- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103507239
作品紹介・あらすじ
もっかいリリアンの話して――星座のような会話が照らす、大阪の二人、その人生。街外れで暮らすジャズベーシストの男と、場末の飲み屋で知り合った年上の女。スティービー・ワンダーの名曲に導かれた二人の会話が重なりあい、大阪の片隅で生きる陰影に満ちた人生を淡く映し出す。表題作の他、女性のひとり語りの短篇「大阪の西は全部海」を収めた、話題の社会学者による哀感あふれる都市小説集。
感想・レビュー・書評
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こんにちは(^_^)/かよこさん
リリアン、子供の頃に流行っていました!丸い筒で編んでいく、あれですよね(^_^)
懐かしい~ワァ~こんにちは(^_^)/かよこさん
リリアン、子供の頃に流行っていました!丸い筒で編んでいく、あれですよね(^_^)
懐かしい~ワァ~2022/08/02 -
アールグレイさん、コメントありがとうございます
やたら丸い紐編んで(笑)
作ったあれ、どうしてたのかしら?
自分なりに色を工夫して...アールグレイさん、コメントありがとうございます
やたら丸い紐編んで(笑)
作ったあれ、どうしてたのかしら?
自分なりに色を工夫していたような
全国的に流行っていたのかしら?
遠い昔のお話です
2022/08/03
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大阪の片隅で出逢った、音楽で細々と生計を立てるジャズベーシストの男と、小さなバー『ドミンゴ』でアルバイトをしている美沙。
二人の他愛のない会話文がシーンの半分ほどを占めており、鉤括弧をつかわずに羅列されるそれらはとても象徴的で、見事に独特な雰囲気をつくりあげていた。
そのなかに、"もっかいリリアンの話して。"と美沙が幾度もくりかえしねだるエピソードがある。
男が小学生だったころ、仲間はずれにされていたクラスの女の子が独り無心でリリアンの紐を編み続ける姿。その光景がむしょうに忘れられずに折に触れて思い出してしまう、という話。
言葉ではうまく説明はつかないけれど意味を持つ、男の記憶の奥深くにすやすやと眠る原風景のひとつようなリリアンの話は、美沙だけでなく私の心までをもつかんでしまったようだった。すごく好きなんですこういうの。
だれかにとってのリリアン的な話、緊密でやわらかな空気のなかで、私にもとくべつに聴かせてほしい。そのまま夢見心地で眠れたならどれほど幸福だろうと思う。
もうひとつの短編『大阪の西は全部海』は、とある評論家が「そういうのは全部川上未映子に任せておけばいいでしょ。」と述べた&編集部に削除された等の一件で物議を醸していて、まぁそれが私が本書を手に取るきっかけでもあったんですけどね。
双方にめちゃくちゃ失礼な言葉だなと思っていたけど、実際に読んでみたら言いたいことは分かってしまった。
生まれること、死ぬこと、最初から生まれてこないこと。
それらについて関西弁で抽象的に書き連ねられていると、まあね。でもなんというか関西弁の力ってすごい。 -
FMCOCOROで「すごくいい小説」と大絶賛されていたので読んでみた。
うむむ…
この小説…私、あんまり合わなかったな~
好きな人は好きなのかもだけど…
大阪でジャズベーシスト(ウッドベースの音楽教室の講師もしている)の男とふとしたことで出会った美沙。
ドラマチックな出来事が起こるのではなく、日常の会話やできごとで綴る小説。ゆるゆるとした二人の会話が大阪弁で綴られていくのもなんとなく泥臭くて「どこかで本当にありそうな」大人の物語。
小説中にソニー・ロリンズの「Isn't She Lovely」の曲が出てくるんだけど、二人の会話を聞いてたらこの曲が聞きたくなり聞いてみた
浮遊してる感?おかえり?ただいま?
曲を聞くと「そういう感じなのか…」と思うかも、思わないかも… -
この曲、知ってるわ。
うん、これ、有名な曲やで。
なんていうやつ?
