わたしたちに翼はいらない

著者 :
  • 新潮社
3.54
  • (55)
  • (146)
  • (185)
  • (20)
  • (6)
本棚登録 : 2116
感想 : 145
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103531920

作品紹介・あらすじ

他人を殺す。自分を殺す。どちらにしても、その一歩を踏み出すのは、意外とたやすい。最旬の注目度No.1作家最新長篇。同じ地方都市に生まれ育ち現在もそこに暮らしている3人。4歳の娘を育てるシングルマザー、朱音。朱音と同じ保育園に娘を預ける専業主婦、莉子。マンション管理会社勤務の独身、園田。いじめ、モラハラ夫、母親の支配。心の傷は恨みとなり、やがて……。「生きる」ために必要な救済と再生をもたらすまでのサスペンス。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あなたは『十代の頃って、人生でいちばん良い時代だよね』という問いかけに、なんと答えるでしょうか?

    長い人生の中でどの時代を『いちばん良い時代』と考えるかは人それぞれだと思います。散々に苦労した先に大成して人生を終えたという方がいる場合、その祝福されたゴールにいちばんの幸せがあるとみるのが自然だと思いますが、実際にどんな風に感じていらっしゃるかはわかりません。人によって何を幸せと感じるかが定まっていない以上、他人の人生の頂点などわかるはずもありません。

    しかし、一般論として、『十代の頃』を振り返ってその時代を懐かしむかのように、『いちばん良い時代』だったと語る人は多いのではないかと思います。何ものも怖くなかったあの時代、未来は無限に輝いていると信じていたあの時代。とはいえ、そんな時代にも良いことばかりであったという人は少ないと思います。素晴らしい想い出があれば、悔しく、苦い想い出だって同じようにあるはずです。要はそのバランス感がそんな時代を今に見せていると言えなくもないと思います。なかなかに過去を定義付けるのも難しいものです。

    さてここに、『十代の頃』のことを問う質問に『おれは違う』、『いちばん良い時代じゃなかった…』とはっきり答える男性が主人公の一人を務める物語があります。『十代の頃』に負った傷に今も苛まれる主人公を見るこの作品。そんな主人公の日常に、サスペンスの影を見るこの作品。そしてそれは、あなたが知る寺地はるなさんとはちょっと違う”黒テラチ”な世界が顔を出す物語です。

    『この十五階建てのマンションができたのは、たしか』『小学生の頃だった』と振り返るのは主人公の一人、園田律(そのだ りつ)。『世界的に有名な電機メーカー』『パルスのお膝元、と呼ばれるこの街で』『生まれ育った』園田は『両親の仲が悪くて、いつも隣近所に聞こえるような大声で言い争っているのが恥ずかしかった』という中に育ちました。『園田が七歳の時に両親が離婚し』たことで、一度、『室井』姓に変わったものの、『高校に入った頃に』再婚したことで再び『園田』姓に戻った園田。そんな過去を思い出す園田は『マンションの十五階の外廊下』に立ちます。住人に『声をかけられる前に、さっさと飛び降りてしまおう』と『下の様子を窺う』園田は、『どうして彼は死んだのか。そんなふうに考えてくれる人が、ひとりぐらいはいるのだろうか』と思います。そして、『自分の人生でもっとも暗く過酷だった時期といえば、やはり中学生時代』だと思う中に『死にたい。死にたくない』と思いが巡ります。そんな中に仕事で会った一人の人間のことを思い出した園田は、『中原大樹。あいつを殺してから死のう』と、『「死にたい」と「死にたくない」のあいだに、「殺したい」』という感情が割り込んでくるのを感じます。
    場面は変わり、『ファミリーレストラン』で美南とメニューを選ぶのは二人目の主人公・中原莉子(なかはら りこ)。『同じふたば保育園に子どもを通わせている』莉子と美南は、『中学まで一緒』の時代を過ごし、再会した間柄です。『税理士である夫の事務所』で働いていると証明書を偽造した美南に対し、莉子は父がやっている会社を手伝っていると証明書を偽造し、『四六時中一緒にいるのは耐え難い』という子供を保育園に預けて『無為なおしゃべり』の時間を過ごします。そんな二人はスマホのSNSで、学校時代のクラスメイトの情報を見て、『中学とか高校で地味だった人にかぎって、外に出ていきたがるよね。なんでだろ』と話題にします。『地元じゃそれ以上上に行けない』から『仕切り直しだか逆転だか狙ってんでしょ』と話す二人。そして、莉子は『ここは地方だけど、ぜんぜん田舎じゃないし』と地元に残った今を思います。
    再度場面は変わり、『じゃあ、気をつけて』と宏明に向かってことさらに明るい声を出』したのは三人目の主人公・佐々木朱音(ささき あかね)。しかし、『ぐずぐずと足元に視線を落とし』『鈴音に手を伸ばす』宏明に『いいから、もう行って』と朱音は言い切ります。『半年前から』宏明と『別居している』朱音は、『夫の実家の敷地内に「建ててもらった」家から』鈴音を連れて出たことから別居が始まりました。『正式に離婚する前に』二人で『鈴音のお迎えに行きたい』という宏明の希望を叶えてあげた朱音は、『自称「子ども好き」だった』結婚前の宏明のことを思い出します。鈴音が生まれて『子どもがこんなに手がかかるものだとは』と言うようになった宏明の一方で、『日に日に「子どもがこんなにかわいいとは」という思いを強くしていった』朱音。『パパにバイバイして』と言うと『名残り惜しそうな様子も見せず』『「バイバイ」と手を振った』鈴音に、『怯んだように後ずさり』して場を後にした宏明を見送り、朱音は『マンションのエントランスに向か』いました。
    園田、莉子、そして朱音という三人の主人公たちが苦い記憶の残る中学時代を振り返りつつ、今の人生をそれぞれの思いの中に生きていく様が描かれていきます。

