- Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120053436
作品紹介・あらすじ
40年以上前の初夏、京都市郊外。きゃべつ畑で写生をしていた著者は、青虫狩りをするあしなが蜂に魅せられる。はたして彼らの巣はどこにあるのか……。あちらこちらの農家の軒下を探しまわり、ついに、比叡山の麓近くの田舎道に背を向けて建つ、一軒の納屋に行き着く。そこは、新しい巣と、ボロボロに破れた古巣が入り混じってぶら下がる「あしなが蜂の団地」だった――。ここから、一夏にわたるあしなが蜂の観察が始まる。卵を生み、丁寧に精緻に巣の部屋を作り修繕し、毎日餌を探して旅をし、団子にして幼虫に運ぶ。時には、襲ってくるすずめ蜂と決死の闘いをし、幼虫を狙う仲間のあしなが蜂を追い払う。孤軍奮闘する女王蜂たち。彼らに心を寄せた著者は、とうとう、母蜂不在の3つの巣を新幹線に乗せて東京へ運び、幼虫を育てることを決意する。渋谷駅から10分ほどのアパートで、新鮮な魚の刺身を団子にしてピンセットで与えられた幼虫は、成長し、繭を作り、働き蜂となって元気に活動を始める。やがて夏の終わり、来年の女王蜂になる雌蜂と雄蜂が誕生し、9月のある日、秋晴れの空に旅立っていった。彼らは空中で交尾をし、再び巣に戻ってくることはないのだ――。
8億年という生活史を持つ生きもの、その命の営みが感動的に描かれる。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
『あしなが蜂と暮らした夏』の書名が表しているように、あしなが蜂の観察記録というよりも、共に暮らした濃密なひと夏の想い出の記録だ。
甲斐信枝さんの観察者としての確かな眼を通して、あしなが蜂の生態の不思議に目を見張る。
と同時に小さな命へ注がれる愛情溢れる眼差しに感動する。
そのひと夏をさらに豊かにしたのは、農家のおかあとの出会いだ。
「おかあと納屋のあしなが蜂と、私と、三者の親愛の日々」とある。
おかあのことを「自然の摂理を畏れる人の謙虚さがありました。人間と他の生きものを、同じ生きものの仲間として、同格に扱っている風がありました」と称えているが、
それはそのままご自身のお姿であろう。 -
比較的薄い本だが愛すべき1冊。
90歳を超える絵本作家が、40年以上前のあるひと夏を綴る。
著者は、虫や草など、身近な自然を題材にした科学絵本を手掛けてきた人である。
その夏、著者は京都・洛北のとある納屋に通い、あしなが蜂の観察に没頭した。何せ、古いその納屋には、せぐろあしなが蜂の巣が60ほどもあったのだった。子育てをしようとする女王蜂がせわしく出入りし、まるであしなが蜂の団地のようだった。
持ち主の許しを得た著者は、京都市街の家から毎日蜂の観察に通う。
正六角形の形の巣を精巧に作り上げる女王蜂たち。女王たちは自身の触角を物差しとして、六角形の1辺の長さを決めるという。だからそれぞれの巣をよく見ると、実は1辺の長さは少しずつ違う。
あしなが蜂は名ハンターでもある。きゃべつ畑を見て回り、すばやく青虫を狩る。それを丸めて肉団子にして幼虫に与えるのだ。
時には食物が不足することもある。農作物の出来の悪い年は、青虫も多くは育たない。そうした時、母蜂はどうするか。仲間の蜂から子を盗むのだ。仲間の幼虫を殺し、我が子に与える。
残酷なようではあるが、それも生の営みの1つ。生きていくというのはそういうことなのだろう。
著者は東京に仕事部屋を持っており、ある時、仕事のためしばらく東京に行かなければならなくなる。
ちょっと驚くことに、著者はこの旅に蜂たちを連れていくことにするのだ。女王蜂がいなくなっていたり、巣の状態が悪かったりする巣を3つ分。自家用車などではない、新幹線での旅である。袋やかばんに詰めた蜂の巣を抱え、朝早い列車に乗り込むが、車中は案に相違して満席に近い。サラリーマンの出張が多いのだ。
