- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103268215
感想・レビュー・書評
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本書は、心臓血管外科医の現役を引退し、老人福祉施設で働く医師の夫から聞かされた高齢者の終末医療の実態に疑問を持った記者である著者が、姑が倒れたこともきっかけとなって、ターミナルケアについて取材した顛末がまとめられたもの。
いくつものケア事例が紹介されており、どの方々も、その人らしくおだやかに幸福に旅立たれていて、思いがけず涙。人が亡くなっているのに奇妙なことだが、心が温まる思いがした。
著者の姑の看取りに至ってはうらやましいくらいの素敵な最期で、どれほどの幸福感に包まれて逝かれたかと思う。
また、施設での看取りに抵抗を示していたスタッフが、実際にそれを体験するにつれ、生きることの延長として死をとらえ、日々のくらしと同じように、幸せな時間として看取りの時を見守るように変化していくさまにも、人の生き死にの本来の姿について考えさせられた。
老いは誰しもに訪れる宿命である。
そして若くても、今日元気でも、ひょっとしたら明日にも事故に遭い、人工的措置によってかろうじて命をつなぐ状態になるかもしれない、回復も見込めない状態になるかもしれない。明日も今日と同じように元気である保証は誰にもない。
命あるものは必ず死ぬ。
生きていく先に必ず死がある。
自分がどう人生の最期を迎えたいか、それはつまり自分がどう生きたいのかということと同じだ。
自分らしく生きる。自分らしく死ぬ。
そんなふうに、死をもっと身近なものとしてみんなが捉えるようになれば、いろんなものが変わってくるのかもしれない。
現代の高度な医療技術や世間一般の考え方、サポートしてくれる医療関係者の有無などを思うと、いろいろハードルも高そうだし、いざ自分が、家族についてその判断を迫られる事態に直面したらどうなるかちょっと想像できないけれども。
とても読みやすく、一気読み。
身近に高齢者のいる人や医療関係者だけでなく、あらゆる人に一読の価値あり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分の人生の最期を考える時、身近な人の最期を考える時、とても参考になる。
尊厳死、在宅医療。 -
人も 一動物。死が近くなると 何も受け付けなくなる。それを無理やり 人為的に与えると本人的には 苦しみにしかならないし、自然に 死に迎えない。
老年期に、本当に 医療は 必要なのだろうかとつくづく思う。 -
死について考えさせられる一冊。
病気になって、老いて、死ぬ。
たったそれだけのことが、現代医療の現場では難しいとは…
この本に登場する医者も看護師も何も悪いことをしていないのに
結果として患者の家族を苦しめている。
意識がなくても少しでも長生きしてもらいたいから生かすのか、
あるいは自然にまかせ死を選ぶのか…
自分もその時がきたら決断できるのだろうか? -
無駄な延命処置をしない、というだけのことが、どうしてこんなにも大変なのだろう?
著者の場合は夫君が医者なのでまだしも(それでも病院から姑を帰宅させるのはとても大変だったという)、普通の人ではとても医者に対抗して退院することはできないだろう。
尊厳死協会への入会やリビング・ウィルの用意など、自分の考える終末を書き残しておかなければ、と思う。
無用に管をつないで、意識もないのにカラダだけを生きながらえさせられても、嬉しくないし、体もつらいだけだろう。
そんなことをしなければ、医療費も節約できるのではないだろうか?
在宅医療をもっとできるようにして、自宅での死を迎えられるような方向に行かないものだろうか?
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人生
医学 -
僕は老衰で死にたいと思っています。老いるということは病むということと同一ではないはずですが、世の中であまり区別されている気がしないし、僕もうまくわかっていませんでした。
枯れるように死ぬとはどういうことか。この本は、夫の親を自宅で看取るまでのさまざまなことと、夫の経験してきた老健施設などでの看取りについての多くの、おそらく幸せであろう死で構成されています。
自分にしても親族にしても、そのときになってみないと、多くのことはわからない、のだろうけど、少し覚悟ができました。 -
死ぬことと死に方と死なせ方を考える。それが生きることを考えることになる、と思う。
著者の見てきたことを真摯に書き並べてあり、いろんなものの見方のあることをすべて引き受けた上で、さあ、あなたはどうしますか?と問いかけてくる。考える。