    “2023年8月18日に刊行された寺地はるなさんの最新作であるこの作品。”発売日に新作を一気読みして長文レビューを書こう!キャンペーン”を勝手に展開している私は、先月も津村記久子さん「うどん陣営の受難」、藤岡陽子さん「リラの花咲くけものみち」、そして瀬尾まいこさん「私たちの世代は」と、私に深い感動を与えてくださる作家さんの新作を発売日に一気読みするということを積極的に行ってきました。そして、私が読者&レビューの日々の最初期から注目してきた寺地はるなさんの新作が刊行される情報を得て、今回、発売日早々にそんな作品を手にしました。思えば寺地さんについては本屋大賞2023ノミネート作でもある「川のほとりに立つ者は」もこのキャンペーンの対象として昨年10月にレビューしています。

    さて、そんなこの作品の本の帯には、寺地さんの作品にはあまり聞かないこんな内容紹介が記されています。

    “他人を殺す。自分を殺す。どちらにしても、その一歩を踏み出すのは、意外とたやすい。それでも「生きる」ために必要な、救済と再生をもたらす、最旬の注目度No.1作家・寺地はるなのサスペンス”

    本屋大賞2023へのノミネートによって人気作家の仲間入りを果たされた寺地さんを形容する”最旬の注目度No.1作家”という表現は本の帯を考えるとアリだと思いますが、問題は、それに続くカタカナ五文字”、寺地はるなのサスペンス”という部分です。寺地さんもさまざまな作品を執筆されていらっしゃいますが、それでも寺地さんに”サスペンス”というジャンルは違和感を感じます。しかも担当編集者からの一言には驚きの一文が含まれてもいます。

    “まさに人間のドス黒い部分を描く「黒テラチ」の真骨頂!”

    まさかの”黒テラチ”という言葉の登場です。小説を紹介する言葉に”黒”や”白”といった色が使われる作家さんは他にもいらっしゃいます。辻村深月さん、柚木麻子さんが有名だと思いますが、個人的には湊かなえさんも”黒”と”白”を鮮やかに描き分けられる作家さんだと思っています。一方で寺地はるなさんに、このような二色の形容が登場するとは思いもしませんでした。そうです。この作品は寺地さんの作品ということでイメージされる今までの表現世界からは一味異なる世界を垣間見せてくれます。とても新鮮な感覚で読み進めることのできる作品、それがこの作品「わたしたちに翼はいらない」なのです。

    そんなこの作品は序章と終章に挟まれた章題のつかない十の章から構成されていますが、それぞれの章は『*』という記号に区切られて三人の主人公に順に視点を切り替えながら三人の物語が並列に描かれていきます。まずは、作品の主人公となる三人をご紹介しておきましょう。

    ・園田律: 旧姓・室井、三人兄弟の次男、独身。マンション管理会社の広報部で働く。両親は一旦離婚の後、園田が高校に入った頃に再婚。『人生でもっとも暗く過酷だった時期』を中学時代だと認識する先に、『自分こそが中原大樹を殺すべきなのだ』という強い思いを抱いている。