Isn’t She Lovely。スティービー・ワンダーやな、
元歌は。
そうなんや。名前だけ知ってるわ、そのひと。
めちゃ有名なひと。
そうなんや。
うん。
ええなあ。
なんか、切ないな。
そやな。
切ないっていうか、懐かしいっていうか。
なんか、帰ってきたで、って感じ。
ただいま、おかえりって、言い合ってるみたいやな。
うん。
うまいこというな。
なんか、大好き。ただいま、おかえりって感じ。
この小説にはこのような男女の会話がたくさん登場する。次々と交わされる言葉のやり取りを、あえて「」(カギカッコ)なしで綴る。途中からその意図が理解できた。羅列されているといってもいいぐらいに頻出する会話。確かに「」が付いてると、うっとうしく感じる。
会話内容はごくごく他愛のないものだけど、むしろその普通さがリアルさを醸す。読み手はあたかも側で聴いているような感覚に包まれ、耳をそばだて、気がつけばすっかりふたりの世界に引き込まれている。
おおよそ我々が普段交わしてる会話は、漢字にする必要のない、ひらがなで喋っている。そこにオノマトペが加わる。関西人はその傾向は大で〈シュッとした人が、この道をピューと行って、あそこの角をキュッと曲がりはりました〉みたいになる。
余談を続けると、村上春樹の小説の会話なんて、現実にはあり得ない。聴いただけでは判別しづらい漢字二文字の熟語や気の利いた比喩なんてものはあらかじめ用意でもしてない限り即妙には出てこない。それを実際にやられたら、関西なら「きっしょ~」「サブイボ出るわ!」って、言われるのがオチである。
さてというかようやくこの小説。
舞台は大阪市の南端。著者の言葉を借りれば、大阪市のいちばん南の外れの、どんづまりのどんづまりのどんつきの街で暮す、語り手であるジャズベーシストの俺と近所のバーでバイトで働いている俺より10歳上の美沙さんの恋物語を縦軸に、主人公の俺はそれなりに音楽で飯は食えているが、じゃあ夢が叶っているかと問えばそうではないような中年に差しかかった男の行き場のない思いが語られる。
本書は小説のスタイルは取りつつも、ストーリー自体に起伏は少なく、話の継ぎ目もいたってシームレス。先の会話をはじめ、とにかく自由度が高い。小説のあるべき形式には素直には従わない、ジャズのアドリブ演奏のような闊達さに溢れる。
それが際立っているのが会話に登場する互いの記憶に揺蕩う心象風景の挿入。男にとっては<小学生時代のクラスの女の子が無心でリリアン編みをしている姿>であり、彼女にとっては<川=淀川への恐怖感>など、ふたりは大阪の街-場末感漂う我孫子にはじまり北港・大国町・西九条・蒲生・野田・南森町・西天満・万博…を歩きながら、時にささやかな冒険をするようなデートをしながら身上を語り合う。
互いに惹かれ合い、間柄が親密になっていくほどに、想起する過去の様々な出来事、色褪せない痛切な心象を刺激しあうことへの怯え。ゆえに、からだを重ねる関係になっても、近寄りすぎたり、束縛したりしないよう適度な距離を保とうとする。
道ならぬ恋ではない、ええ大人の恋愛。波長が合い、たちまちにして惹かれ合ったゆえに生じる<切なさ><寂しさ><優しさ><怖さ>が臆病へと駆り立てる。
悲恋で終わる恋じゃないんだけど、切なさがじわりじわりと迫る、淡くて、緩やかで、ポエティックなリズムを刻む恋愛小説。
ー恋は遠い日の花火ではないー
随分と昔に流れたウイスキーCMコピーを思い出し読み終えた一冊。 -
コード進行とか、表題のリリアン(編み物)とか、あまり馴染みのないものが主題になってるので、やや入り込めなかったところはあるが、著者のこれまでの小説と同じく、色んなものから切り離されて大阪の街を漂うように生きる男女の姿を淡々と描く。今作はより一層、浮遊感(というか、登場人物がルーツと切り離されている感じ)が強まっているような気がした。
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「ひとりで家を出て飲みにいくとき、誰もいない浜辺でシュノーケルをつけてゆっくりと海に入っていくときの感じに似ているといつも思う」この冒頭に惹かれた。一人暮らしもほとんどしたことないし海に潜ったこともないけど、自虐的孤独感に酔う自分を楽しむみたいなオナニーに似た恍惚感なんやろうか。彼女とのゆるい大阪弁のリフレインされる会話。ジャズもよく知らないが、それも音楽的なように感じる。
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くたびれたジャズベーシストと、年増のスナックホステスの恋愛譚。
本当になんてことない話なのだけれど、妙に胸に迫るのは年が近いからか。年増のホステスと僕ほぼ同い年なんですね。
人生に対する諦めや、まだ先が有るのではないかという希望と、愛情なのか友愛なのか分からない好意。何も妨げるものは無いのに、どうしてか踏み切れない。
音楽で食べて行けているけれど、先細りは必至だし技術的にもこれ以上は見込めないというくすぶりと、誰かの心を背負う事の重さにおびえる気持ちなのでしょうか。
最後まで読んでも心の動きの深い所は書いていないので、読んで推し量るしかありません。色々考えてしまう本だし、淡く記憶に残って消えてしまう本でもあります。 -
“人間いらんやん”
“優しいやつは、役に立たんのや”
生々しいリアルな会話、人肌の温もり、不器用なやり取り。
優しい。
なんだろうか。こういう優しさを何と言うのだろうか。