辺境・近境

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 38
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534082

作品紹介・あらすじ

辺境なき時代のタフでファンキーな旅の記録。

感想・レビュー・書評

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  • とても端正な文章で
    色んな土地の紀行文
    考えさせられたり
    ほっこりしたり

    思考の断片のようなものが
    さらりと書かれていたりして
    興味深い

    単行本で読めて良かった

    まなみ古書店にて購入

  • 村上春樹に苦手意識があったけどこのエッセイは普通に読んでて笑い声が漏れるやつ。
    春樹さんの中では一番好きだなあ。

  • 1998年5月15日 第二刷
    再読はしないかな
    この頃の村上春樹氏の所蔵本に第二刷が多いのは、地方に住んでいてネットもまだ無くどーしても第一刷が手に入らなかったのねえ。懐かしい思い出。

  • 若い頃、村上春樹の著作といえば、小説しか読まなかった。その時の勝手な作者像(やたらに性的なメタファーを散りばめたり、やたらにビールやクラシック音楽の描写が多かったりするところから勝手に作った作者像)と、旅行記に出てくる村上春樹は、だいぶ違う。

    旅をする村上春樹は、なんというか、チャーミングだ。虫だらけの無人島に辟易したり、メキシコちゃんちゃか歌謡曲に辟易したり、アメリカの温水プール付きのモーテルに辟易したり。そう、この人の旅は、失敗や後悔ばかりなんじゃあないだろうか?とひたすら笑える旅行記なのだ。

    旅は非日常の営みである。そしてこの「旅における笑い」こそが、村上春樹が旅行記を書く理由なのではないか?ハレとしての旅行記は「笑い」をもたらし、村上春樹のシリアスな自己探求の小説と対置される。そこに一種の小説家•村上春樹の均衡を見いだす。

    キャンプ中にコットで寝そべりながら村上春樹の旅行記を読む。そして、次の旅はどこへ行こうかしらん?と思いを馳せる。旅行記は旅行中にこそ読むべきもの、そんな間違った考えを思いつくともなく思った。

  • 村上春樹のエッセイものは、村上朝日堂が初めてでした。
    やはり、この人の感覚は素晴らしい。物事をうまく文学的に捉えられるのだなぁと感心してしまう。

    印象深いのは香川のうどん屋の話。
    ちょうど、先日高松に行った時に、この本で紹介されたうどん屋に行った。というか、この本で紹介されて大人気になった店に行ったのである。
    中村うどん、今は当時ほど尖ってなかったです。
    小縣屋は多分当時と変わってないです。

    あと、ノモンハン。行ったら後悔すると思うけど、気になりますね。

    旅に出たくなる、そんな本でした。

  • 旅の記憶。紀行文たち。
    短めに書かれたのはイースト・ハンプトン(アメリカ)、からす島(瀬戸内海の無人島)、うどん屋巡り(香川県)、アメリカ大陸横断、西宮〜神戸(徒歩)。長めなのはメキシコ旅行とノモンハンについてのふたつ。

    うどん屋巡りのようにゆったりと書かれたものと、ノモンハンやメキシコのように緊張感を持って書かれたものの対比が面白い。

    メキシコで移動中に見かけた運ばれる死体だと思われる男や、ノモンハンで見て回った戦闘の痕跡から村上さんは暴力を感じずにはいられない。とくにノモンハン取材後は深夜に震えてしまうほど恐怖を味わったようだ。

    病気や寿命による死ではなく、誰かの都合によってもたらされる理不尽な死は恐れなくてはならないものだ。
    1939年の夏、日本軍とソビエト・モンゴルの軍の間で激しい戦闘があり、大きな被害を受けて撃退された。つまりたくさんの人が亡くなった。ソビエトとモンゴルの人たちも少なからず亡くなったことだろう。
    その戦闘が無ければ、亡くなった人たちはもっと生きることができたはずであり、彼らの死は理不尽な死だ。

    戦争に限らず、無数の暴力が今も理不尽な死を生み出している。本当はその一つひとつを恐れて恐怖するべきなのに戦争や紛争、何かの事件で人が亡くなるニュース報道を見ても、他人事のように感じている。もしかしたら今日、理不尽な死が自分に訪れるかもしれないのに、それを想像することすらできないでいる。

  • ☆03-04-25Sun駅南ガストで読了 大学時代に読んでいれば行動起こしたか?たぶん無理!メキシコ、アメリカで事故に遭うイメージ持ったはず! 
    12-04-18初下北ビレッジバンガードで下川裕治・12万円で世界を歩く購入→読んだが行動起こすタイプではなかった!
    15-07-19シベリア鉄道のためにロシア旅行社・パンフ貰っただけ・照れて再訪できず→15-09-09東ヨーロッパ旅行→自分に変化はあったか?内気性格変わらず他人の目気にしてばかり!

