- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103361534
感想・レビュー・書評
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2018年夏の甲子園。
大量リードで勝っていた星稜は、2年生エース・奥川の足が攣り、マウンドを降りることに。
そして、タイブレークとなり、済美にサヨナラホームランで甲子園を去る。
翌年の2019年。
足に不安がありながらも、準優勝。その活躍、その後の活躍は野球ファンならば、ご存じの通り。
しかし、2020年。
新型コロナか世界を襲う。
選抜、全国大体共に中止。
その中止に対して、済美、星稜の選手や監督たちがどう立ち向かったのかを、「イノセント・デイズ」などて知られる作家がノンフィクションで綴る。
私個人としても、2020年は東京オリンピックが消え、「0」となった夏だったと思う。
突然、奪われた球児の夢。代替試合で何とか思い出を残したいと奔走した大人を貶す訳ではないが、彼らの高校3年生はもう二度と帰って来ない。
それに対して、淡々とインタビューに答える生徒たちは、とても大人だと思える。
卒業を機に野球を辞めてしまった人も、プロに入った人も、陰ながら彼らの人生を応援したい。
2021年、さらにコロナは星稜を襲い、県大会準々決勝で辞退。
2022年、3年振りの出場になるが、3年前以上に猛威を振るうコロナの中、正々堂々と闘えるチームが何校残るかが気掛かりである。
残念ながら、済美の出場は叶わなかったが、別の意味で済美の名は知れ渡ってると思われる。名門であることは間違いない。
最後にこのような形で、失った夏の悔しさを本書に記してくれた作者に感謝したい。
しかし、いつも読んでいる作家さんが桐蔭の由伸の後輩なのにも驚いた。
また、いつか、野球少年の目線での話を楽しみにしたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
甲子園はもちろん、各地で行われる夏の地方大会もライブ中継で追うほどの
自他共に認める高校野球ファンだ。
なので2020年の夏の甲子園中止の知らせは衝撃だった。
この本は小説家の早見和真さんが、この不運な夏を強豪校の星稜と済美高校の球児たちと過ごし取材したルポだ。
早見さん自身も名門校の元球児で3年間を補欠で過ごし、未だ高校野球を恨んでいる。その視点が興味深かった。
特に印象深かかったのは夏の代替試合や甲子園で1試合のみ行う交流戦のメンバーの選抜だ。
温情で3年生だけのチームで挑むのか、それとも下級生を含めたベストメンバーでいくのか、監督も選手たちも葛藤する。
私からみれば、3年生だけのチームの方がいいに決まっていると思っていた。
現に、補欠だった子も選ばれて初めて「野球がたのしい」と感じられたり、
3年生全員でやれているのもうれしく、自分もチームに貢献できる手応えを感じる選手たちもいた。
甲子園がなくなったからこそ本来なら味わえなかった仲間との楽しい思い出ができてよかったね、と思っていたが、それで終われないのが強豪校なのだ。
野球を楽しむためにこの学校を選び苦しい練習を耐えていたわけではない。甲子園という目標はなくなっても現段階の最強のチームで最後の試合に挑み勝つことでしか甲子園への想いを昇華できない、ということにチームが気づいていく。
あの夏に正解はあるのだろうか。
球児たちは本当に色んなことを考え、葛藤し進むべき道を模索していた。
あの夏を過ごした体験が彼らを大人として成長させていた。
この本で取材された星稜の内山くんだが
現在ヤクルトスワローズのキャッチャーとして異例の若さで活躍している。
この本で懸念していた「あの夏の不運な球児」という目で彼を見る人はいないだろう。
不運をなかったことにするくらいの選手になる。それこそが正解なんじゃないかな。
あの夏を経験したんだから他の選手たちも同じようにそれぞれの道で輝いているはず。そうあって欲しい。 -
やっぱり強豪校のスタメンになるような選手って、そして将来その道で活躍していくような選手って、精神的にもすごく大人びている。達観している。しっかりとした軸が確立されている。
(もちろん、「メンバー外」の選手も、メンバーとは違った経験を得て、精神が確実に成長している。)
自分が高校生のころ、こんなに何かを本気で、深く考えたことがあっただろうか。
特に済美高校の山田響キャプテン。彼の言葉が本当にしっかりしていて印象的で、いくつかをメモした。
星稜高校は、読む前から名前を知っていた選手(内山壮真選手)もいて興味深く読んだ。
羨ましいな。不謹慎かもしれないけれど、羨ましい。
私自身、部活動には運動系も文化系も所属したことがあるけれど「早く辞めたい」としか思っていなかったから、なおさら。
身の回りに起きたことが何でもドラマになるような高校生活。
もちろん可哀想なところもある。
コロナ禍のときに仕事で母校に行ったら、自分たちが経験してきた楽しい高校生活の思い出の行事がすべてその年中止となっていたことを知った。
運動会。修学旅行。海外研修。文化祭。
あれもこれも、この代の子たちは経験していないのだと知って、勝手に胸が痛んだ。
もう2年になる。この子たちの高校時代の思い出は、マスクとオンライン授業と分散登校。クラスメイトのマスクを外したときの顔を未だに知らない子もいる。…つらい。
私が「部活を早く辞めたい」と思っていたのはすごく贅沢なことだったのかもしれない。
きっと確実に糧になる。と信じたい。
あの夏を経験したすべての高校生たち、がんばれ。
がんばれ。
…ただ。
早見さん自身としてはもっと彼らの本音に迫ったような内容にしたかったんじゃないかなと。
