豊臣大坂城 (新潮選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106037665

作品紹介・あらすじ

大坂の陣から四百年。天下の名城はどのように作られ、いかに落城したか。豊臣秀吉は四度の工事を経て、自らの根城を惣構えで固めた難攻不落の巨城へと変貌させた。秀頼統治下の大坂は「パクス・オーザカーナ」ともいうべき繁栄を謳歌するが、徳川豊臣二重公儀体制のバランスが崩れた時、両軍は激突、城は灰燼に帰した。その城内の様子や真田丸などの堅固な防御を、考古学的発見と歴史的文献を駆使して再現する。

感想・レビュー・書評

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    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99765838

  • 近世城郭の価値は、建造物ではなく、外郭にある。

  • 豊臣秀吉が建てた天下の名城、大坂城。
    それは何重にも堀を廻らし、物理的には正に難攻不落の名城ではあったが、家康の戦略と調略の前には脆くも落城した。
    関ヶ原以降、豊臣は摂河泉を治める一大名の地位に落ちたと考えられていたが、それは事実では無く、江戸徳川幕府と、大坂豊臣右大臣の二元体制にて日の本の政が行われていたようである。また、家康が秀頼を決して蔑ろにしていた訳では無く、あくまでも主筋として考え、豊臣の存続を意識していたようだ。
    しかし、方広寺大仏殿の鐘銘事件を境に歯車が狂ってくる。従来、その文字はあくまでも偶然であり、家康の言い掛かりと言われていたが、良く考えれば当代随一の高い学識を有する言わば言葉のプロフェッショナルである名僧が、そのような簡単なミスを犯すことは不自然と指摘する。豊臣は現実的な自らの状況を省みず、自ら破滅の道を歩み始めてしまったのだ。

  • 大阪城と言えば、今の大阪城を思い浮かべるが、秀吉が築城した大坂城は地下に埋もれている。しかも4度にわたる大工事の上に築かれた巨城だった。
    本書は、発掘調査でわかった大坂城、夏の陣までの歴史を専門家が選書にまとめたもの。
    思うに、豊臣氏や大坂城に我々が惹かれるのは、平家や義経のように、そこに短い栄華と没落の美を感じるからではないだろうか。大坂城の築城が始まったのが1583年、夏の陣が1615年。ほんとに短い期間だったのだ。

  • 大阪城の遺構について特に詳しく記述されているので、それについて知りたい人には便利。図や写真の資料の掲載はあるが、専門用語などの注が付いていれば読みやすかったかもしれない。

  • 光秀を倒したら直ぐに秀吉の天下にはならないように、三成を倒しても家康の天下にはなりません。では、家康は天下取りに向けて、どう動いたのしょう。多くの歴史書の誤りを正し、端折ってきたその後の経緯を詳らかにしています。ありそうで無かった書籍です。冬の陣の講話条件や堀埋め騙し討ち事件の真相など、知りたかったことが分かりました。

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター名誉教授、大阪学院大学法学部教授。博士(文学)(京都大学)。専攻は日本近世史・武家社会論。主な著書に『主君「押込」の構造』(平凡社)、『士(サムライ)の思想―日本型組織・強さの構造』(日本経済新聞社)、『武士道の精神史』(ちくま書房)、編著に『徳川社会と日本の近代化』(思文閣出版)、『徳川家康─その政治と文化・芸能』(宮帯出版社)ほか多数。

「2020年 『信長の自己神格化と本能寺の変』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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