- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120056314
作品紹介・あらすじ
よい外国人じゃなきゃ、ダメ? 台湾出身で〈日本語に住む〉著者が問う〈ふつう〉への抵抗。小さな声も自由に羽ばたき出すエッセイ集。3歳で台湾から日本に移り住んだ著者が、日常で味わった小さな違和からアイディンティティをめぐる問題、カズオイシグロから「愛の不時着」まで文学・映画を読解する批評文を収録し、日本の〈ふつう〉をやわらかに揺すぶるエッセイ集
感想・レビュー・書評
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読みながら、思わず今までの自分の言動を振り返ってしまった。何気ない一言が周囲を傷つけていたのではないか、と。
「やわらかな『棘』と、正しさの『震え』」では、ファミレスでの見知らぬ母親同士の会話が焦点になる。隣席でフォークを皿に叩きつけた著者に対して、「差別的発言」をしていた人が「どうかしました?」と声をかけてくる。そこから問題提議が始まる。
思い返せば、自分が直接間違いを指摘されたことは一度もない。気にかかることがあったとしても、その場の空気を気にして相手が言わなかったのかもしれない。もし自分があの母親の立場ならどうなるか。フォークを叩きつける音をきいた時点で身を遠ざけるだろう。声をかけることもないから会話は発展しない…。
何だか自分の「事なかれ主義」を告白するような内容になってしまったが、著者の意図はそういうところにもあるのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「日本人でありながら日本の悪口さえ言っておけば自分の価値が信じられるような人が喜ぶ作品は、一切書かない」という言葉に突き刺された。その言葉が指し示す対象に少なからず自分は含まれているように思ったから。
日本社会に強力にはたらく単一化の力学に対して存在の複雑さと多様さを取り戻す戦い。そもそも国家、国籍、国境という概念が歪で、その概念に適さない人間が歪なわけではないということ。
自分の過去の不適切な発言が思い起こされ、また、自分が今も気づかずしてしまっている差別的言動が必ずあるだろうということに消え入りたくなる。
しかし惑う存在として存在することを肯定してくれるこのエッセイはとても温かい。 -
家族も日本人で日本で生まれ育った私は境界線に立っている人の気持ちは分かりづらい。見える世界も体験する世界も違うから。この本を通して少し覗くことができた。
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純粋な日本人とか本物の日本人とかってなんなんやろう。都合の悪いことはなかったことに歴史を曲げられて、誇りなんか持てるわけないやろ。
愛国心とか日本語は日本人のもの、という感覚はよくわからんが、非関西人(という定義もあいまい)が使う関西弁への拒否感がある、"純粋な関西人"であるから、同じような感覚なのか。少し筋が違う話な気もするし、そう離れてもない気もする。
最近歴史に興味を持ち始めたのは、全部いまと地続きやんということがわかったからやけど、さて「歴史を我が事として抱えながら生きるためには、どのようにものごとを見つめれば良いか(P258)」。歴史だけじゃなくて他人に起こったことも。
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アイデンティティ、差別、日本人について、考えさせられた。日本を含め、アジアの国の歴史は複雑。人は見たいものしか見れない。私もこの本をきっかけに視野を広げて、国について、アイデンティティについて、考えていきたい。
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台湾人の両親のもとに台湾で生まれ、3歳で日本に移住し、ほぼ日本語の中で育った著者のエッセイや対談などをまとめた作品。偏見や歴史認識の問題、著者が幼い頃に少し見せた特別な存在であることの優越感など肩肘張らずに書かれていた。技術の進歩とともに世界がぎゅっと小さくなり人の往来もさらにハードルが低くなって日本の中にも様々な人が増えてくるだろう。多様性という言葉が死語になるくらいの変化が起こるような気もする。
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タイトルに込められた「毒」について、読み終えた後今一度考えてしまった。私なら私は彼女のような作家を「バイリンガル」と見なし、「クレオール」(!?)的な言語感覚を有した書き手として扱ってしまうのかもしれない。だがもちろん、それは「何も彼女の書いたものを読んでいない」と表明するに等しい。「オンナ」で「ガイジン」だから、とナメてかかるのではなく彼女がもっとつぶさに書き記す日本語と台湾語、日本と台湾の間でのアイデンティティの分裂とそこから自分を選び取る決意を読み取らなければならない。そうした決意は実に凛々しく映る
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よい外国人じゃなきゃ、ダメ? 台湾出身で〈日本語に住む〉著者が問う〈ふつう〉への抵抗。小さな声も自由に羽ばたき出すエッセイ集