序盤で、自分は高校生のとき大人の意図の通りに話すとか綺麗事しか言わないとか語っているから、本作はほかとは一線を画した「美しくはない」異色の作品にしたかったのだと思う。
だけれど実際、物理的や情勢的に何度も足を運べず、深く取材できなくて、あるいは選手のメンタルが思った以上に成熟しすぎていて、ほかの「美化された」「わかりやすい悲劇にされた」ドキュメンタリーと同様になってしまった感じがある。
新聞連載しながらという形だったので仕方がないところもあったのもしれない。という個人の感想です。 -
私は野球部ではないけれど、コロナで例年通りの学校生活を失われた生徒の1人だ。徐々に緩和されつつも未だにできないことだってたくさんあるが、この本に出てくる野球部員の失ったものは、私が失ったものと比べ物にならないほど大きいものだったと思う。しかし当たり前のものが当たり前じゃなくなったことではじめて気づくことがあったり、なくなったもの以上の大きなものを手に入れることができたりした、という引退したあとの部員の言葉には私も同感する。コロナは一般的に煩わしいと扱われがちだが、それによって失うものが多かったからこそわたしたちの世代は格段に強くなれたと経験的に思う。だから、コロナ世代(という言い方もやめてほしいが…)はかわいそう、なのではなく貴重な体験をできたラッキーな人!と思われるように、胸を張って生きていたい。勇気をもらえた一冊だった。
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元高校球児の著者が、夏の高校野球大会が中止になるという前代未聞の状況でどのように当事者は感じていたのかをインタビューしていくドキュメンタリー。
「甲子園を目指してつらい練習をしてきたので絶望です」「甲子園がなくなって純粋に野球を楽しめるようになった」
どの想いも本当だろう。読んでいて熱くなった。
球児らにとってする必要があるのかどうかはわからない活動だが、貴重な記録ではあると思う。 -
名門桐蔭学園野球部補欠で甲子園でベンチ入りすることも叶わなかった作家早見和真さんが、愛媛県済美と石川県星稜に密着。
甲子園中止のニュースを聞いたときは「かわいそうに」と思ったけど、あれから一年以上たちこの本を読んでみての感想は、重松清さんに同感
〈高校球児だけじゃない。
これは、「あの夏」を生きた
全ての人の、無念と希望の物語なのだ〉
コロナで私たちは、今までになかったたくさんの選択を迫られることになりました。
ここでは、たとえば新しい大会が設けられます。
3年生だけをレギュラーにするか?
いままでどおり実力で選ぶか?
結果的にやはり実力で選ぶ方が全体にやる気がでるように思いました。
そういう世界で生きてきた子たちですものね。
「3年生かわいそうだから」みたいな同情は、あまりいらないのかなと思いました。
それより、この夏星稜高校は準々決勝出場辞退したんですよね、感染者が出て。
辞退しなくちゃいけなかったかなあ。
早見さん、続編お願いします。 -
個人的には野球にはあまり興味がないのですが、あの夏いろんな思いをした生徒さんはたくさんいるはずです。様々な大会が中止になり、スポーツだけじゃなく文化部のたちもものすごく悔しい思いをしたんじゃないでしょうか?
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済美?星稜?新聞記事や雑誌掲載ならこの2校でも良いが、本にするなら違うテーマからの学校を選択すべきだったと思う。タイトルがかっこよすぎて内容とのバランスに違和感。
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高校野球と駅伝は日本特有の行事だなあと思っています。
本物の高校野球には興味無いけれど野球漫画は大好きなので、実際の試合よりもその裏のドラマの方が好きなのかもしれません。そういう点でこの本はとても興味深かった。
2020年の甲子園大会中止で、高校球児たちがどうひと夏を過ごしたのか。それを強豪校2校の取材で細やかに描いています。
甲子園に出たことが無い学校にだって、甲子園を目指して日夜練習している選手は沢山いるわけで、目指す事すら出来なくなってしまったというのは本当にやりきれない事です。
甲子園だけではなくあらゆるスポーツで起こった事なのに、高校野球が象徴的に取り上げられるのは日本的で面白いことです。
取材対象の指導者も選手たちも理性的に対応しているようでしたが、どう考えても不運だし、何年経ってももやもやした気持ちは消えないだろうと想像します。
特に甲子園常連校は、言い方悪いですが奇形的な高校生活だと思うんですよ。野球が主体でひたすら野球に特化して生きていて、高校3年の夏が終わると殆どの生徒はそこで一般人にクラスチェンジする訳です。どんなスポーツでも名門ってそうなのかもしれないですけどね。
本当に野球が好きなら、いつでも何歳になっても野球やると思うんですよ。でも彼らはここで野球は終わりだと決心している(プロや大学野球希望者以外は)
バンドで売れなかったから音楽をやめるというのは、ある意味プロ野球選手になれなかったから野球を止めたという事と同じなので、職業としてつなげて行ける可能性が有る訳ですが、プロ志望以外は、野球をするという動機づけがアマチュア野球大会である「甲子園大会」なんですね。これはなんとなく歪な気がするんです。
甲子園という枷が無くなって野球が楽しいと感じている生徒たちの気持ちも分かるし、温い感覚にいら立つ気持ちも分かる。それだけ甲子園という場にアンビバレントな感情を抱いているんだろうなと。
出来れば彼らにも趣味としての野球が戻ってくる事を祈っています。