- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106037184
作品紹介・あらすじ
中世において「哲学」は「神学」の形をとった。キリスト教信仰と古代ギリシア哲学の出会いによって「神についての学問」が生まれ、ヨーロッパ精神が形作られていった。神の存在、天使の堕落、人間の富や色欲を当時のヨーロッパ人はどう考え、語ろうとしたのか?中世神学から「信仰」のベールを剥ぎ、その実像に迫る。
感想・レビュー・書評
-
先日「ふしぎなキリスト教」を読んだときに八木雄二さんの「天使はなぜ堕落するのか」が話題になっていたので、その前に、最新のこの本を読んでみました。
難しかったです。たぶん半分も理解できていない。
難しい理由はふたつ。
哲学というものがじぶんに難しいということ。
もうひとつは中世の西ヨーロッパのひとの気持になって考えるのがすごく困難だったということです。
それでもなんとなくわかるところは面白かったのです。
なのに、終わりのほうでこんな記述がありました。
>正直なところ、中世神学のテキストは、キリスト教徒でない者には、一見煩瑣で興味のもてない論述に満ちていて、そのなかにときどき興味深い論があるという程度である。だが、逆に言うと、興味のもてる論述ばかり探していると、煩瑣な議論に隠れた真実を見落とす可能性もある。
………。
でも私は中世のキリスト教をやっぱり知りたいから、またときどき挑戦させてください。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中世の神学と哲学とについて初歩的な事柄から教えてくれる。
三位一体、新プラトニズム、アリストテレス形而上学、普遍論争、神の存在証明など
キリスト教独特の概念を、繰り返し別の言葉で説明してくれる。
時として日本人の考え方との対比を出してくれたりもする。
神への信仰が西洋の哲学的土壌を生み出したのだなと感じさせる。
神学は存在そのものや眼前で起きる事象に対して、
神にまつわるなんらかの理由付けを模索することに徹底しており、
その理由付けの批判と発展によって近代哲学や近代科学を生み出した。
また、個人主義は神と一個人との対峙の中で生まれる思想であったことを改めて知った。 -
アンセルムス,トマス・アクィナス,ドゥンス・スコトゥス,ヨハニス・オリヴィの業績についてよくまとめられている。時に日本の思想を補助線に。
-
中世神学に近づくために:
中世、その時代と場所
ギリシア・ローマの哲学遺産
キリスト教の権威
「目に見えない世界」の奇妙な構造
キリスト教神学の誕生―アンセルムスの世界:
形而上学・神学・スコラ哲学
「信仰以前」の世界
地上の世界をいかに語るか―トマス・アクィナス 『神学大全』:
天上から地上へ
中世における精神と身体
二重に見える神
神学者が経済を論じるとき―ドゥンス・スコトゥス 『オルディナチオ』:
神の自由と「別の可能性」
私生児の遺産相続
金儲けは正義か?
所有・貸借・利子
中世神学のベールを剥ぐ:
修道士の精神世界
「普遍」とは「もの」である
神の存在証明
フォーマルな知と情
「天使の堕落」問題
信仰の心情と神の学問:
キリスト教信仰の文学的土壌
学問への不安
中世神学の精髄―ヨハニス・オリヴィの学問論・受肉論
神学は藁屑か?
学問に必要な七つの事柄
照明・味覚・発語
神の受肉をいかに証明するか
神学と科学 -
スコラ哲学の始めとして読んだ。中世の価値観の違いが確認できた。仏法についての理解はいまいち。
-
神を哲学した中世: ヨーロッパ精神の源流 (新潮選書)
(和書)2012年12月18日 19:18
八木 雄二 新潮社 2012年10月26日
キリスト教神学の読み解きが非常に面白いです。神学がどういうものか始めて考えることができる。かなりの労作でそれを惜しげもなく披露してくれる著者に感謝したいとおもいます。
古代哲学・宗教から中世へそして近代・現代へ続くものをどう捉え考えるか非常に参考になる本です。
図書館で借りたけど購入したい一冊です。 -
中世のアルプス以北の森の中を開拓した修道士。町の半数は修道士だったのでは。
童貞は結婚に勝る。童貞を捧げることで神は報酬をくれる。現世では知識、死後は天国を。知的好奇心旺盛な若者は修道士になることを選んでしまう。
修道士は天使のように生きる。ただしキューピッドはローマ神話の悪魔の一種。肉欲。
武力では領土の独立しか果たさないが、宗教によって統一が果たされる。天使のような、神に仕える平和の戦士。
形而上学と神学のセット。
(現代でもスピリチュアル系の人は中世神学の感覚なのではないか?)