    ・中原莉子: 中学時代の同級生・大樹と結婚。専業主婦。娘の芽愛を保育園に預けるために就労証明書を偽造。夫のスマホを盗み見する中に、光岡という名の女の影を認識している。『かわいければ、なんとかなる。事実なんとかなってきた。これまでの人生』という先の今を生きている。

    ・佐々木朱音: バイト先のコンビニの客であった宏明と結婚するも離婚。娘の鈴音を莉子と同じ保育園に預け、輸入代行の個人商店のような会社で社長秘書(実態は雑用係)として働く。『自分は強くなどない。昔も今も、強くありたいと願い、それを叶えようとはし続けている』と考えている。

    並行して描かれていく主人公三人は、全くの他人ではなく、それぞれに過去と今に接点があり、その関係性は作品冒頭早々に明かされます。

    ・園田律 → 中原莉子の夫・大樹に中学時代いじめを受けていた。偶然、大樹に再会する。

    ・中原莉子と佐々木朱音は『ふたば保育園』という認可保育園に娘を預けている。

    ・吐き気を催し、屈み込んだ園田律に佐々木朱音がハンカチを差し出したことで繋がりができる。

    まさかの運命の悪戯によって、偶然に繋がっていく三人。物語はそんな三人の今の苦悩を描いていくと同時に、今も引きずる中学時代の苦い記憶が描かれてもいきます。中学時代に何かしら負った傷が癒やされぬままの今を生きる主人公たち。

    あなたは、中学時代という多感な時代の記憶をどれだけ持っているでしょうか?また、そんな記憶はポジティブなものでしょうか?それともネガティブなものでしょうか?”人生のたった数年間にすぎない学生時代の出来事をひきずっている人が意外に多い”とおっしゃる寺地はるなさん。そんな寺地さんは、”人間関係はいつまでも一定の均衡を保つわけではなく、いつか必ず変わ”るということにこの作品を執筆する中で気づいたと続けられます。そして、この作品で伝えたいことをこんな風にもおっしゃいます。

    “過ぎたことでも許せないことは許さなくていいし、忘れたくないことは忘れなくていい”

    そして、人と人との繋がりに関しては、さらに一歩踏み込んでこんなこともおっしゃいます。

    “「友達は大事な存在だから、いなきゃいけない」という言葉にストレスを感じる人たちに、「友達は少なくても、いなくてもいいんじゃない」ということを伝えたい”

    この作品では、上記した通り、自らの中学時代の苦い記憶に引きずられる主人公たちの心の奥底にある思いが作品全体に薄暗い影を落としています。マンション管理会社で働く独身の園田律は、中学時代にいじめを受けた過去が、当該者とまさかの再会をしたことで『自分こそが中原大樹を殺すべきなのだ』という思いに集約されていきます。証明書を偽造して娘を保育園に預ける専業主婦の中原莉子は『頭の切れすぎる女は、そしてそれをひけらかす女はかわいくない。かわいくないと愛されない。愛されないと幸せになれない』と繰り返し母親から刷り込まれる中に育ち、『できることでもできないふりをしてき』ました。そんな先の今を『ほんとうにそれでよかったのだろうか。わたしは、わたしが望んだとおりに、幸せだろうか』と思う今を生きています。そして、『いじめの標的』にされ、『飛べ、飛べ』と囃される中に『ほんとうに飛び降り』たという過去を持つ朱音は、教師から言われた『ひとりで生きていけ』という言葉の意味を認識する先にそれからの人生を生きています。物語は、三人がそれぞれの過去に引きずる思いをどう決着していくのか、そんな思いとどう共存していくのかという彼らの心を有り様の変化を描いていきます。

    三人の主人公たちは、中学時代に心の傷を負う中に大人への階段を上がっていきました。そんな中で、三人の心の傷は時が経つにつれ深まりを見せることはあっても決して癒えることはありません。中学時代というものは、私たちの人生の中でも最も多感な時代です。また、私たち誰もがそんな時代に何かしら傷つくこともある時代だとも言えます。しかし、過ぎ去った過去だからと言って、そんな時代をあっさりと忘れることは容易ではありません。また、寺地さんがおっしゃる通り、無理に忘れる必要もないのだと思います。

    丁寧に描かれていく物語の中に、三人の主人公たちの思いがひしひしと伝わってもきます。そして、結末に到達したそれぞれの心境の変化を感じる物語の中に、寺地さんが”黒テラチ”な展開を用いてまで描かれたこの作品、「わたしたちに翼はいらない」という作品の書名に込められた深い思いに感じ入りながら本を置きました。

