- Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103361527
作品紹介・あらすじ
継承される血と野望。届かなかった夢のため――子は、親をこえられるのか? 成り上がった男が最後に求めたのは、馬主としての栄光。だが絶対王者が、望みを打ち砕く。誰もが言った。もう無理だ、と。しかし、夢は血とともに子へ継承される。馬主として、あの親の子として。誇りを力に変えるため。諦めることは、もう忘れた――。圧倒的なリアリティと驚異のリーダビリティ。誰もが待ち望んだエンタメ巨編、誕生。
感想・レビュー・書評
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馬主
父と息子
継承
雨の有馬記念
絶対に裏切らない
レースを見守る人、競走馬にかける想い、競走馬のその後も含めて向き合う馬主。
競馬の知識は全くなく、馬が走っているのをキレイだなぁと見てるくらいでしたが、丁寧な描写に引き込まれ、読んでいて時々鳥肌が立ちました。そして、ちょっと泣けます。
競馬場に足を運びたくなりました。
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少し前から、子供と一緒に日曜15:00からの競馬番組を観るのが楽しみの一つになっている。
「ウマ娘」を愛読し、ソダシが推し馬だ。
死ぬまでに一度で良いから、G1を生で観戦するのが夢だ。
そんな私が、ニューヨークの屋敷さんのYouTubeで紹介されていて興味があった一冊。競馬好きはより一層、そうでない人も一人の馬主とそれを取り囲む人間模様を楽しめると思う。ラストは泣いてしまった。
競馬はどうしても馬や騎手に目がいきがちだが、この作品はあまり知る機会がない馬主に焦点が当てられている。馬主の栄光や苦労を垣間見ることで、今までとはまた違う視点で競馬を楽しめそうだ(笑)
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親から子へと夢がつながる馬主、そして馬の物語。馬主でありワンマン社長である山王の秘書となった栗栖、競馬のことはほとんど知らない。馬の産地、競馬場、調教に足を運び、競馬の世界へと足を踏み入れたゆく。山王が買った馬、ロイヤルホープに期待をかけてゆく。
山本周五郎賞受賞作品。
競馬には全く興味がないんですが、とても熱いものを感じました、馬熱! 馬券を買う、ギャンブルをするのではなく、その背後にあるものを深く掘り下げて、夢と愛とロマン、不屈の物語でした。馬も親の血を引きどう活躍してゆくかも見ものでしたが、やはり山王一家、栗栖、ジョッキー、馬に関わる人たちの思いが非常に伝わった。社長をはじめとする馬主たちの生き様、すごいなあ。私の今後の人生でも馬主になることはないだろう、想像もできない世界、楽しめました。 -
競馬に全くもって興味ありません。そもそも賭け事全般に興味が無いと言っても過言ではありません。
そんな賭け事の中でも一番ロマンがあるであろう競馬。興味は無いけれど馬はかわいいので大好きです。牧場行くと馬に餌あげられるコーナーで永久に居られるくらい好き。無心になれるランキングでも相当な上位に行く事でしょう。
さて、そんな競馬の馬主を軸にした競馬界の物語です。お金持ちの絢爛豪華な世界と思われがちですが、その通りです。小金持ちではなれないのが馬主という存在(ちなみにバヌシではなくウマヌシというらしいです。)です。
お金を儲けるという目的ではなく、名誉欲が満たされるというのが一番大きい趣味だと思います。しかしこの本を読んでハッとしたのは、酔狂なお金持ちがこの文化を支えなければ、あっという間にサラブレッドは絶滅してしまうんですね。速く走るという事だけに作り出された動物ですからね。
そしてこの本は、ワンマンで傲慢でどこか憎めない社長と、彼に見込まれてマネージャーを勤め上げる栗須。そして馬の血統そのものが主人公です。
ボリュームのある本で読みごたえもありますが、テンポよく進んでいくのでとても読みやすいです。しかし中身はとても濃密で彼らの20年間を凝縮しています。
登場人物も皆魅力的で、力強く存在感があります。
血の継承という血統馬の最も大事な部分と、人間同士が血によらない精神的な部分で継承し、いつか先人を追い越そうとがむしゃらに駆け抜ける姿に興奮を覚えました。
ここから何かが展開するのかな?という所からの肩透かしが沢山ありますが、たぶん意図的なんだろうと思います。
競馬が好きだったらこの本の面白さは倍増する事でしょう。恐らくモデルになる馬がいるのでしょうから、重ね合わせて胸ときめかせて読むのでしょう。この本をそうやって読める人がいるのがうらやましいです。競馬興味ない僕がこんなに楽しめたのだから、どれだけ楽しいだろう。
今回本屋大賞に「店長がバカすぎて」でノミネートされていますが、推すならこちらだろうと力を込めて言いたい。書店員さんが選ぶ賞なのでどうしても書店を舞台にした本に思い入れが有ったんだと思うんですが、あちらはあくまで凡作です。名作と肩を並べる価値があるとはとても思えません。でもこの本であれば格的には他の本と十分いい勝負になるし、何よりこの本やイノセントデイズ、小説王のような本をまず読んで彼の真価を知ってほしい。早見一真さんは打率がいい方ではないと僕は思っています。外れも結構あるので最初に読むならいい本から入ってほしい。この本は入り口としても適していると思います。 -
