マザリング・サンデー (新潮クレスト・ブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901455

感想・レビュー・書評

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  • 愛というのは線ではなく点だ(と私は思う)、とぼんやり頭にあったのがはっきり言葉になったのは、アリス・マンローの「クマが山を越えてきた」を読んだ時だった。
    同様に、青春というのも一定期間繋がった線ではなくて点なのではないかと今作を読んで思った。
    そしてもしそうなのであれば、ジェーンにとっての青春は1924年のマザリング・サンデー、その一日なのだろう。
    静かで、豊かで、皮肉で、とても美しい物語。
    また文章の見事なこと!
    「むかしむかし、男の子たちが戦死する前、まだ自動車よりも馬の方が多かった時代、つまり男の使用人たちが姿を消し、アプリィ邸もビーチウッド邸も、料理番一人とメイド一人で間に合わすことを余儀なくされるより前のこと、シェリンガム家は邸内の馬屋につなぐ四頭の馬ばかりか、これぞ本物の馬といいたくなる競走馬、サラブレッドも一頭所有していた。」
    完璧なでだし。
    大好き。

  • 1920年代、自分たちの私生活のために人を雇うことができる階級が一定層存在した時代の英国。22歳のメイド・ジェーンは奉公先の近所に住む御曹司、一つ年上のポールと7年間男女の関係にある。身分違いの二人の関係はもちろん秘密で未来はなく、雇われ人が母親へ会いに行くため休むことを許される3月の日曜日=マザリング・サンデーの逢引は、ポールの同じ階級の令嬢との結婚を2週間後に控え、最後になるだろうものだった。そしてその最後は意外な形で幕を下ろす…。

    出足が面白すぎるだけに、98まで生きて成功をおさめたジェーンの現在が時折り挿入される物語の経過時間から言ってやや短過ぎる分量もあり、最後は少し尻すぼみな感じ。

    それでも、狭い世界を描きながら第一次大戦後の英国社会をくっきりと浮かび上がらせる文章力、情動に流されることを許されない生い立ちを背負い、湿っぽくならずに悲しみや切なさを乗り越えて生きるヒロインの姿に打たれる。

  • 使用人と主人、男性と女性、しっかり分断されていた頃の話。身分を超えて結ばれるのか否か、始めは恋愛小説かと思った。しかし秘密を分かち合う相手の男性は事故死してしまう。これは事故か自殺か、俄然ミステリーの趣きも合わせつつ、思えばこの話こそ虚構とも受け取れる。題名の「年一度の使用人の立場から解放される日」が意味深に思える物語だった。

  • 孤児院出身のジェーンは、メイドとして働いているが、年に一度メイドが休みをもらって実家に帰れる5月のマザリング・サンデーに行くところがない。ご主人夫婦もご近所のご夫婦たちと昼食に出かけるという。ご主人の許可をもらってご主人の図書室の本でも読んで過ごそうかと思っていると、隣のお屋敷のお坊ちゃまから電話がかかってくる。誰もいなくなるお屋敷での密会の誘いだ。ジェーンは、そのお坊ちゃま・ポールと密かに会ってはベッドをともにしているのだ。そして、ポールは別のお屋敷のお嬢様と近々結婚するのだ。

    孤児院の出であるジェーンではあるが、読み書きなどの教育は受けており、後々それがジェーンを作家へと導いていく。しかし、作品のなかで一番美しい映像となるのは、ポールが出かけた後の誰もいないお屋敷の中を裸で歩き回るところだ。それが、後の作家としての下敷きになっているらしいこともうかがわせ、とても印象深い描写になっている。

  • これほどまでに衝撃的でなくても人生を決定的に変えてしまう一日って、誰にでもあるような気がします。

    主人公が物書きとして歩み始める十分な素地と理由が緻密にゆっくりと描き出されており、しみじみと味わい深い人生です。
    言葉を得ること、知識を得ること、深く愛するけど多くは求めないこと、決して人には語らない語る必要もない人生の秘密を抱えて生きるということ。様々なことを考えさせられる名作です。

  • 裸族としては、コンラッドを読まねばならんなと思った次第。
    <オックスフォード>期、斜にかまえた感じがよき。主人公の虚勢はってる部分と老練ぷりの混在がストンときて、中編でも充足感ある。

  • 彼の本は初読だった。読み始めて数ページで魅了された。豊かな言葉のひとつひとつが、またある種の言葉遊び(微妙な言葉使いの違いをいとも簡単に説明している)が彼の才能を思わせる。ジェーンの、起こることは決してない事柄を彼女が想像する度に切なさを感じた。物語は初めから結末はわかっていた。でも、重要なのはそこではない。「人生はこんなに残酷にもなることができ、けれどもそれと同時にこんなに恵み深くなることができる」とあるように、彼女はマザーリングデーに起こった悲劇とその後の彼女の幸福を人生を通じて語っているのである。

  • 人生を変えた一日といっても、そこにもまた別の可能性に溢れていた。物にもしても、空間にしてもそこには無限のストーリーがあるのだ。作者はその無限の可能性を描きながらも、実際に通ったであろう一日の道筋を精緻に描く。創作と現実が融合したような不思議な小説だ。
    別の道を思い描くということはメイドであることから逸脱している。だからこそ、彼女は作家になっていく。一方で、彼女の上昇とは対比的にポールは正体不明の死に向かっていく。この話自体も改変されたものである可能性は高い、しかし、彼女にとってスペシャルな事実であることに変わりはないだろう。

  • メイドが年に1回里帰りできるマザリング・サンデーのある20世紀のイギリスを生きたメイド出身の女流作家がその日の出来事を中心に振り返る。
    どこまでが想像でどこからが本当のことなのか…そもそも本当のこととはなんだったのか…1世紀の間に人々の生活様式は変わったなかで曖昧に混ざった感覚になる。
    決してあり得ないことがおきたとあるマザリングサンデー。全てが自由で枷が外れたと感じた瞬間から既に動きだしたのかもしれないし、その後の出来事が自分自身を見つめるきっかけになったのか…

  • 年に一度メイドが里帰りできる日。
    たった一日の出来事、その一日を過ごす彼女の世界は息を呑むほど色鮮やかで、その一日には彼女の生涯すべてが描かれている。
    彼女の想像力を描く作家の想像力に圧倒される。「想像力豊か」をこんなに体現した本を、他にはすぐに思いつけない。

    小説を書くということは、あるいは自らの、もしくは誰かの人生を切り売りしてそこに意味を見出す行為なのかもしれない。
    けれどその一方で小説を書くということは、どこにもいない「その人」を深く思い、考え、作り上げ、その人に自らの想像力すべてを捧げる祈りと希望に満ちた行為なのかもしれない。

    書くということを考える。
    想像し、書くこと。
    自分の言語を手に入れること、これしかないと思える自分だけの言語を見つけにいくこと。
    書くという行為に身を置く限り、それはきっと旅のようなものなんだ。ずっと、遥か遠くの場所を目指して旅をしているようなものなんだ。
    書くということは。

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