    イーストハンプトン作家たちの静かな聖地☆1991年秋・カード会社のPR誌

    無人島・からす島の秘密☆1990年8月・瀬戸内海山口県の烏島
    ボートはボートであり、ファックファックである(といっても映画「シャーリー・ヴァレンタイン」を見ていない人にはわからないだろうな)

    メキシコ大旅行☆1992年7月
    …しかし今回、僕は初めの10日間だけはリュックをかついだ昔ながらの貧乏旅行をすることになった。プエルト・バヤルタの空港に下りたって、リュックを肩にかけたときには、正直に言って「うん、これだよ、この感じなんだ」と思った。そこにはたしかに自由の感覚があった。それは自分というひとつの立場からの自由であり、ひとつの役割からの自由であり、クロノロジカルに成立している僕自身からの自由である。そういった自由の感覚が、肩にかついだリュックの重みの中にこめられている。見渡すかぎり、ここには僕を知っている人は誰もいない。僕が知っている人も誰もいない。僕の持っているものはみんなリュックの中に収まっているし、僕が自分の所有物と呼べるのは、ただそれだけだ。

    アカプルコ 死のダイビング ラ・ケブラダの丘の上のホテル プレスリーの映画「アカプルコの海」

    …旅行は疲れるものであり、疲れない旅行は旅行ではない。延々と続くアンチ・クライマックス、予想はずれ、見込み違いの数々。シャワーの生ぬるい湯(あるいは生ぬるくさえない湯)、軋むベッド、絶対に軋まない死後硬直的ベッド、どこからともなく次々に湧き出してくる飢えた蚊、水の流れないトイレ、水の止まらないトイレ、不快なウェイトレス。日を重ねるごとにうずたかく積もっていく疲労感。そして次々に紛失していく持ち物。それが旅行なのだ。
    …僕はホテルの部屋を引き払うときに、何か忘れ物がないかときちんとチェックする。机の引き出し、洗面所、ベッドの上、僕はそれらの場所をひとつひとつ点検する。狭い部屋だから、見逃しようはない。そして何も忘れ物はないことを確認してから、ホテルをチェックアウトする。それでもものはどんどんなくなり続けた。次のホテルに行ってバッグを開け、何かを探す。でもそれはそこにはない。それはどこにもない。
    …もうどうでもいい、何だっていい、何をしようと何をするまいと、ものはどんどんなくなり続けるのだ、と。
     これは一種の悟りである。〈これがメキシコなのだ。これがメキシコにいることの意味なのだ。僕はそのような連続的紛失を、いうなれば自然の摂理として宿命として受け入れ、その重荷を黙々と背負っていかなくてはならないのだ〉
    …「何故かといえば」と僕は答えるだろう、「そのような疲労はメキシコでしか手に入らない種類の疲労だからです。ここに来ないことには、ここに来てここの空気を吸って、ここの土地を足で踏まないことには手に入れることのできない種類の疲労だからです。そしてそのような疲労を重ねるごとに僕は少しずつメキシコという国に近づいていくような気がするのです」と。…ドイツにはドイツの疲労があるし、インドにはインドの疲労があるし、ニュージャージーにはニュージャージーの疲労がある。でもメキシコの疲労は、メキシコでしか得られない種類の疲労なのだ。

