シンメトリーの地図帳 (新潮クレスト・ブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900816

作品紹介・あらすじ

かつて魔法に取り憑かれた少年がいた。数学という名の魔法に。巻き貝の殻や呪文のような秘密の文字が書かれた本の中に、世界を解き明かす鍵があるとしたら?少年はやがて数学者となる-。自然界はもちろん、音楽や美術、建築にも、異性に対する好みにさえ現れる「対称性」。その"シンメトリーの素数"を網羅した「地図帳」を完成させようと奮闘した数学者たちの姿をユーモラスに、しかし感動的に描く数学ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 対称性は数学の統一につながる共通言語の意味がちょいとわかった。

  • 人類のシンメトリーの探求を歴史と現在を織りまぜて描いている.終
    点は有限単純群の分類.コンウェイの単純群の発見のエピソードは「シンメトリーとモンスター」でも読んだが,数学の発見の興奮がこちらにも伝わってくる.著者の文章もうまくて読みやすい.

  • 対称性・群

  • 文学

  • 群論の対称性について追いかけた学者の話。数学史の説明や素数の話しなど。薦められたので読み始めたが自分にはつまらなくて途中で止めた。

  • 数学なんてちっともわからない私だけれど、興味深く読んだ。シンメトリーを中心とした数学史と著者の自伝的エピソードの数々。数学者たちの、なんとも楽しそうな交遊録。この人たちは、数学というものを通していともたやすくお互いを受け入れていくのだ。
    世界各地の数学者たちの挑戦。時として、それが自分自身を苦境に陥れることもあったりして。数学なんて全然得意じゃないけれど、面白く読んでしまった。数学の学問的な解説は、すっ飛ばしたけど…

  • 『だからこそヘルマン・ロールシャッハは、シンメトリーなインクのシミを使って、患者の無意識の扉を開こうとしたのだろう』―『頭の中の鏡』

    素数に訳もなく惹かれる。例えばフェルマーの定理に惹かれる感覚やピタゴラスの定理に魅せられる感覚とそれは近いものかも知れない。しかし決定的に何かが違う。それはむしろ、無限に異なる大きさがあると知った時の興奮に近い感覚。単純な規則に縛られた数の持つ深遠さ、とでも言おうか。シンメトリーという概念はそれに比べるともっと捉えにくいが、素数との関係が示されると親近感が湧いてくる。そんなことを思う。

    数学はユニバーサルな言語であるとよく言われる。数式に国境はなく表された概念は言語の違いを越えて定義された概念に結び付き、正確に同じ意味を伝えることが出来るのだ、と。その感覚を更に延長して宇宙人とでさえ意思疎通が出来るかも知れないと言う人もいる。カール・セーガンのコンタクトに描かれていたのも、超越的な知と人類の最初のコンタクトが素数という概念を端緒としたものという話だった。なるほど確かにそうなのかも知れないと思う。

    しかし数という概念をどこまでも突き詰めて行くと、果たしてそれが人独自の考え方に紐付くもの、詰まり人類の脳の構造・機能独自のものではないと言い切れるのかという疑問に行き当たるような気もする。例えば光の三原色という概念を教わると、なるほどそれは物理現象を的確に説明することが出来て、あたかも無限のスペクトラを持つ光もいうものが単純な三つの色に還元可能であるかのような感覚が芽生える。しかし更にそのスペクトラの端の赤の先を探って行くと、目に見えない赤外線なるものが存在すると教わる。曰く電気炬燵はその光で暖かいのだ、と。子供心には紫は赤に近い色と思われるし三原色の教えでも赤から紫への移行は連続的で如何にもそこに閉じた循環があるように思えたのに、「外」が急に現れるのだ。そうこうしている内に生物の授業で人間の視覚は三つの色に対する受動態から構成されていることを習う。身体を構成する器官の生成に用いるエネルギーや資源を効率的に用いるためにそう進化してきたのだ、と。なんの事はない、光の三原色という概念は物理法則ではなく人間の都合で決定されていたものなのだ、と理解する。それと同じようなことが数という概念にも内包されていないのだろうか。

    自然数という概念が物理的存在と分かち硬く結びついているのだから、それは人間の感覚から独立した実存として存在するのだと納得することもできるような気がする。ところが本書を読んでいるとその感覚も怪しくなる。シンメトリーの世界を見ていると、無限という感覚が揺さぶられたような気になるからだ。

    カントールがℵ0の無限の濃度をひょいと繰り上げてℵ1の無限を捻り出したような不思議さは、整数と実数という数の概念に結びつけることによって辛うじて素人にも分かったような気になる事が出来る。しかし、物理的な次元が4以上存在しても構わないように、ℵ1よりも大きな無限は定義可能だ。それがどのような無限かはもはや素人には理解不能ではあるけれど。本書の中でシンメトリーを追いかけていくと同じような次元の繰り上がりに似た感覚を覚える。例えば辺の数が素数である立体のシンメトリーは無限にあるのに、その分類は有限だと証明されていると言われる。何故そんなことになるのだろう、と頭の中で大きな疑問符がわく。シンメトリーが整数的な概念に紐付く故に、そこには一つ一つ数え上げて行けば間違いは無いという感覚がある筈だ。しかしホワイトヘッドとラッセルがい1+1=2ということの証明に大量の頁を費やした挙句、その無矛盾性はゲーデルに否定されてしまったことを思うと、本当にそれは証明可能なことなのだろうかと無知を承知の上で漠然と思考停止になる。そして、そもそもそんな数式が人間の感覚に由来していないと言えるのだろうかと不安になるのだ。

    もちろんそれに対する答えは持ち得ない自分ではあるけれど、そんな疑問を持つことも含めて、シンメトリーの世界と群論を築き上げて来た人々の話を追うことは、とても刺激的な読書であったことは間違いはない。何しろ無限を数え上げるって凄い話だよね。

  • 数学の解説本でもない、簡単な一般向け本でもない、「数学エッセイ」とでも言うべきものが完成をみたようだ。

  • 「シンメトリーの地図帳」読んだ。新潮クレスト http://www.shinchosha.co.jp/book/590081/

    自然界や人工物に見られる模様や構造の対称性が、数学の世界でこんなに重要な研究対象になっているなんて知らなかった。
    対称の定義と種類、蜂が対称性を認識して集蜜していること、エッシャー、バッハやシェーンベルグ、ウイルス、サリドマイド、曼荼羅、システムエラーの解析、イスラム文化とアルハンブラ宮殿、などなど。本で展開される数学の説明はひとつも理解できないのに、個々の数学的事実にいたく感心するという不思議な体験をした。
    結局数学とは両思いになれないままだったけどこういう本を読むのは好き。
    これを読んでからアルハンブラ宮殿に行きたかったなあ。

    音楽と仏教は完全さを避け曖昧さを残したがるという話がおもしろい。完璧と曖昧との両方に美を感じる人間の脳の不思議よ。

    研究者たちの研究生活と人生にも胸を打たれる。
    デュソートイは、どんな賞賛より処遇より、新発見の興奮こそが数学者にとっての最高のご褒美だ、と言うけれど、偉大な発見をしながら認められず苦労し早逝したアーベルのエピソードを読むと、死後の勲章よりやっぱり生きているうちに本人へ直接言葉を伝えるほうがいいなと思う。

    読み始すまで、タイトルから、対称の世界地図に比喩される仮想世界ひいては個人の内面世界のような観念的な内容を勝手に想像していたんだけど、ごりごりの現実的な数学本だった。。。タイトルだけでそんな想像をする自分てすごい。さすが子供時分は妄想遊びが一番の友だっただけのことはある

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