは、この本の中にも出てくる『平凡パンチ』だったように記憶している。柳生弦一郎のイラストも見たような気がするからきっとそうだ。本で埋まったような家の中で、氷を入れて使うようになっていた昔の冷蔵庫を改造してターンテーブルを載せたプレーヤーでジャズを聴いたり、外国のカタログ雑誌のイラストを切り抜いてコラージュを作ったりする小柄な老人。LPのライナーノーツも書けば、ミステリーの書評もする、散歩と買い物の達人。僕に限らず、当時の若者は、そのいかにも自由で洒落たライフスタイルに憧れを感じていたものだ。

    爆発的な人気で、突然若者たちに教祖扱いをされるようになった植草甚一だが、この「ふしぎな老人」は、はじめから「ふしぎな老人」だったわけではない。どんなふうにして僕らが知っている植草甚一がこの世に現れることになったのか。彼が亡くなって、今年は没後三十年になるという。編集者として、植草甚一と様々な仕事をともにしてきた著者が、自身もよくは知らなかった少年時代から青年時代にかけての植草を、多くの資料や友人知人の証言をもとに構成した、これは「傑作」評伝である。

    そういうと、なんだか偉人伝でも読まされるような気がするかもしれないが、それはちがう。むしろ、一見すると言葉は悪いが「贔屓の引きたおし」のような作業に近い。なにしろ、この本の眼目は、植草甚一の抱く「コンプレックス」の解明にあるからだ。あの好き放題に生きたエピキュリアンのどこにコンプレックスが、と思うのも当然だが、この言葉は自伝の冒頭に出てくる。

    植草甚一のコンプレックス、その第一は、没落した商家の跡取り息子としての「下町コンプレックス」である。日本橋小網町生まれで、実家は「松甚」という太物商。父の代に関東大震災で焼尽し、その後落ち目になる。自身は、商業学校に進み学年で一番の成績を取るも、一高を受験し、失敗。それも、コンプレックスになっている。

    植草の著書に『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』というのがある。この「勉強」がキーワードである。植草少年は、勉強中毒だった。学校から帰ってくると机に張り付いていたという。習ったことはその日のうちに暗記しなくてはならず、寝る前に「神様一番をとらせてください」と呟いていたというから生なかではない。一つのことにのめり込む性格は、ジャズの勉強のため一年で600時間はレコードを聴いたという後の植草の姿にそのままつながる。

    古本へののめり込みも同じで、タクシー二台を準備し、一台には自分が、もう一台には買った本を乗せて帰ったという伝説さえある。あれだけ売れていたのに、持ち家は最後の数年だけの年中借家暮らし。ほしいものがあれば、我慢できずに突っ走ってしまう、甘やかされた我が儘な坊ちゃんが大きくなったような人だというのが夫人の亭主評。

    ずいぶん前に読んだので、誰が書いたどんな本だったかは忘れてしまっていたのだけれど、この本を読んで、その中に出てきた植草甚一自身の言葉を思いだした。たしか、「そのころの僕は、ヤなやつだったのですよ」というものだ。その本の著者は、その言葉を額面通りには受けとめていない書きぶりだったが、この評伝を読むかぎり、話はどうやら本当だったようだ。

    津野は、編集者として植草甚一と十三年間つきあった。その当時は、すでに売れっ子になっていて、おだやかな老紳士然としていたようだが、同じ映画評論家で、長年の友人淀川長治の話によると、植草甚一を嫌う人は少なくなかったようだ。人の好き嫌いが激しく、嫌いな人とは話したくもない。飲み会で一人はぐれ、座布団の下の畳をむしっている姿を淀川に目撃されている。突然怒り出したり、テーブルをひっくり返したり、今でいうキレることも多かったらしい。

    当時、淀川や植草のような映画会社の宣伝マン出身というのは映画批評家としては一段落ちる存在と見られていた。それも鬱屈の原因の一つだが、その映画にしても、「イメージのつながり」を重視する見方で見るから筋の面白さは二の次になる。趣味が前衛的で先走っているので、批評する映画が一般ウケしないのだ。本にしても誰よりも早く外国の小説を読み、その面白いところを書くのだが、周囲の誰もその面白さを分かってくれない。そんな中で、早いうちから「植草甚一とは何か。それは小説の読者である」と、本人の素質を見抜いていたのが、あの丸谷才一である。

    二度目の病気入院で、太っていた体がすっかり痩せ、あの白い顎髭に今風のファッションで決め込んだ植草甚一スタイルが身についた。少年時代のコンプレックスから生まれた勉強中毒や、かつては銀座をしのぐ盛り場であった日本橋育ちらしい買い物道楽を武器に、大活躍する晩年のことは皆さんご承知のことだからあっさりと書いている。