    『十代の頃って、人生でいちばん良い時代だよね』。

    そんな問いへの答えに『おれは違う』、『いちばん良い時代じゃなかった…』と答える主人公の園田。この作品では、園田、莉子、そして朱音という三人の主人公たちが、中学時代に負った傷に癒されないままに大人な今を生きる様が描かれていました。まさかの”黒テラチ”な展開に新鮮な読み味を感じるこの作品。それでいて三人の主人公たちの心の機微を丁寧に掬い取っていくいつもならではの寺地さんの筆致に安堵もするこの作品。

    まさかの”寺地はるなのサスペンス”に、寺地さんのこの作品にかける強い意気込みを感じた、素晴らしい作品でした。

    • さてさてさん
      にゃおちぃさん、こんにちは!
      こちらこそいつもありがとうございます。
      “短歌を…”というのはどのあたりから思っていただけたのでしょうか?...
      にゃおちぃさん、こんにちは!
      こちらこそいつもありがとうございます。
      “短歌を…”というのはどのあたりから思っていただけたのでしょうか?残念ながら私は全く心得がなく…。
      読みたい本は私もたくさんあって本当に困ります。贅沢な悩みではありますが、時間が限界という感じです…。私はレビューを書くのに、どなたかの読書の起点になることを目指しています。ただ、どうしても好みというものはあると思いますので、難しいですね。
      もし、私のレビューを信じていただけるなら★を見ていただければ幸いです。ブクログ初期の★は怪しいですが、ここ二年ほどはかなり意識しています。★5つは私の心からのおすすめ、かつ、最後の一文で”絶品”と書いているのが本当の★5つという区分にしています。今まで自身の中だけの決まり事にしていましたが、ここにこっそり告白させていただきます(笑)
      今後ともよろしくお願いします!
      2024/01/26
    • さてさてさん
      にゃおちぃさん、すみません。
      ご質問の意味わかりました。短歌に心得は全くありませんが、本を読むようになって色々な世界に関心はあります。一昨...
      にゃおちぃさん、すみません。
      ご質問の意味わかりました。短歌に心得は全くありませんが、本を読むようになって色々な世界に関心はあります。一昨年から昨年にかけて「源氏物語」を読み終え、和歌の世界にはとても興味は持ちました。
      2024/01/26
    • さてさてさん
      にゃおちぃさん、こちらこそありがとうございます。
      私の場合、やたら長いレビューを書いていますので何かモチベーションがないとやってられないと...
      にゃおちぃさん、こちらこそありがとうございます。
      私の場合、やたら長いレビューを書いていますので何かモチベーションがないとやってられないといいますか…ということもあります(笑)。それが、起点作りということです。確かに貴い行いですね→自分(と自分で書くと痛いですけど…)
      短歌も面白そうですね。短歌というと、にゃおちぃさんもフォローされてらっしゃる まことさんが最近ハマられていると公言されていらっしゃいました。興味がわきますね。なるほど。ありがとうございます。
      2024/01/26
  • 体育の授業で「はい!2人組になってー!仲間外れとかするんじゃないぞー!」と言った教師がいました。そんなこと言うくらいなら「隣の人と組んで」とか「出席番号順に組んで」とか言えばいいのに…と思った私。あの教師は学生時代、仲間外れを出さないように気を遣うことができた優しい“あっち側”の人間だったんだろうな…と。


    もう、先が気になって気になって一気に読みました。
    読んでいて、何度怒りでふつふつしたことか。
    中学生の時のスクールカーストを大人になっても持ち続けているヤツらが何人も出てきました(すみません
    (>_<)黒い私を抑えられません(>_<"))。
    自分より下と思った相手には何を言ってもいいと思っているヤツら。キラキラした自分とは、みんな友だちになりたいと思ってるに決まってると思ってるヤツら。
    サイテーのヤツらがいっぱい出てきて、もう呼吸が浅くなってしまいました。それだけ、寺地はるなさんが上手い!ってことですね。
    学生時代は楽しかった、と言える人は幸せです。二度とあの頃には戻りたくないと思っている人もいる。
    どうせ死ぬならアイツを殺してから…その気持ち、分からなくもない。でも、「この人は友達ではありません」とはっきり言える朱音はすごい!どんなに浮いていると思われようが、そんな強さを持って生きていける朱音に憧れます。
    序章と終章に出てきた女の子達が、楽しい学生時代を送れますように。

