流人道中記(下) (単行本)

著者 :
  • 中央公論新社
4.10
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感想 : 95
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120052637

作品紹介・あらすじ

読売新聞大好評連載、待望の書籍化。
浅田作品史上、最高の涙をあなたに。

この男、仏か、罪人か。
奥州街道の終点、三厩へ向かい北へと歩む罪人・青山玄蕃と、押送人・石川乙次郎。
道中の宿場で、二人は抜き差しならぬ事情を抱えた人々と行き会う。
親の仇を探し旅をする男、無実の罪を被る少年、病を抱え宿村送りとなる女……。
彼らを救わんとする玄蕃の行動に触れるにつれ、乙次郎の武士としての心は揺らいでいく。
やがて明らかになる、玄蕃の抱えた罪の真実。
小説でしか味わうことのできない、感動の結末が訪れる。

感想・レビュー・書評

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  • 武士を貫き通した大身旗本・青山玄蕃……。

    流人道中記 下巻
    2020.03発行。字の大きさは…小。

    破廉恥罪で旗本3250石、新番組士の青山玄蕃が冤罪で蝦夷福山へお預け。押送する町奉行所与力見習の石川乙次郎19才は、この旅でどこまで成長するか楽しみな物語です。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    青山は、破廉恥罪で切腹を申し渡されたのであるが、言い訳をせず、腹を切るいわれがないので拒みます。そこで蝦夷福山の松前伊豆守へお預けとなります。
    江戸から津軽三厩(みんまや)まで、青山を与力見習の石川が押送します。その旅で、石川は、どんどん成長して行きます。いろんな人が出てきます。その都度、青山が、情を絡めて見事に解決して行きます。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    【読後】
    私は、最後まで本当に青山が、罪人なのかと信じられませんでしたが、やはり冤罪でした。
    この物語は、石川の成長の物語です。旅に出る前の暗くくよくよした石川が、1ヶ月ほどの旅で、三厩で青山と別れるときは、力ずよく自信にあふれています。これからの石川の物語を読みたいです。
    2021.06.22読了

    ※流人道中記<上> 2021.06.21読了
    https://booklog.jp/users/kw19/archives/1/4120052621#

    • やまさん
      しずくさん♪見つけました。
      上巻は、単行本ですが。
      下巻は、「電子書籍」でした。
      感想素敵ですね。
      青山玄蕃の心意気がいいですね。
      ...
      しずくさん♪見つけました。
      上巻は、単行本ですが。
      下巻は、「電子書籍」でした。
      感想素敵ですね。
      青山玄蕃の心意気がいいですね。
      私は、上巻は、上巻の感想を。下巻は、下巻の感想を書いています。
      しずくさん♪は、上下巻で下巻にまとめて書いているのですね。
      2021/07/04
    • しずくさん
      今コメントに気付きました。 見つけられてよかったです。また良い本があったらご紹介ください
      今コメントに気付きました。 見つけられてよかったです。また良い本があったらご紹介ください
      2021/07/04
    • しずくさん
      下巻が電子書籍になっていたとは、うっかりしていました。
      下巻が電子書籍になっていたとは、うっかりしていました。
      2021/07/04
  • 『破廉恥』な罪を犯して蝦夷福山へ預かりの身となった青山玄蕃と彼を押送する奉行所の見習い与力・石川乙次郎の道中物語後編。

    上巻の終盤、宛の無い敵討ちの旅を七年も続けている神林内蔵助という男と出会った二人。神林はかつての乙次郎と同じく部屋住みの身分、いわばお家存続のためと部屋住みの彼を厄介払いするために宛の無い旅に出されたのだった。
    またこの宿場ではもう一人、騙されて押し込み強盗の手引きをさせられて死罪が決まった小僧・亀吉とも出会う。この当時、十五才以下であれば死罪は免れたらしいのだが亀吉は親が歳を偽って奉公に出したため書類上は十六歳になっていた。

    双方の事情を知れば知るほど暗く切なくなる。神林は武家の面目を保つために翻弄され、亀吉はその幼さと無学無知なために死罪に相当する大罪を犯してしまった。

    ところがここでまた偶然が起こる。神林の敵がついに現れたのだ。
    となると再び青山の出番。仇討ちの見届け人を買って出、乙次郎には助太刀をさせる。
    ついでに亀吉の様子も見に行く青山に期待が膨らむ。先の大泥棒発見の時のように皆が救われる道へ導いてくれるのではないかと。その結末は…。

