- Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103206095
作品紹介・あらすじ
元経団連会長にして旧財閥系企業の名誉顧問である梶井は、80年代初め、NYで不遇をかこっていたころ、ジュリアード音楽院に通う日本人学生たちと知りあう。そして彼らが結成した弦楽四重奏団に「ブルー・フジ・クワルテット」と命名。やがて世界有数のカルテットに成長した四人のあいだにはさまざまなもめごとが起こりはじめるが、その俗な営み、人間の哀れさを糧にするかのように、奏でられる音楽はいよいよ美しく、いよいよ深みを増してゆく-。
感想・レビュー・書評
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2018年一冊目。
以下、ネタバレ含む。
丸谷才一は『輝く日の宮』の印象が強かったけれど、『女ざかり』も既読だった。
どちらも、もう7年前の話。
大野晋との対談『日本語で一番大切なもの』は読みかけ。細かすぎて、進みません(笑)
ブルー・フジ・クヮルテットという世界有数の弦楽四十奏団の結成から、紆余曲折の話。
有名なカルテットは皆仲が悪い、と言われるメンバー同士の複雑な交錯を、パトロン的・兄的立場で見守り支える、梶井という人物の語りで進められる。
ブルー・フジの四人はあくまで語られる側に過ぎない。
元経団連会長にして旧財閥系企業の名誉顧問という「立場」の梶井が、出版社の社長候補まで上り詰めた野原というジャーナリストに対して語る、という構成が面白く感じた。
カルテットの四人は、それぞれ俗(スノッブ)なトラブルに見舞われつつ、時に仕事と割り切り、時に音色の糧にしながら、名声を得続ける。
なるほど、薔薇の花束が賞賛であるならば、それを四人で保ち続けることが如何に困難か。
しかし、そうした経緯を今や「荒れた部屋」に住む60いくつの梶井老人が語ると、そこからまた違った色合いが見えてくる。
「棚卸資産とか、余剰キャッシュ・フローとか、株主総会とか、ランチを食べながらの商談とか、秋が深む前に年賀状の送り先のリストを用意するとか、そんなことをうまくやる雑事の連続に、藝術といふ、あの秩序と陶酔と力とをいつしよにもたらす不思議なものと似たやうな喜びを求めるなんて、できるはずない」
パトロン心理とは、かくたるものか。
勲一等を取ることに、梶井ほどの人物でも執着する、ということを暗に野原も知っている。
では、その野原がブルー・フジ・クヮルテットを、梶井から聞き取り、書き残す意味とは。
ビジネスの世界で生きてきた人間としては、もう一人、ヴィヴィアンがいる。
彼女のマネジメントあって、ブルー・フジは脚光を浴びたと言って過言ではない。
ただし、チャーミングなデキる女ヴィヴィアンでさえ、セミリタイアを機に、自身が生み出したきた、お金という形あるものと、愛という形なきものの間で葛藤する。
梶井とヴィヴィアンという二人の成功者には、ハッピーエンドが与えられない。
けれど、ブルー・フジの四人の(結末までは語られることはないものの)不安定な強固さ(形容矛盾だけど)は、恐らく強く在り続けるのだろう。
形なきものを生み出し続けた、そのこと自体が名前となって残っていく。
と言うと、芸術の崇高さみたいな感想になってしまうのだけど、これを梶井老人に語らせる所がやっぱり面白い。
そして、その梶井老人の一生を描き得た丸谷才一が、これまた、すごい。(通俗的と言われる部分も、もちろんなんだけど、笑)
生きて、知ることの重みって、こういうことなのかなーと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
テーマがいい。クインテッドだなんて、なかなか気が利いてる。
でもやっぱり芸術家よりビジネスマンのほうが好きだな~。
初めは旧仮名遣いが取っ付きにくいかなと思ってたけど、全然そんなことなくてかえって滑らかで素敵。日本語って美しい。 -
カルテットの人間関係は、狭いところの人付き合いの難しさにそのまま通じると思う。
それぞれにポリシーがある芸術家が4人集まって一つの音楽を奏でるわけだから一筋縄でいくわけがない。それなら一時期であれ最高の音楽を奏で評価を得られたことは幸せかもしれない。
それを見守る経団連会長となった梶井も、奥さんや子を失い、再婚相手も早くに認知症になるなど、常に満たされないものが付きまとっているようだ。
しかし、良い音楽、一流の文学、芸術に日ごろから親しむ教養人の社会はよいな。本を読まなかったり、アイドルユニットの曲しか聞かない大人はすこしもったいないと思う。 -
丸谷才一氏最後の長編小説。