  •  寺地はるなさんの作品ってスゴいですよね!本当に読んでいて心が痛くなる(いい意味で)…今回もそんな作品でした。

     過去から現在にいいたるまで、生きにくさを感じている3人の視点から描かれるストーリー。その3人とは、4歳の娘鈴音を育てるシングルマザーの朱音、モラハラ夫と同じく4歳の娘芽愛と生活する専業主婦莉子、そしてマンション管理会社勤務で独身、中学時代に凄惨ないじめを受けていた園田…。娘達の保育園で朱音と莉子は接点をもっており、また園田はいじめの加害者で莉子の夫大樹と再会してしまう…。

     いろんな事が短い期間でおきますが、ラストはちょっと救いのあるものでよかったなって思いました。でも、一番心に残ったのは、園田と莉子の娘の芽愛が会話を交わす場面…芽愛の好きなプリンセスの話から「…こういうドレスをいっぱい着たい」と芽愛、それを受けて園田が「いいね」と、さらに芽愛が「お医者さんにもなりたい」「どっちがいいかな?」と園田に尋ねると「かわいいドレスを着たお医者さんになったらいいよ」と、そして、なにかになるためにべつのなにかをあきらめる必要はないよ、とつけたした。ストーリーとは直接は関係ないかも知れないけれど、でもスゴく好きな場面です!!

  • 寺地さんの新作ということで手に取りました
    あっという間に読めました。寝不足!!


    寺地さんはいろんな立場の人の
    心情を描くのがうまいですよね
    やり取りも、その時の気持ちも
    表現がうまくて感情移入してしまいます。


    私だったらどうするか
    娘だったら私はどう声をかけるか
    いろいろ想像しながら読んでいました



    中でも印象に残ったのは
    いじめられた側が強くあるのは誰のためかというところ。

    世の中に沢山ある、
    被害者が立ち直り人生をやり直す物語。
    それは本当に被害者のためなのか?
    被害者の未来を照らし、
    希望を与えるためものなのか?

    いや、本当はいじめた側や、
    傍観者側をまもるために
    用意された物語なのではないか

    だって被害者が自分で悟って
    勝手に努力して幸せになってくれたら
    誰一人責任をとらずにすむから。


    私自身も、こういう作品はよく読んでいて
    希望を与えられたことも多々あるけど
    そういう捉え方もあるのかと
    頭を打たれた気がしました。



    作中にもあった

    いじめられた側が強く生きていくという
    ポリシーを持つことはちっとも間違ってない
    それはそれとして彼らはちゃんと
    罪を償うべきだった
    私があの出来事を乗り越えた、だからもういい
    なんてそんなわけない


    というのがまさにその通りだと思いました。

    いろいろ考えさせられます。


    子どもたちはどう頑張っても
    傷つかずに大人になるのは難しい。
    でもできるだけ、その傷を小さくしたい。
    人にも傷を与えないでほしい。
    強くあってほしい。
    そのためにはどうしたらいいんだろう。


    こういう本を読むと
    いつもこういうことを考えてしまいます。



    それにしても作中に出てくる

    大樹も、美南も、
    朱音の義母も、
    腹立たしいーーーー!!!!!
    どうにかしてくれー!!!!


    いろいろモヤモヤしましたが
    前向きになれるラストで
    読了感はよかったです(^^)





  • 同じ地方都市に生まれ育ち現在もそこに暮らしている3人の物語。

    4歳の娘を育てるシングルマザーの朱音のぶれない強さのなかにも感じる寂しさ。

    朱音と同じ保育園に娘を預ける専業主婦の莉子は、モラハラ夫に苦しみ、ママ友の目も気になる。

    マンション管理会社勤務の独身、園田は昔のいじめから抜けられない。その思いは殺したいほどに。

    それぞれに抱える心の傷にもがきながらも生きるしかない。
    さまざまな葛藤がみえ、揺れ動く心の奥から誰かを欲している。
    そして、その誰かはきっと近くにいる。
    誰もが孤独のようでいて、孤独ではないと思わせてくれた。

  • 「犀の角のようにただ独り歩め」
    小学生の頃にいじめにあっていた朱音が、話を聞いてくれた浜田先生からかけられた言葉。
    仏教の教えで「サイの頭部にそそり立つ太い一本角のように、独りで自らの歩みを進めなさい」という意味があるらしい。「わたしたちの悩みは人間関係から起こる」のだからと。