    次に出会ったのは夫の供養の旅の途中で病に倒れた中年女性。当時『病を得た旅人が故郷に帰りたいと願ったなら、沿道の宿駅はその懸命の意思を叶えてやらねばならな』いという『宿村送り』という法があった。もちろんその際に掛かる治療代や食事、宿泊代に旅費は沿道の宿駅持ちになる。

    女性の事情が次第に見えてくると『宿村送り』の行方が気になるのだが、同時に青山玄蕃の事情も少しずつ明らかになってくる。
    青山が何故様々な人々と直ぐに打ち解けるのか、何故物事を捌けるのか、そして時に何故厳しい判断もするのか。
    そこには乙次郎の事情も可愛く見えてくるほど数奇で厳しい人生があった。

    これまでの道中で様々な人々の人生や思いに触れてきた乙次郎。自分のような下っ端武士にも辛さがあるように、青山のような身分の高い者にはそれなりの、また様々な役職や町民、果てはその土地ならではの悩み苦しみ迷いがあることを知る。
    そして改めて『法』とは何なのか、人が人を裁くことの恐ろしさや疑問も抱える。

    『本来はおのおのが心得ねばならぬ当然の道徳こそが礼。功利や我欲によって礼を失したゆえに、法という規範が必要とされるようになった。すなわち、僕らが全能と信ずる法は、人間の堕落の所産に過ぎぬのです』

    この文章にはハッとさせられる。日本はあらゆる法やシステムが性善説を前提に作られていて違和感を抱いていたが、それが本来あるべき姿なのだ。

    『宿村送り』の女性との別れの後、青山はついに『破廉恥』な罪の全貌とお家取り潰しにまで発展した経緯を語る。上巻で予想していたようなご時世との関係は無かった。しかし乙次郎同様、青山への反問疑問は湧いて出る。だがそれも青山の出自や人間形成を思えば理解出来なくもない。

    ただやはりその後を書いて欲しかった。歴史的にはその後武士の社会は瓦解していくわけで、その時代の中で乙次郎はどう生きていくのか。もっと近いところでは江戸に戻った後どうお役目や婿入り先の家庭と向き合うのか。
    また青山の家族や家臣たちはどうなったのか(ある程度始末を付けて来たとは思うが)。青山がこの先長い後生を過ごす蝦夷地はやがて戦場にもなるが、その時青山はどうなるのか。などなど。乙次郎の意識や思いの変化は描かれるが、それがどうその後の人生にも影響するのか知りたかった。

    最初は流人と押送人だった二人。科人の事情を知るべきではないと青山の名前も呼ばなかった乙次郎が旅の終着点・三厩ではついに名前を呼ぶ。映像が目に浮かぶようで良いシーンだった。

  • 面白かった!旅の終盤でちゃんと青山殿の事情が本人の口で乙次郎に語られるので、ある程度スッキリはするが、どうにもこうにも、対馬の糞野郎に対して腹が立ってたまらんねぇ。
    印象に残るのは序盤の亀吉。確かに年齢を偽っている幼子なのかもしれないが、部外者に内情を語り、夜中に悪党を招き入れ、雀を握りつぶした亀吉にかなりゾッとした。磔刑となり、青山達が供養したことが読んでいる者に救いがあるように感じる。
    ”大勇は怯なるが如く、
    大智は愚なるが如しという。
    ならば俺は、
    破廉恥漢でよい。”

    ”「親がウトウと呼べば、子がヤスカタと答えるわや。
     子煩悩な鳥でのう」”

    ”「おのれに近き者から目をかけるはあやまりぞ。武士ならば男ならば、おのれのことは二の次ぞ。まして大身の旗本ならば、妻子のこととて二の次ぞ」”

    青山は破廉恥漢と見せかけて、己の身を、
    千年の武士の世の贄としたのだ。
    漢である、カッコ良すぎる。

    ”「存外のことに、
    苦労は人を磨かぬぞえ。
    むしろ人を小さくする」
    やはり言葉にできぬまま、
    僕はかぶりを振って否んだ。”

    いろいろと詰め込まれすぎた、
    スタンドバイミーな
    男の子が漢と出会い、ちょっと成長するストーリー。
    かっこよかったが、、
    やっぱり、糞野郎に足を引っ張られるのが
    誠に腹に据えかねるな。
    世の中、糞はなくならぬものよ。

  • 由緒正しい家柄出身のエリート旗本 玄蕃が「破廉恥」な罪を犯した後、腹切りという「潔さ」こそが武士の美徳という時代に、彼はそれを断固拒む。
    その旗本は、貧しく、訳ありの武士家庭に育った見習い与力 乙次郎に送られ、流刑先の蝦夷までの道中を共にする。