元経団連会長にして旧財閥系企業の名誉顧問である梶井のもとに、ジャーナリストの野原が訪れる。梶井は、80年代初めのニューヨークで、音楽院に通う日本人学生たち(厨川、西、小山内、鳥海)と知り合った。そして彼らが結成した弦楽四重奏団に「ブルー・フジ・クワルテット」と命名。やがて世界有数のカルテットに成長した四人には様々な軋轢が起こりはじめるが…。
旧仮名遣いで紡がれてはいるが、なめらかな文章は読みやすく、酔える。四人が繰り広げる愛憎劇は、実に人間くさく、芸術とは縁遠いように思える。しかし、確執が深まるほど、奏でられる音楽は一層美しくなるという皮肉。堪らない、けれども読むのをやめられない。 -
年に1度くらい、何故か発作的に丸谷氏の旧仮名遣いのヌメッとした文体を読みたくなります。もっとも挫折することも多いのですが、この作品は楽しく読めました。
世界的名声を得た日本人弦楽四重奏団(クヮルテット)が経てきた道のり・人間模様を、彼らの結成時からの支援者であった元経団連会長が、友人の元編集者の求めに応じて語るという形式です。
その中で、片やクラシック音楽(やM&Aなどの経済関係やその他諸々)についての蘊蓄を披露しつつ、もう一方では通俗的なメンバー間の確執(それも女性がらみできわどい描写)も語られます。
つまり高尚と卑俗の混合です。このあたり、読み手が丸谷さんに何を期待するかで評価は割れそうですが、個人的には良い塩梅と思います。ただ全体に達観というか(それが味といえば味なのですが)余りにさらりと語られ過ぎてるように思います。まあ、著者も作品中の語り手もお年寄りですからね。 -
クァルテット。それは四重奏のこと。
どうやら四重奏は、
他の何重奏よりも、
オーケストラよりも、
緊密な構造らしい。
不思議なもので、クァルテットの人間関係が複雑になるにつれ、奏でられる音楽は、深く、美しいものになるようだ。
なんと恐ろしく興味深い世界なのか。 -
丸谷氏最後の小説だというので読んでみました。
軽妙な作品で読み易かったですが、クラッシックに詳しくないと面白さ半減でしょう。(私は半減)
うんちくを読むのも楽しいけど、曲を頭で流しながら、モデルの人物像を思い浮かべながら読めたらなあーという感じでした。
M&Aの話とかは面白かったけどさ。
文学系なら少しはついていけるので、やっぱりそっちをテーマにした本の方が私にはあってるかも知れません。
選択ミスか。 -
丸谷才一さんの最後の長編『持ち重りする薔薇の花』を読了。やはり彼の作品は少しばかりノスタルジーを感じさせ、だが確実に我々の弱い部分、世界とは異なっている日本人の独特な感性や行動の仕方を物語にして見せつけてくれる。俺たちってそういえばどうだよねって言う感じで。日本をきちんと外から見ている人だからかける物語な気がした。品のよい、いい作品です。品のよい小説を読みたい方是非どうぞ。
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なんていうか、ウディ・アレンの味わいですかね。コレ。僕は好きです。
丸谷才一さんの長編(中編?)小説。丸谷さんの9篇しかない長編の、遺作に当たりますね。
これまで、丸谷さんの長編の何篇かは読んだことがありました。ただ、どれも10代の頃に、背伸びして読んでたんですね。
なんとなく当時から、「これぁ、俺ちょっと背伸びしてんなぁ」と薄々は思っていました(笑)。なんとなくね、味わいというか面白さがフィルターを通してしか感じられない部分が多かった感じですね。
と、言う訳で、「持ち重りする薔薇の花」。
これ、去年の秋くらいに、衝動的に電子書籍で買ってたんです。
なんですが、ちょこっと読んで何となく後回しになっていました。
何となく再び読み始めたら、面白くて面白くて。どどっと読んでしまいました。あまり長くないし。
内容を備忘録に書くと。
80代くらいと思しき、経済界のかつて偉かった男がいます。
もともとお金持ちの家の出で。海軍下士官(つまりエリート)で終戦。コネで財閥系の商事会社に入って。
仕事も優秀だったみたいで海外歴が長く、社長になり、経団連会長になり、やっと引退。
で、この老人。上記の通り、インテリで洒落ててお金持ちなんですね。
この老人が、旧知の仲である、とあるノンフィクション作家のインタビューに答える。
その語りの内容が、この小説なんです。
で、その内容っていうのは。
その元経団連会長が、商事会社でアメリカにいた時分に、ひょんなことから知り合った、日本人の弦楽四重奏、カルテットの四人組。
まあ、なんとなく20歳くらい年下なんですかね。設定としては。
初対面のときは、ジュリアードの学生だったんですね。その四人は。
その四人と仲良くなって、まあ、パトロンというほどお金も出せないけど、精神的なパトロン、そして兄貴分的な相談相手になるんですね。
で、その「ブルー・フジ・カルテット」は、どんどん世界的に有名な弦楽四重奏団になっていきます。