うわ、無事に着くかな、と読んでいる方も冷や冷やする。
小さな事件を経て、東京のアパートへ。渋谷に近いというが、(当時は?)半田園地帯だったのだそうで、著者はその部屋で蜂を飼う。もちろん、蜂は狩りに出かける。何だか牧歌的である。
母蜂のいない幼虫には、著者が刺身を与えるなどして育てている。そのうちに先に育った働き蜂が幼虫を養うようになり、著者は「子育て」から解放される。
もう1つ、本作で印象的なのは、納屋の持ち主である「利右衛門のおかあ」ら、地元の人たちとの交流である。「蜂の観察をしたい」と突然現れた著者を迎え入れ、「蜂のねえさん」と呼んでは、さりげなく親切にしてくれる。
袖すり合うほどの縁だけれど、そこに確かに親交の情がある。
蜂と著者の距離感もそれに近いものであるのが、本書を読み心地のよいものにしているのかもしれない。
巻頭に収められた著者のスケッチブックの抜粋も味わい深い。 -
文句なしに星5つ。なんならもっとつけたいくらい。
甲斐信枝さんの絵本は、はでな色づかいの、写真たっぷりの、おしゃれなグラフィックデザインの今どきの動植物の本の中に置くと地味で目立たない。
しかし、内容も絵も素晴らしく、植物や昆虫をこれほどつぶさに観察し、愛情こめて描いた人は本当に少ない。絵で描写された動植物は、写真以上に分かりやすい。
まず、そのことをもっと広く世の中の人々に知ってほしい。
で、久しぶりに出たこれは絵本ではない。
始めに数ページ甲斐さんのスケッチブックからの抜粋はある(この絵を見れば、動植物の画家として一流でありことがわかる。絵だけでも価値がある。)が、本文に挿し絵はない。
あしなが蜂が紋白蝶の幼虫を狩るシーンから始まり、巣を探して農家の納屋にたどり着く。ここで甲斐さんは腰を据えてあしなが蜂の観察を行うことにする。
子どもは読んで、ふーんとしか思わないだろうが、ここがもう凡人ではない。
甲斐さんの住んでいる京都市の中心からこの納屋はバスを乗り継いで片道一時間半かかるところである。田舎だからきっとバスの本数も少ないだろう。ここに毎日のように通い、一日中、時には夜明け前から(この時は納屋の近くの喫茶店に泊まり込み)観察するのである。学者として研究機関に所属しているわけでもなく、画家・絵本作家ではあるが、観察にお金が出るわけではない。誰かから依頼された仕事ではない。ただ、自分が好きだから、観察したいから通っている。すごすぎる。そしてその観察眼の鋭さ、正確さ、対象に対する愛情、全くあきれるほどすごい。
しかしその先の展開はもっとすごい。
仕事で東京にしばらく住むことになり、そこに、巣を(蜂ごと)3つ持って行くのである。それは落っこちそうになっていた、あるいは落っこちたのを甲斐さんがテープなどで梁にくっつけた巣で、甲斐さんがいなければ早晩落ちてしまい、蜂は全滅してしまうからであったが、学者ならそこまでしないし、したとしても持って行くのは研究室である。ところが甲斐さんは六畳一間のアパートで蜂とともに暮らすのである。
一つの巣は途中で女王蜂がいなくなったので、幼虫の面倒を甲斐さんが見る。大きめの幼虫にはお刺身(ここで甲斐さんファンなら『こがねぐも』を思い出す)をこねて、2・3ミリの団子にして与え、小さい幼虫はそれでは食べられないので大きい幼虫が噛んでいるものを取り上げて与える。砂糖水を水滴にして垂らしてやる。
このあたりの幼虫の動きや表情(!)は幼さ、弱さと同時に愛らしさと生命力に溢れていて、それを育てる喜びは人間の赤ん坊や犬猫の子どもを育てるのと変わらない。
一つの巣が出来上がり、蜂がいなくなるまでを慈しみ、支え、見守った甲斐さんという人の偉大さを心の底から感じた。
本当に素晴らしい。昆虫が生理的に耐えられないという人以外は読んでほしい。特に昆虫に興味のある子どもに大人が読んであげてほしい。現代のファーブルである。
甲斐さんは90歳を過ぎ、新しい作品が出るかわからないが、改めて過去の作品も読み返したくなった。