     プエルト・エスコンディドからオアハカに向かうバスの中で、よく日焼けして二十歳前後の日本人の青年に出会った。…レストランで彼に昼ご飯をご馳走した。…その青年の姿を見ていると、そういえば僕だって昔はこうだったんだな、という感慨のようなものに打たれることになった。もう20年も昔のことだけれど、僕だってやはりこれと同じような旅行をしていた。ポケットの中にもう数百円しかなくて、2日くらいろくにものを食べられなくて、ゆきずりの誰かに食事をご馳走してもらったことがあった。でも今では、僕はもう誰かに食事をご馳走する側にまわっているのだ。
    …「ねぇ、あなたの顔をどこかで見たような記憶があるんです」と別れ際にその青年はいかにも考えあぐねたという顔で言った。「どうだろう」と僕は言った。「僕にも思い出せないけれど、あるいはどこかで会ったことがあるのかもしれないね」

    讃岐うどん☆1990年10月

    ノモンハンの鉄の墓場☆1994年6月ねじまき鳥クロニクル3部で満州、ノモンハン・雑誌「マルコポーロ」の企画
    ハルピンで列車乗車中、窓から他の乗客の投げたゴミが目に 鉄道中央病院、人民解放軍病院

    …この衝撃的な光景を忘れないためにも、足元に落ちていた銃弾をひとつと臼砲弾の一部を拾って、ビニールの袋に入れて日本に持って帰ることにした。べつに記念品が欲しかったわけではない。ただ、忘れないということが、おそらく僕にできる唯一の行為であるように思えた。そして僕はその手掛かりのようなものを、何かひとつ残しておきたかったのだ。

    …ウランバートルから北京に戻り、そのまま空港で乗り換えて東京に帰ってきた。飛行機の中のNHKニュースは、村山首相がナポリサミットで倒れたことを報道していた。…そしてその同じ日に、金日成主席の死が明らかにされた。
    …ちょうど小学校時代に本で見たノモンハン戦争の古ぼけた写真が、とくに明確な理由もないままに僕を魅了し、その三十何年か後にはるばる僕をモンゴルの草原の奥にまで連れていったのと同じように…。

    アメリカ大陸を横断しよう☆1995年6月
     僕は旅行の間ずっとトラベルログをつけていたのだが(どんな旅行に行っても僕は必ず毎日トラベルログを丹念につける。僕は人間の記憶というものを-その中でもとりわけ僕の記憶を-まったくあてにしていないから)、アメリカ中西部のモーテルとレストランについてはさすがに、途中からもう何も書くべきことを思いつけなくなった。だから今手帳のページを繰っても書いてあるのはほとんどモーテルの名前と部屋代だけだ。

    神戸まで歩く☆1997年5月
     僕は戸籍上は京都の生まれだが、すぐに兵庫県西宮市の夙川というところに移り、まもなくとなりの芦屋市に引っ越し、十代の大半をここで送った。

    須磨ニュータウン・少年通り魔事件
    数ヶ月後、そのカフェ・ラウンジで暴力団員による拳銃の乱射事件

     運ばれてきたシーフードピザには「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついている。

    談話記事
     僕はだいたいにおいて、実際に旅行している間は、そんなに細かく文字の記録はとりません。そのかわりいつも小さいノートをポケットに持っていて、その都度その都度ヘッドラインみたいなものをそこに並べて書き込んでいくんです。

     いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思いを追確認することが、即ち旅ですよね。そういう見極めみたいなものがなかったら、たとえ地の果てまで行っても辺境はたぶん見つからないでしょう。そういう時代だから。

  • 旅に出たくなる

  • まずはやはり「讃岐・超ディープうどん紀行」でしょう。結局香川まで行ったんだから。あとのものに関しては、これまでの作者の旅行ものとははっきり違った視点が感じられた。一言でいえばパッセンジャーとしての視点である。

    「遠い太鼓」は旅行記というよりも滞在記であり、物事を見つめる視点にも生活感があった。でもこの作品に収められている紀行はどちらかというと「雨天・炎天」のトルコ篇に近い印象を受けた。あくまでも通りすがりのものとしての視点を感じる。それがよいといえばよいが、物足りないといえばそういえなくもない。特に「遠い太鼓」を面白く読んだものにとっては一寸食い足りないかな、という気がする。

    「ダンス・ダンス・ダンス」に出てきたユキの父親の牧村という小説家の名前が村上のアナグラムになっているというのがずっと頭から離れなかった。多分村上は自分のこうしたところをもとに牧村という人物を描いたのではないだろうか?(でも書かれた年があわないか)

  • 2017/01/16 読了

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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