その足跡を、四人の人生の春秋と、愛情の歳月と、いがみあいと不和の歴史を、その元経団連会長さんは、ずっと見聞していくんですね。
初対面が1980年代だそうなんで、足掛け30年以上ってことですね。この本が2011年ですから。
で、その「ブルー・フジ・カルテット」の30年の歩みを、旧知のノンフィクション作家に語る。
ノンフィクション作家は、元はとある出版社の編集者だったんですね。
これはこれで、ひょんなことから元経団連会長と何十年も前からの友人になっている。
●とある弦楽四重奏団の30年の人生模様。
英才としてジュリアーノで結成、青春の熱い芸術至上時代。
やがて売れ出して、それぞれに女性と愛憎、結婚、離婚、浮気。
仲間内で女の相克、売れる売れない嫉妬に僻み。
反目、喧嘩、脱退離脱に再加入・・・。
●商社マン(後年の経団連会長)と、編集者の、これまた30年くらい?の人生模様。
スポーツジムでの偶然の出会いから、清い付き合い。
やがて互いの、老いた親やら家族やらの事業の失敗や、ココロの病。
そして出会いやら親子関係、恋愛についてまで。
が交錯して語られていきます。
タッチとしては。
適度に軽くて明るくてユーモラスでちょっとHでちょっとエロくて、でも卑猥じゃなくて。
英文学者丸谷才一さんですからね。ウィットと皮肉と知的な細部に満ちていて。
クラシック音楽、英語、商社、M&A(企業合併や売買。カルテットのリーダーの奥さんが、その仕事してる)の、蘊蓄が豊かで。
でも、そんな薀蓄は別にわからんちん、で、飛ばし読んでも別に良いんです。なんだかんだ、男女の恋愛とそのもつれ、の話の多いんですが、
そういう人間ドラマ、軽喜劇、と割り切って読んでも楽しいんです。
なんだけど、これ、読む人によっては。
「ブルジョワの老人と世間知らずのお坊ちゃんクラシック音楽家の呑気な日々を、薀蓄自慢しながら語られても、一体全体、なんなのさ?」
という感想も、あると思います。その通りの側面もあります。
でもねえ、これ、良いんですよね。
その軽さっていうか、風俗的な戯れ感というか。確信犯なんですよね。
重くも考えられる人生模様だって、軽くかるーく、ちょっとしみじみ、くらいで行っちゃうんですよね。
何のオハナシなの?って言われると。
世俗ってこういうもんだよね、ヒトって男女ってこういうもんだよね、という、肩をすくめた身振りのような。
ちょっと哀しいけど泣いてもしょうがないね、という諦念と苦笑い。
そして、そんなニンゲンが生み出す芸術って、すごいよねえ。素敵だよねえ。というようなため息というか。
いやほんと、そういうことなんだと思うんですよ。
でも、それが、ちゃーんと小説になっている、っていうのがオモシロイんですよね。
小説書くのが上手いんです。
で、こりゃウディ・アレンさんだなあ、と。
語り口が上手いんです。確信犯の軽さなんです。肩の力の抜け具合が腰砕けなまでに、にやっとしちゃう快さ、ココロヨサ。
でも、冗長じゃないし、扇情的じゃないし、テンポよくて、明快で明朗で、なんだけど人生の苦味が山葵のようにツンと来る。アッサリさっぱり、胃もたれしません。
これが、貧しい人が出てこないからって、人生の実相について、欺瞞的にしか描いていないのか、というと、当然ながらそんなことは全くありません。
ソレはソレで、コレはコレ。丸谷さんはこういう物語を語りたかっただけ。でもある種のバブル以降の日本の精神史、の、一部ではありますね。
何しろ、この本出たとき、丸谷さん86歳ですからね。
86ですよ。もう、何書いても良いんですよね(笑)。
戦争も貧しさも内ゲバも繁栄も、特攻も餓死者も安保もバブルもニートも、全て眺めてきた86歳ですからねえ。
しかも、英文学者で翻訳家でジョイス研究ですよ。後鳥羽院も研究して、国語と日本語の博学であり、あらゆる文学賞も総なめして、驚異の読書家で書評家。
それでいて、軽さと明るいエロと、知的なおバカと、英国趣味と日本文化と日本語が大好きで。
重さ、暗さ、お涙頂戴、安易な感動、教養の浅さ、知ったかぶり、ヤンキー的なものが大嫌いで。
と、言うオヒトですから。
ま、言ってみれば、「永遠のゼロ」の真逆というか(笑)。 ※読んでないから、偏見っす。失礼。
だからまあ、好みなんです。
僕は、大好きです。
ただ、好みと片付けてはいけないと思うのは、日本語のキレイさ、洒脱さ、読みやすさ。
そこンとこ、もっと説得力のある褒め方をしたいけど、まあそんなことを考えながら、もやもやするのも読書の愉しみですね。
※言い忘れました。丸谷さんなんで、当然ながら旧仮名使いです。僕は、コレ理屈抜きで好きなんです。
岩波書店版の漱石全集、同じく岩波書店版の芥川全集、谷崎全集、などで親しんだ旧仮名、丸谷さんが現代風俗小説で使うと、
「ぜんぜんコレで21世紀でも使えるよね!」と興奮です。