つながり続ける こども食堂 (単行本)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120054389

作品紹介・あらすじ

人々の共感を得て、勝手に、爆発的に日本全国に増え続けた「こども食堂」。

数年でその数5000を超え、コロナ禍にも負けずになお広がり続けている。

人間関係が希薄になった無縁社会の中で、誰ともつながれずに孤立感を深める人が増えている。子どもだけじゃない。若者も親も高齢者も……。そんな時代だからこそ、誰にでも開かれた「こども食堂」は、地域の新たな多世代交流拠点として人々をつなぎ、現代人の居場所として注目されている。

全国のこども食堂を支援し続ける湯浅誠氏が、子ども食堂の現在とその可能性について書き上げた渾身のルポルタージュ。「みんな」を包み込める居場所がここにある。

感想・レビュー・書評

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  • 人をタテにもヨコにも割らない場所。行政の仕事をしている私はドキッとしました。日常的に、人を割って仕事をする私には耳が痛いフレーズです。行政は色々な制約がある中で、あれもできない、これもできない。これはうちではできないから、そちらでお願いしたいとやりきれない気持ちで断わったり、ヨコにふったりすることも多々あります。
    この本の冒頭にあったように、こども食堂は貧困のこどもが行く場所だと思ってましたが、様々な価値や役割があることがわかりました。各地のこども食堂の運営者の方々には頭が下がります。こどもを持つ親として陰ながら応援できればと思います。

  • 子ども食堂に関わる人だけではなく、NPOやボランティアに興味がある人は是非読んでもらいたい。
    NPO活動が上手くいかない原因を行政からの支援不足とすることで行政への不満を募らせがちであるが、本書ではそれを明確に否定している。
    地域のあり方、持続可能な社会を考える上で子ども食堂は大きな力となる。

  • こども食堂に行ったこともなく、ただ「なんとなく」だけで手にとった本。
    ところが興味が尽きず、一気読みしてしまった。

    前半はあちこちのこども食堂の紹介、様々なケースとともに筆者の丁寧な考察が綴られている。分かりやすく、予想以上に理解が深まった。

    後半はコロナ禍におけるこども食堂の活動、日本小児科学会やSDGs(持続可能な開発目標)などと関連付けながらこれからの視点を語っている。
    多様性はすばらしいが、それだけでは共同性に至らない・・・多様性には配慮が必要だという筆者の考えに強く共感した。

    「地域」の一考を促された一冊。

  • こども食堂について興味があったので
    読んだ。
    こども食堂がどんな場所で
    あるか、どんな風に運営されているのか
    自分が疑問に思っていたことの
    答えもわかったし、また筆者の
    ちょっとした文章からも
    ぐっと想いが伝わってきた。

    なんとなくあと数年内には
    我が子の子育てに終わりが
    きそうに感じるこの頃、
    人の役にたちたいという想いが
    年々強くなっていて、こんな
    自分ができることってなんだろうと
    結構考える。

  • 全国のこども食堂の取り組みがわかって趣深かった。

  • 長井市のすんばらしい図書館、"くるんと"で出会った。

    こども食堂って何なの?という人も、こども食堂の役割を勘違いしている人も、読んでみれば納得の本。しかし、納得にとどまらず、これは応援しないと、まったなしの親子がいるかも…と危機感も募る一冊である。
    地域の人と人とのつながりが薄くなっている現代、それでもなんとかしたいと一肌脱ぎまくっている"一般の"人たち。それに助けられている救いを求める手とが合わさったとき、なんともほっとする気持ちと、このままじゃまずい…助けたい…という気持ちでちょいちょい泣きながら読んだ。
    みんなが「少しゆっくり歩いて」合わせたり自然とできる、誰かを取り残さない社会になればいいなと願う。公的な支援が届かない層にリーチするというのがすばらしい役割だと思う、こども食堂。