    出自、生まれ育ち、品格、身分の対称的なこの2人が、道中に邂逅する人々や出来事を通じて展開される、世の中の広さ、狭さ、奥深さ、浅薄さの両面性が浅田さんの巧みな日本語で織りなされる。

    本文P31より:
    世の中にはこんなふうに、人の力の及ばぬ運命というものが、いくらでもあるのだ。自分が分相応の出世を果たしたのは、不断の努力の賜物だと考えていたのも、とんだ思い上がりだった。

    以上、抜粋。

    若さゆえ、自らの視野から見える世界こそすべて。
    貧しさ、家族の不和、親からの慈愛と豊かさの欠如という劣等感を抱きながらも、自らの努力や辛抱を推進力としてきた若侍にとって、どうにもしようのない世事を道中、玄蕃とともに目の当たりにし、感じていく様が心に染み入る。

    殊に、年端のゆかない小僧 亀吉が、押し込み強盗の片棒を知らぬ間に担がされ、その罪に問われ惨い死罪に合う場面に胸が塞ぐ。

    本文P102より:
    生身の身体が鋼の刃に対してどれほど脆いかを、僕らはみな目の当たりにしていた。そして、強いられた死がいかに惨く、武士道の讃美する死が幻想にすぎぬことも、僕らは一様に思い知らされていた。
    以上、抜粋。

    人が「正しい」と信じる軸。「美しい」「価値がある」と讃美する社会的な概念は、幻にもなりうる。

    奇しくも世界を揺るがすパンデミックのため、私たちの社会もポピュリズムに根ざしたメディアやインターネットによる情報の流布により、白黒二元論が以前以上に跋扈していると感じる今日この頃。

    物事の単純化、善悪の二項対立軸は分かりやすさのみ追い求める世論の副作用だと思う。
    タイミングよく、この作品に出逢えた時運に感謝。

    道中、玄蕃が市井で巡り合う様々な艱難辛苦を背負う人々について、惻隠の情を持ち、如才なく、しかも気さくに相対することができる懐の深さはどこに由来するのか。

    物語が進むにつれて、玄蕃自身が背負ってきた哀しくも寂しい生い立ちが露わになり、物語の奥行きが深まる。

    登場人物誰しもが各々が背負う業。
    貧しさ、哀しみ、寂しさと同居しながら、報われない理不尽さをやり過ごす。

    時に人を欺き陥れ、偽りや謀はかりごとで、生き延びる。
    都内某所が「貧民窟」と言われる今でいうスラム街であったことも初めて知った。
    昔学生時代を過ごした場所の近くであったことにも驚き。「市井の人々」と言えど、事情も背景も異なるのだな。

    まさに幕末、時代の流れの大きな変化に、「武士の本分」、さらには「人間とは」という問いから逃げることなく立ち向かった玄蕃、彼を傍で観て感じることができた見習い与力乙次郎のその後にも興味が止まらない。

    素晴らしい作品でした。

  • すごい本を読んでしまった。何て深くて重みのある、蝦夷地までの旅路だったんだろう。

    姦通の罪を犯したという旗本の青山玄蕃は切腹を言い渡されるが、「痛えからいやだ」と拒否。蝦夷松前藩への流罪となり、押送人に選ばれた十九歳の見習与力、石川乙次郎とともに、蝦夷地まで旅をすることとなる。旅の道中、たくさんの様々な事情を抱えた人たちと出会い、その人たちの心に触れていく。乙次郎は玄蕃のことを軽蔑していたが、出逢った人たちの心に見事に寄り添う玄蕃を目の当たりにして、乙次郎の心に変化が生じてきて―。

    時代が変われば、法が変わり、当たり前が変わる。しかし、「礼」はどうなのだろう。確かに、変わるものもあると思う。けれど、「礼ってのは ―略― ひとりひとりがみずからを律した徳目のこと」で、「人間が堕落して礼が廃れたから、御法ができた」のであれば、人間が守るべき倫理の様なものは、人が人であるために大切にすべきものは、変わらないのかもしれない。

    玄蕃は「法の戒めのもとにある人ではなく、礼に則って生きてきたのだろう。」「そして礼が法に優先する徳目である限り、吟味も判決も意味を持たない。」のだ。
    この一ヶ月で、乙次郎がどれほど成長したか。器が大きく懐の深い人に出逢うこと、出逢う時機、受け入れる自分の器。全てが作用する。
    「大勇は怯なるが如く、大智は愚なるが如しという。ならば俺は、破廉恥漢でよい。」カッコよすぎる。