アンセルムスの神の証明でも最終的に、存在するから存在するという同語反復となる。しかし神学は、信仰の世界をもつ人間にとって信仰の内側の世界で成り立つ哲学を目指している。
外部からの反論に対する論拠も、外部とはユダヤ教イスラム教を想定しているので絶対神や旧約聖書を前提とした論拠であった。
神の世界は円と幾何学の整然とした世界。建築も庭園も、音楽も幾何学的にキレイでなければならない。
予定説は下位のすべても予定されているというが、新プラトン主義のように上位の存在は摂理に支配されているが下位の存在は偶然に支配されているという。
(予定説は無理がありすぎるのでこれでよかったのでは?でもそれだと辛い人生を納得させる術がないのか……)
一方スコトゥスの説では、予定説はなくどんな行いも過去も死後神の前に来たときに信仰心に応じて書き換えられることになっている。
信心深い人の不幸もこれで解決。
神の自由さを有限化したのが人間の自由なので、信仰心のもと自由に色々やるべし。→科学の発達へ。分析哲学「可能世界論」へ。
キリスト教的理性とは、ロジックから出てくることでそこには理性的感情というものもある。日本人は理性と感情を対比させるので非常にわかりづらい。
修道士には非常に細かい日々の規範やスケジュールがあった。
中世でもアリストテレス哲学(最新の知識)を学んだ人たちの中で、信仰(宗教)など必要ないという風潮も。
また神学を学ぶことに熱心な人の中にも、信仰の実践が疎かになる人も。
本書では中世の価値観に少し近づけた気がする。
最終的には神だから神なのだ、神はいるのだという同語反復や、信仰の心を体験したものには分かるという主張の神の存在証明中心の中世に、アリストテレス哲学の論理による存在証明が入ってきてどちらとも整合をつけようとする当時の修道士・神学者の論理や気持ちに少し近づけた気がする。 -
[時去れど今なおの輝き]その分野が重要であろうことは頭で理解しつつも、多くの日本人にとってなかなか手が出ないヨーロッパ中世期の哲学。現在の考え方と中世のそれとはどのように異なるのか、そして中世の哲学は神と世界をどのように理解していたのかを探る一冊です。著者は、西欧中世哲学を専門とする一方、日本思想についても詳しい八木雄二。
中世哲学の世界に入る前に、その世界に入るための頭作りをしっかりとしてくれるところが魅力的。現在の一般的な考え方からはおよそ理解できないであろう世界観を、懇切丁寧に比較や例示を用いて説明してくれています。「中世」と「哲学」という言葉が2つ並んだだけで(自分もそうなんですが)尻込みしてしまいがちになりますが、本書を手がかりにその奥深さを体験してみてはいかがでしょうか。
哲学という主題を通して、中世の人々の生活、特に修道士のそれについての知見を得ることもできます。現在では想像もつかないほど大きな影響力を有していたという修道士の生き方を覗くことで、キリスト教(特にローマ・カトリック)の教義や「仕組み」を学ぶことができたのも有益でした。
〜近代科学の運動の考察にも神学の寄与があったことを知るとき、人間には何らかの形で信仰が必要であることを認めざるを得ないのではないだろうか。この問いは、やはり今なお、哲学に突きつけられている。〜
彼我の隔たりを否応無く感じました☆5つ -
一般書にしては、緻密な考証で、西洋中世の神学をどうアリストテレスと折り合いをつけるかが焦点です。具体的には、アンセルムス、トマス・アクィナス、ドゥンズ・スコトゥス、ヨハニス・オリヴィを扱っています。それぞれの論証の過程がとてもおもしろいです。でも、この著者はキリスト教徒ではないそうです。
日本との比較の視座を入れるなら、どうして「わび」「さび」になるのか、わからないです。むしろ「空」の「実体」がないということとの比較の方がわかりやすいのに。