    ひとまず、メモメモ… 読んでるうちに付箋だらけになっちゃったからな。
    p5
    お金を配るわけではないし、毎日食事を提供しているこども食堂もほとんどない。経済的貧困・食の貧困を解決できるわけではない。しかし、交流と体験、「つながり」を提供する。異年齢集団での遊び、親とは違う大人、お年寄りのしぐさや匂い、子どものような大人のような若者たち…。子どもはどうした交流と体験を通じて、価値観を広げ、人生の選択肢を増やしていく。その「つながりの提供」それ自体が、貧困対策でもある。
    p6
    コロッケを食べたことがなかったとわかれば次はメンチカツを出す。誕生会をしてもらったことがないとわかれば盛大に祝う、家族旅行に行ったことがないとわかれば海水浴を企画する。だからこども食堂の人は「おせっかいを焼いているだけ」「あたりまえのことしかしていない」という。しかしそれが大切なのは、私たちが自分の人生を振り返ればわかると思う。
    p7
    特定の子を指して「あんた大変そうだから、ごはん食べさせてやる」というのではない。みんなで一緒に食べる中に自然に包み込む。だから、みんなが行ける。みんなで食べられる。そこには、輪からはじかれる人のいない形で、みんなでにぎわいを楽しみたい、それでこそ本当のにぎわいを作れる、気兼ねなく楽しめる、という思いがある。
    p50
    「歩くのがちょっとゆっくりな人とは、自分もゆっくりあるくじゃないですか。」

    p73
    こども食堂は子どもの貧困対策の文脈で語られがちだが、こうした体験は経済的に困っていない家庭の子にも必要なものだ。だから、こども食堂は、その場に来る全ての子にとって有益な場だ。それゆえ、私が理事長を務める「NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ」は、すべての子がアクセスできるような近さに
    こうした場所のあることが、社会のために必要だと考え、「こども食堂が全国のどこにでもあり、みんなが安心して行ける場所となるよう環境を整えます」というミッションを掲げ、「2025年までに全小学校区万か所にこども食堂がある地域と社会の実現」を目指している。

    p82
    雪でこども食堂を中止にしたとき、それまで来ていた中学生から「今日はやらないんですか?」と電話がかかってきた。その日のうちに食事を届けると、家庭訪問したことでその家庭がひとり親家庭だと知った。それを機に母親ともつながり、母親もこども食堂に来るようになった。
    p86
    化学調味料は使わない、とダシにこだわる子ども食堂がある。
    「うちにくる子たちは『ここのダシがおいしい』と言ってくれる」と話したので、
    こども食堂は、味のわかる将来の大人を育てる場でもあるのかもしれない。

    p108
    朝ごはんを出す試み
    「家の人が大変だったときに、朝メシを食わせてくれたばあちゃんたちと学校」のことを、子どもたちはいつか思い出す。それは、大人になったその子たちの言動に、深いところで影響を及ぼす。それが、世の中の「気分」を変えていく。こども食堂は、そのようにして世の中の底流を変えていく試みだと思う。

    p153
    p160

    p180
    コロナ下、ソーシャルディスタンスの考え方は、こども食堂の目指すところとは真逆だというアンケート回答。
    →まさしく…。

    p182
    私たちの食堂のキャッチフレーズは「みんなで食べたらおいしいね!」です。食事は単に空腹をみたすだけではなく、その場に集まった人たちで話したり、笑ったりしながら心も満たす時間だと思っています。
    →ころ中では難しかった。

    p218
    人々は答えを持っている、という前提に立てないだろうか。本人は答えだと思っていないかもしれない。整理もされていないかもしれない。それでも、気持ちもあって、行動もしていて、ある答えを生きようとしている。それを一緒に探求して、引き出して、整理するのを手伝って、目線を合わせ、共通の目標にしていく。
    en でなくて、ex。ex powerment、 ex value。

  • 小論文対策推薦図書 学際系

  • こども食堂の事例をいくつか紹介しながら、その社会的意義、価値、あり方を説いた一冊。誠実であり切実さがあって説得力がある。論理的でありながら熱量を感じさせるところに、書き手の力量を感じた。

    「こども食堂」というと、その名の通りこども向けの食堂、特に貧困状態にあるこども向け、という印象が強い。この本では、それだけではないこども食堂の意義、特に地域コミュニティとしての価値を説いている。