競馬の知識はほとんどなく、ましてや馬主の姿など想像もつかない。でもそうした世界を見せてくれる楽しい小説。このストーリーは馬主ではなくその秘書としてそばについて様々なサポートをし寄り添ってオーナーを支えていく人を主人公として書いているところが、読みやすくもあるし理解もできるというところ。
この作家の作品を読むのは6冊めか、どうも毎回してやられた感があって見透かされている感じが気に入らないことが少なくない。今回も一緒にロイヤルファミリーを応援している自分にふと気がついて、悔しいので星一つ減らしておく。でもほんと一気に読ませる面白さだった。 -
主人公は、中央競馬の馬主・山王耕造のもとで秘書をしている栗栖。
耕造と馬、耕造と家族、耕造の息子と馬・・・という親子2代に渡る馬主に仕えた栗栖が語り手となり、耕造ファミリーと馬たちの物語は進んでいく。
「第一部希望」が、ロイヤルホープと耕造、
「第二部家族」が、ロイヤルファミリーと耕一の物語だ。
競馬に全く興味がない私にとっては、この本はちょっと長すぎたなぁ。
いいなと思う描写もあったんだけど、読み終わったときには「やっと読み終わった」という気持ちで満足し、いいなと思う描写は忘れてしまった。
私にとって早見さんの本って、そういう傾向がある気がする。
正直、第1部で終わってくれても全然問題なかったのでは、という感じ。第2部の中だるみ感が。
栗栖と耕一の年齢差という問題もあるだろうけど、耕一の人間性は耕造ほどわかりやすくはなく、栗栖も関係性を捉えかねているまま終わってしまった様子だったし。
数あるギャンブルのうち、競馬にはロマンがある、それは私にもわかる。
やっぱり、自然相手、動物相手のことだから。
ただ、興味がない私からすると、「親子(馬同士の親子関係、馬主の親子関係)」「ライバル」「息子は父親を超えなければならない」みたいな諸々を、一頭の馬に背負わせることには、やはりピンとこない。
たんに「理解が及ばない」というのではなく、当事者(馬)抜きにして外野(人間たち)が大騒ぎしているという競馬の本質に、冷めた感情を抱いてしまった。
栗栖や耕造、耕一、広中たちが熱くなればなるほど、なんだか滑稽だなと思った。走るのはあなた達じゃない、と。
まして「耕造と耕一の複雑な親子関係」とか、馬には全く関係がないでしょうに。
それと、金持ちの息子(名前忘れたけど、耕一と友だちになる馬主)が自分の所有馬が勝ったあと、プロレスラーの煽りみたいなビックマウスコメントする描写も、「ダサ」と思って、ひいてしまった。
書きながら分かってきたけど、私が彼らに対して抱く違和感は「他人(馬・親)のまわしですもう取ってる」感なんだろうな。
第1部の耕造は、せめて自力で馬主資格を得て、自分の稼いだお金で馬主になった。
しかし第2部の息子たちはそれですらない(相続、親のお金)。それで「父親を超えなければならない」とか、まぁ、ふつうにあまちゃんですよね。
せめて第1部で終わってくれていたら、競馬の世界にわずかに興味を抱いて読了することができたと思う。第2部、私としては、残念でした。 -
まるで歴史小説のようだ。
物語として面白くはある。
しかし、ハッとするような表現を見つける事はできなかった。
どうにも違和感のある「ですます」調の一人称小説。
どことなくカズオ・イシグロの『日の名残り』が意識されているような文体だ。
ただ、この物語の主体には『日の名残り』のスティーブンスの語りのような抑制された気品や葛藤はなく、繊細さが感じられない。
葛藤といえば亡き実父を投影して・・という物語前半の設定がなし崩しに消え失せてしまう点がどうも主人公に感情移入できない。
なんとなく自分というもののない、過剰適応でもなくただ流されるままの男性が主人公だ。
彼は、そもそも自我が弱く、葛藤を形成することもままならない未成熟のパーソナリティなのかもしれず、知らずうちに社会的ペルソナだけに成り果て疲弊する多くの日本人の1人なのかもしれない。
即ち、没個性的すぎるために主役であるにも関わらずスティーブンス気取りの独白が続くようだ。
しかし、こうした没個性的な主格が歴史の渦に飲み込まれるという点では歴史小説に近い雰囲気なのかもしれない。
そんなスティーブンス気取りの男性が選民意識が強い自己愛的俗物たちに“お仕え”する。
周囲の人たちにもどうも感情移入できない。
労働者や馬のことを愛して気にかけている姿勢をとっているが、その実、それは「自分こそが愛されたい」という原初的欲求に支配され、おまけに強欲で悪趣味の前意識優位な人材派遣会社社長が“お仕え”するダーリントン卿もどきだ。
しかしこのモンスター級の自己愛俗物的ダーリントン卿もどきに感情移入せよという方が無茶だろう。
その他、あまりお近づきになりたくない魑魅魍魎たる俗物たち、そのほか有象無象の品のない人たち。
あぁいるよなぁこういう人(尚、あまり話したくないが)という人たちのオンパレードだ。
しかしスティーブンス気取りの主役、この男も周囲に負けず劣らず歪んだパーソナリティであることもわかる。
俗物たちへは極端な理想化状態であり、もはや妄信と言ってもいいのかもしれない。
こうした点もどことなく数多の日本人に近しい心性かもしれない。
この物語の中にはハッとするような表現を見つける事はできなかった。 -
競馬愛に満ちた作品。読む前に筆者がゲストの「競馬場の達人」を見ていたので尚更そう感じた。オーナーは金子真人と近藤利一がモデルか。ジョッキーは川田あたりかな。
あまりにも競馬が好きすぎて文章が先走ってしまっている感じで余裕がないのが今一つか。サラッと最後にロイヤルファミリーが凱旋門賞勝ってたりしますが。この雰囲気の古馬が勝てるレースではないな。まあ私も競馬好きなので何やかやいいながら面白かったですけどね。