- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103185338
作品紹介・あらすじ
老人になってしみじみわかる。これぞ本当の読書の醍醐味! ついに齢八十。目は弱り、記憶力はおとろえ、本の読み方・読みたい本も違ってきた。硬い本はもう読めないよ、とぼやきつつ先人たちのことばに好奇心をかきたてられる。鶴見俊輔、幸田文、山田稔、天皇と皇后、メイ・サートン、紀田順一郎、吉野源三郎、伊藤比呂美……。筋金入りの読書家による、滋味あふれる読書案内。
感想・レビュー・書評
-
晶文社という本屋さんがベンヤミンやブローティガンをだして、一方で植草甚一の驚異的な世界が新書風のシリーズで人をくうというか、あわあわというか、そういう体験を若い世代にさせた編集者が津野海太郎。1970年代か80年代のことでした。
その彼の最後の読書の記録なのですが、どうしてこんなに好みが合うのだろうと思いながら、そりゃあそうだ、この人に導かれて本が好きになったのだからというのは60代後半の老人に共通しているかもしれませんね。
ブログにも書きました。読んでいただければ嬉しい。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202007130000/詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
それがどれだけ近いか遠いかは判然としないものの,
もはや先の見えている私にとって老人と本との関わりは非常なる関心事である.
そういう意味ではこの本は面白い.
トーマスマンが老いに抵抗する姿も美しく,悲しいが,
この本で一番感心したのは須賀敦子に関する最後の章.
「蟻の街のマリア」や「鉄道員」などの映画も絡めながら,須賀の軌跡への共感と愛を感じる一文であった. -
著者は1938年生まれとのこと。今2020年では82歳か。その年まで読書を続けられるといいな。
-
なんだか寂しくなってしまうタイトルですが、中身は一周回って前向きです。本を一生読み続けてきた鶴見俊輔や須賀敦子やトーマス・マンや入矢義高や、なにより著者自身はどのように晩年本に向き合った(ている)のか。その人のそれまでの生き方が、晩年の読書スタイルにも反映されるのですね。
-
著者の本は以前読んだことがある。読書に関する軽妙なエッセイで、とても面白かった。この本も似たようなエッセイだが、前著から時間が経って老後の読書の問題を色々取り上げている。眼の衰え、蔵書の処分、難しい本が読めない等々老化に纏わる読書の困りごとについて、作家や親しかった人達の事例も含めて考察する。
自分もあと何年本を読めるか気になるところに来ている。著者よりははるかに若いので困り事とは感じていないが、文字が細かい本は、流行りの拡大眼鏡が必要だし、分厚くて難しそうな本や古典等の読書のモチベーションが低くなってきた。また著者ほどではないけれど、蔵書をどう処分するかは悩み所だ。毎年50~100冊買ってウン十年分あり、読書家の人達の事例を読むと、蔵書の処分はそろそろ始めたほうが良さそうだ。
この本で老後の読書の教訓を得ておけば、これから老後を迎える自分の読書にも役立つことがある。軽くて面白いエッセイなので、読書が好きな人は一読すると良いと思う。 -
「でも硬い本はもう読めないよ」
詰め込まれた感情や経歴がずんとくる、良いタイトル。
書評集の一面もあるけど、「読書好きのお爺さんの日々」のほうが、より興味深い。 -
津野海太郎氏の「最後の読書」、2018.11発行です。先日、読売新聞の書評に紹介されていたので読んでみました。最後の読書って何だろうと思いましたが、文字通り、年老いた人間の読書で、著者をはじめ、鶴見俊輔、幸田文(幸田露伴)、瀬田貞二、紀田順一郎諸氏の話が記されていました。高尚な感じで、私には難しかったです。鶴見氏は晩年の20年、もうろく帖をつけられていたそうです。幸田文の「勲章」によると、露伴(父)は、古稀の頃から年毎に老いを覚え、喜寿の頃には月毎に磨り減って来ると言ったそうです。今では日毎に感じているのではあるまいかと。
-
稀代の読書家にして蔵書家である評論家・編集者の津野海太郎氏が、80歳を過ぎたにあたり、これまでの読書歴を振り返りながらそこにまつわる人々との思い出などを記した連載「最後の読書」を一冊の本にまとめたもの。