    生い立ちの似ていることもあり、仲のよかった淀川長治の植草評はいちいち胸に迫る。その他、水練(なつかしい!)に行った先で買った大福を売る和菓子屋が小林信彦の生家だったとか、書店で先に見つけたグレアム・グリーンの新着原書を請われて譲ったのが若き日の丸谷才一だったとか、植草をめぐる人々の作るネットワークが、大震災や東宝争議等当時の日本の状況を浮かび上がらせ、単なる評伝に終わらせていないところが、名編集者たる津野の腕の見せ所である。著者独特の話し言葉のまじった文体は実に読みやすい。植草甚一に影響を受けたかつての若者、それに最近植草を知った若者、どちらにもお薦めの一冊。

  • 「したくないことはしない」と思いながらも、なかなかそうもいかないの現実。それを可能にするのも、才能のひとつですね。

  • 2010/10/11購入

  • 装丁と著者とタイトルからすると晶文社の本のようだが、よく見ると新潮社の本。津野海太郎の編んだ本、あるいは書いた本は、好きなのがいろいろある。

    植草甚一のことは、いつどこで知ったのか忘れたが、「アホほど本を買う人」というのが私の認識であった。私も昔はアホみたいに本を買っていたことがあるが、そんなのは鼻くそみたいなもので、植草甚一の買いっぷりは桁が1つか2つ違う。そのことをだれかの本で読んだことがある(だれの本やったか忘れた)。

    本を買うのは楽しいけれど、嵩の張るものなので、「植草さん、そんだけの本をいったいどうしてたんですか!!!」と私はずっと思っていた。この本を読んで、妻の梅子さんの言葉に(ああそうか、そらそうよな)と思った。

    ▼なにしろ人間の住む家じゃありません。本の住む家でしたよ、ずっと。(p.269)

    しかもヤマで買ってくるのが汚い本ばっかり。「古本屋の店先に50銭均一、1円均一というヤマがあるでしょ、あれを出かけるたびにまとめて買ってくるんですから」(p.269)というような買い方である。それだけの購買力があるならカネモチかというと、この浪費癖のためにずーっとビンボウで、買い物資金の調達には苦心していたそうである。

    植草甚一の、コラージュという生き方の話が私にはおもしろかった。

    コラージュとは、「すでにあるなにかとなにかを組み合わせて、べつの新しい意味をつくりだす作業」(p.136)。津野は、「植草甚一の生活のどこをとっても、ありふれた大量生産品をこまめな手作業によって再構成しているかれのすがたが発見できる」(p.138)と書いている。

    雑誌も新聞も、すぐ破って、切り抜く。そうやって集めた記事のうち、とくに興味を感じたものはテーマごとにバインダーにまとめ、あるていど集まったところで、それを使って原稿を書くのが植草流。

    ▼ようするに植草さんの読書や原稿執筆の方法は、それ自体がコラージュだった。知的生産のための効率的な情報処理技術などではない。その反対。ただの遊びである。
     ──そんなことをしてるヒマがあったら原稿を書いてくださいよ。
     かたわらで編集者がいくらそう懇願してもだめ。なにかとなにかを組み合わせて新しい意味をつくりだす。その遊びの全過程を植草さんは手を抜くことなく楽しんだ。「できあがると、本当にいい気持になった」というわけだ。
     ──ささいなもの、決して芸術ではないものをこそ楽しもうではないか。
     植草甚一の生活のいたるところにこれとおなじ小さな快楽への意思が発見できる。それをささえるのがかれの年季を積んだコラージュ技法だった。(p.140)

    植草甚一にも興味はあるが、妻となった梅子さんにどなたかが(植草甚一の死後)インタビューしてるらしいので、それを読んでみたいな~と思う。(『エスクァイア日本版』の1989年9月号の"植草甚一特集号"に入っている植草梅子「知り合ったときから子供ほどの常識もありませんでした」…)

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著者プロフィール

1938年、福岡県生まれ。評論家・元編集者。早稲田大学文学部を卒業後、演劇と出版の両分野で活動。劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長、和光大学教授・図書館長などを歴任する。植草甚一やリチャード・ブローティガンらの著作の刊行、雑誌『ワンダーランド』やミニコミ『水牛』『水牛通信』への参加、本とコンピュータ文化の関係性の模索など、編集者として多くの功績を残す。2003年『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』で新田次郎文学賞、09年『ジェローム・ロビンスが死んだ』で芸術選奨文部科学大臣賞、20年『最後の読書』で読売文学賞を受賞。他の著書に、『したくないことはしない 植草甚一の青春』『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』、『百歳までの読書術』、『読書と日本人』など。

「2022年 『編集の提案』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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