    夫と姑への不信感から離婚を決め シングルマザとして一人娘を育てる朱音

    中学時代にいじめにあい、人付き合いが上手くいかず自殺を考える園田

    夫のモラハラ、ママ友の同調圧力に悩む莉子

    園田は「自殺するくらいなら、自分を虐めたアイツを殺してからにしよ」ってなるし、莉子の夫もママ友も本当に最低だし。園田や莉子のように 精神を病むくらいなら そんな人間関係は要らないよね、と思う。

    かと言って
    「誰かと仲良くなっても依存はしない」「友達がいないと、恥ずかしという考えは捨てる」と「ひとりで生きていく」と決めた朱音のように、そんなに強くもなれないよとも思う。

    この歳になってみると「ママ友」っていう存在は本当に謎だわーってね、なんで必死に作ろうとしてたんだろ?って思うけど、その時は「ひとりだと思われたくない」とか「孤独だと思いたくない」とかあったんだよなーきっと。


    この本は「黒テラチ」と呼ばれているそうで、人間の嫌〜な部分をたっぷりと見せられ(他人に対しても自分に対しても)、家族って 友達って一体なんなんだ?と考えさせられます。


    人との距離のとり方が苦手で生き辛さを感じている三人。

    三人が出会い、友達でも恋人でもない関係を築く姿を見て、「犀の角」の本当の意味がわかった気がします。

    ✎┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
    「友だちじゃなくても、相手のために行動したり、大切に思うことはできるから」
    「他人に寄りかかるんじゃなく、ひとりでしっかり立てるようになりたい」
    ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

    ひとりの時間も「孤独」ではない。と思えるそんな物語でした。

    • ゆーき本さん
      奥様に届け(*」´□`)」
      奥様に届け(*」´□`)」
      2024/01/27
    • おびのりさん
      だから、私が養うって言ってるでしょう。
      だから、私が養うって言ってるでしょう。
      2024/01/27
    • 1Q84O1さん
      おびさん、伺います!
      おびさん、伺います!
      2024/01/27
  • 親近感を覚え 自分の内面を話し出しても
    相手の受け止め方は全く違っている
    あまつさえ 相手をちょっと憐れんだり
    3人とも自分勝手なわけです
    3人が絡んで 大きな事件が・・・
    起こるかと思えば起こらない
    でも その落としどころは
    なかなかに納得のいくものですので
    ぜひ

  • 過去に傷をもった3人の視点から物語が語られており、それぞれが救いを求める様子は正直読んでいて心苦しいところがありました。

    自分も決して誇れるような思春期を過ごした訳ではなくどちらかと言うと薄ら暗いものだったので、読んでて登場人物の切迫した感情に一部共感できる思いもあり、どちらかと言うと読んでて辛い作品でした。

    本作を通して思ったこととして、思春期や成長期の心の傷って、後の人格形成にとても影響を与えるものであると同時に、どこか自立を妨げる要因となってしまうものなのかなと。

    本作では、その自立の歪みみたいなものが、殺人衝動や他者への過度な依存といった他者を介しての救済を求める行動に繋がっているのかなと思いました。

  • ここ近年、作品毎に良くも悪くも作風やテーマが変化してて、期待しながらページを捲りつつ「?」「どんな話??」とそこまでで得た情報を基に先を想像しながら読み進めるのがお馴染みとなりました。
    今作は、スクールカーストの上位グループ、下位グループにいながら大人になっても各々の呪縛から逃れられない心の叫びが物語の全体を「イヤーな空気感」に
    纏いながら始まります。
    過去の寺地作品からは感じた事がない「誰か死ぬかも感」も物語に瀞みのある味付けしています。
    肝試しをするかの如くも作者を信じて読み進めると、いつの間にか三人の語手に感情移入しいて物語に引き込まれていました。過去の幾つかのカーストたるエピソードにもヒリヒリするという事は、40年以上昔ながらも多かれ少なかれスクールカースト(当時はその様な言語はありませんでした。)を経験してるのかもしれません。

  • 作品のどこに心が引っ掛かるか、人によってかなりバラけそうな作品だなと思いました。
    私は登場人物の母たちの悪意のない、でも結果子どもを不幸にしている、優しさが怖かったです。

全145件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。他の著書に『わたしの良い子』、『大人は泣かないと思っていた』、『正しい愛と理想の息子』、『夜が暗いとはかぎらない』、『架空の犬と嘘をつく猫』などがある。

寺地はるなの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×