    近頃の新たに生まれるコミュニティは、どうしても何らかの階層やカテゴリーに人を区切ってしまう。趣味のグループ、読書会、哲学カフェ、自助グループもそうだ。なんらかの共通項を基にして人が集まる。その方が安心だからだろう。人が集まるというのは、そういうことだろうと思う。でももう少し枠がゆるい、多くの人を包摂できる、社会的生存の助けになる集まりが必要なのではないか。こども食堂だって明らかな枠や、明らかでない枠はあるだろう。しかし、こども食堂が「食」を鍵にしたのは大きい。食べない人はいない。そして「同じ釜の飯を食べる」ことはコミュニケーションの発生源になり得る。

    この本にある埼玉県の例では、こども限定のこども食堂は2割で、誰でもウェルカムなこども食堂が8割と書いているが、近所を検索した限りでは、こども限定のものが多かった。この本でも触れている通りに、コロナ禍を経てこども食堂の有り方が変わったのかもしれないが、こども食堂ではなく、地域食堂、とでも言うべきものがもっと増えて欲しいと思う。現代社会における社会的孤立は、一部の人の問題ではない。孤立しているのは、こどもや高齢者だけではない。働いていない独身中高年、あるいは働いている独身中高年だって相当に孤立している。子供の世話に関わることは、独身中高年自身の生きる刺激にもなるだろう。「こども」と「食」は人を繋ぐ鍵になり得る。「こども」と「食」を仲立ちにして、人は他者と関わることができるのではないか。

    だが、そういう間口の広い地域食堂に母親はこどもを行かせるだろうか。誰が来るかわからないのに。孤立した人には多様性がある。外国人、ホームレス、引きこもり、精神障害者、LGBT、フーゾク関係者、元受刑者、そういった多様性のある場所に、こどもを行かせるだろうか。でも可能性はある。間口が広いということは、孤立していない人が行ってもいいはずだからだ。孤立していない人も参加する。そこから何か良い循環が始まる気がする。

    公的機関から援助を受けることの是非について触れているのも良かった。たまにネット上で「政府がやらないから民間がボランティアでやらざるを得ない事態になっている!」という政府批判を見かける。言いたいことはわかるけど違和感を感じる。お役所が介入するとコミュニティの自発性や主体性の萌芽を摘むことにならないだろうか。政府なんかアテにせずに、自分達で社会を創っていく意気込みは大事にしたい。もちろん貧困対策は必要だが、コミュニティを作るのも政府の仕事なのだろうか?それは違う気がする。公的の援助を受けてしまうと、活動の主体性が揺らぐ側面もある。サービスを受ける対象や地域が分断されてしまうかもしれない。

    この本ではこども食堂のポジティブな側面を語っている。しかし、こども食堂は始まって日が浅い取り組みで、容易に模倣できるようなシステムは組み上がっていないから、課題は多いだろう。場所、資金、時間、人など、こども食堂を続けていくには様々なコストがかかる。精神的負荷もあるだろう。主催にかかる負荷は相当あるのではないか。システムが組み上がっていない、ということは主催の力量や人間的魅力に依存する部分が大きいということでもある。この本で紹介されている個々の事例を読んでいても、それは感じる。

    主宰にかかる負担、という言葉から連想するのは自助グループのことだ。AAのようなアノニマス系12ステップ自助グループは、システムが組み上がっているから主催の力量に依存しない。だから長期間グループ活動を存続できる。しかしそうでない自助グループの主宰には、こども食堂の主宰と似たような負担がかかる。主宰は意気込んで活動を始めるが、多くのグループは2~4年くらいで活動を終える。主宰の負担もあるだろうし、飽きたりもするのだろう。似たようなことは、こども食堂でも起きると想像する。

    でもそれでいいのだと思う。ある自助グループが活動を終えても、その参加メンバーが新たにグループを立ち上げるケースがある。様々な自助グループが泡のように生まれて消えていくが、総体としての自助グループは存続していく。こども食堂もそうなっていくのではないだろうか。

  • 【請求記号:369 ユ】

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/784245

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著者プロフィール

「反貧困ネットワーク」事務局長、「自立生活サポートセンター・もやい」事務局長。元内閣府参与。

「2012年 『危機の時代の市民活動』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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