ちなみにこれは40年前のことだったそうで、今もこんなに豊かな農村はあるのか、自然に敬意を払いながら共に生きる人々はいるのかとちょっと心配になった。東京のアパートで蜂を飼うことも、現在だったら苦情が来たり、バレてネットで叩かれたり大変なことになったかもしれない。
『こがねぐも』も、家のすぐ近くにこがねぐもの巣(網)を見つけたのだと思い込んでいたが、もしかしたらこちらも電車やバスを乗り継いで観察しに通っていたのかもしれないと思った。
甲斐さんがお元気なうちに、どんな生い立ちで、どんな風に生きてきたのか、是非聞き取っていてほしい。ドラマや伝記になるくらい面白いと思う。 -
「おかあと、納屋のあしなが蜂と、私と、三者の親愛の日々」「自然の摂理を畏れる人の、謙虚がありました。」「おかあは、無意識に人間と他の生きものを、同じ生きものの仲間として、同格に扱っている風がありました。これは恐らく、おかあの知によるものではなく、想によるものと感じられました。」
甲斐さんは、おかあについて、こう述べたが、甲斐さん自身もおかあと同じひとなのだ。
わたしも甲斐さんやおかあのように、自然に生きる生きもの同士として、小さな世界を守り、小さな世界から学ぶ人間でありたいと思うのだ。
自然の生き物の残酷さと、人間のそれは、全く次元が異なる。蜂、蟻、人間。この中で一番愚かな社会性をもつ生き物は、間違いなく人間です。多くの外国の若者たちは、人間の愚かさに気づき、自然を守ろうと一致団結して頭の固い大人と闘っている。日本の若者はどうだろうか。現代の若者を育てた日本の社会のあり方は、正しかったのだろうか。若者を批判するのは間違っているのだ。貴方方がみっともないと言う若者は貴方方が創り出したのだから。古きよき日本人は、すでにもう亡くなりつつあるのではないか。日本のために、地球のために、子どもたちには海外の教育からも学び、日本の古きよき教育からも学んだ、質の良い教育を受けさせたいと願う。そして、これからの若い人たちに、希望を託したい。絶望よりも希望を伝える、そんな大人でありたい。 -
心と眼(まなこ)を 見開いて 読み進みました
あの涼やかな 筆遣いの 自然の描写の絵本が出来上がる感性の実像
NHK スペシャル「足元の小宇宙 」を見た時よりも感動は深いものでした -
驚愕の内容。
鋭い観察眼、綿密で根気ある観察によって判明する様々な事実。
そして地元の老婆との交流。
この本はサイエンスでもあるし、ヒューマンドラマでもある。
100ページほどの薄い本だが、内容が濃い。
読了50分 -
比叡山麓近くの農家の納屋に巣をかけたあしなが蜂の観察記録。
ワクワクしながら読んだ。
動植物、自然を観察することは、たいへん面白いことだなとあらためて思った。 -
斐信枝さんは、1930年、広島生まれ、ですから御年90歳になられる、その年代には珍しく、植物の画家として生き抜いたかたです。
子ども関係者なら名前は知らなくとも、一度や二度は福音館の彼女の科学絵本を見たことがあるでしょう。
その彼女が40年も前にあしなが蜂の巣をみつけて観察し、母蜂がいなくなった巣を引き取って魚の刺し身だんごで幼虫を育てた、ひと夏の記録です。
その冷静な観察ぶり、あしなが蜂を観察してみようという思いつき、そのために一時間半もかけてせっせと通う情熱、豊かな文章は、科学記録者の鏡です。
素晴らしく読みやすく、大人なら一時間もかからないでしょう。
中途半端に時間があいたとき、熱いお茶を一杯淹れて、しばらく山の道具小屋(そこに蜂の団地があった)におでかけください。
ページを閉じたときにはその余韻で、汚れを落とし、しばらく爽快な気持ちで過ごせることと思います。
熱いシャワーを浴びたあとのように……。
2021/09/29 更新 -
『雑草のくらし』で知られる90歳の絵本画家が見つめた、昆虫の宇宙。母蜂不在の巣を持ち帰り、蜂を育てともに過ごした一夏を描く。