    本当に、玄蕃にもっともっと色々教えてほしかっただろうな。途中で出会った侍が、よくぞ生きて下されましたと、涙声を絞った気持ち。生きていてくれて、出逢ってくれて、辛抱強く見守っていて諭してくれてありがとうございました。
    何だか乙次郎になった気持ちで涙目で、そう思ってしまいました。
    途中に出逢った人たちのエピソードも心に残るものでした。また読み返したい、素晴らしい作品でした。

  • 江戸から津軽の三厩までの、流人の押送の旅。
    押送人と流人の道中は、流人の真実と人情の旅。そして終結へ。
    分からぬまま主殺しの手引きをしてしまった、少年。
    法では救えぬ彼の、冥土のみやげとなったのは、敵討ちの結末。
    亡き夫の位牌を抱いて伊勢参りをし、帰途で病?になった、寡婦。
    宿村送りで貧しき故郷に帰る彼女が、得た人情と驚きの結末。
    それらを見つめ、現実と御法の狭間で思い悩む、乙次郎。
    何故、玄蕃は情の深い行いが出来るのか。
    玄蕃の語りによって、徐々に明らかになる流人になった真相。
    ・・・冤罪!
    「痛えからいやだ」は良心が痛むから。武士だから。
    だが、彼の生い立ちは驚愕。忘れえぬ過去の自分。
    だからこそ現在の“武士”の姿を見つめ、懐疑し、
    “武士の本分”を考えることが出来た。
    武士の存在自体が罪。おのが身を千年の武士の世の贄に・・・。
    そして、乙次郎。
    二百幾十里、二十五夜の旅は、短いながらも深い見聞になった。
    朱引きの内側では知らなかったこと。
    出会った様々な武士の姿や職務。庶民。彼らの想いや心情。
    町や村。国それぞれの違い。厳しい東北の風景や気候。
    朱引きの内側でも知らなかったこと。
    羨んだ旗本であっても、苦悩はある。誰にでもある。そう、
    玄蕃の言葉や行動が、共に旅する短い日々で彼の成長を育んだ。
    最後の玄蕃への言葉の凛々しさよ。
    その後は知りたいけど・・・10年も経たないうちに幕府崩壊かぁ。
    でも、双方が危機を乗り越える未来を想いたい。

  • 下巻読了。(やっと届きました。上巻読了からめっちゃ間あいた・・涙)

    流人・青山玄蕃と、押送人・石川乙次郎の旅は続き、行く先々で“面倒ごと”に巻き込まれていく二人。
    場面場面での読ませ方が絶妙で、物語の中にぐいぐい引き込まれていきます。それだけに“(個人的に)望まない”展開がすごく辛かったです。亀吉の結末は思わず天を仰ぎました。
    そして、徐々に明らかになっていく玄蕃の生い立ちや、この度の事情に“どうしようもない理不尽”を感じ、乙次郎よろしく義憤に駆られる思いで読みました。
    玄蕃の選択は自己犠牲に見えがちですがそうではなくて、武士という存在に対しての答えなのでしょうね。
    本当、玄蕃の器の大きさは、あなたはイエス・キリストですか?という感じです。
    考えさせられながら読み進んで、ついにラストの乙次郎のセリフを読んだ瞬間、涙があふれ出てきました。
    この後の個人的な希望ですが、玄蕃と乙次郎が数年後に再会してほしいな、と願います。もうちょういで武士の世も終わることですし。

  • 江戸時代の価値観が抱える矛盾が、興味深い視点で描かれている。
    最後まで飽きさせない珍道中。もっと長くても良かった。

  • 元旗本の流人と与力見習いの押送人。二人のロードノベルで浅田次郎節満載。なんだけどちょっと爽快感に欠けるか。それを求めてはいけない物語であることは重々承知ですが。

  • 自分の犯した罪ではないのに、大名預かりとなった武士、武士が命をかけるは戦場ばかりぞ!涙涙。

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著者プロフィール

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄に乗って』で「吉川英治文学新人賞」、97年『鉄道員』で「直木賞」を受賞。2000年『壬生義士伝』で「柴田錬三郎賞」、06年『お腹召しませ』で「中央公論文芸賞」「司馬遼太郎賞」、08年『中原の虹』で「吉川英治文学賞」、10年『終わらざる夏』で「毎日出版文化賞」を受賞する。16年『帰郷』で「大佛次郎賞」、19年「菊池寛賞」を受賞。15年「紫綬褒章」を受章する。その他、「蒼穹の昴」シリーズと人気作を発表する。

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