安倍晋三 回顧録 (単行本)

著者 :
制作 : 橋本五郎  尾山宏 
  • 中央公論新社
4.38
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本棚登録 : 1138
感想 : 104
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120056345

作品紹介・あらすじ

2022年7月8日、選挙演説中に凶弾に撃たれ、非業の死を遂げた安倍晋三元首相の肉声。なぜ、憲政史上最長の政権は実現したのか。一次政権のあっけない崩壊の後に確信したこと、米中露との駆け引き、政権を倒しに来る霞が関、党内外の反対勢力との暗闘……。乱高下する支持率と対峙し、孤独な戦いの中で、逆風を恐れず、解散して勝負に出る。この繰り返しで形勢を逆転し、回し続けた舞台裏のすべてを自ら総括した歴史的資料。
オバマ、トランプ、プーチン、習近平、メルケルら各国要人との秘話も載録。
あまりに機微に触れる――として一度は安倍元首相が刊行を見送った36時間にわたる未公開インタビューの全記録。

感想・レビュー・書評

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  • 安倍晋三さんは、とても不思議な人だった。

    鳴り物入りで首相の座に着いたと思ったら難病のため一旦辞任。
    復活して華々しくアベノミクスで経済再生して、トランプとゴルフして、プーチンとも仲良くして憲政史上最長政権となったと思ったら、モリカケサクラでやらかして、コロナでは迷走して、難病が再発して辞任…

    そして、2022年7月8日、選挙演説中にまさかの凶弾に倒れ…

    回顧録を読むことで安倍首相とはどういうことだったのか、自分の中で整理したいと思って図書館に予約。
    ようやく読めました。

    この本一言でいうと面白かった。
    当然盛っている部分はあるんだろうけど、まっ、「歴史は解釈」ですから。

    特に外交の部分。
    結果論なのかもしれないけど、トランプとのやりとりの部分は特にゾクッとするほどだ。
    もし、今度の大統領戦でトランプが再選されたら、その時の日本の首相は安倍さんと同じように立ち回れるのかな?

    タカ派だけどリアリスト。
    あと、敗者復活の人で意外と努力の人だったんだな、と発見。

    鋳造品ではなく鍛造品の首相。
    改めてお疲れ様でした、と言いたくなった。

    巻末に野田佳彦元首相の追悼演説が掲載されていて、最初から最後までしっかり読んだり聞いたりしたのは初めてだったけど、これがまた素晴らしい。

    自由な言論は守り抜かなければならない。

    ♫You’ve Got a Friend/Carole King(1971)

  • 【感想】
    通算在職日数3,188日。歴代総理大臣の中でもっとも長く政権を担い続けたのが、安倍晋三であった。その長期政権下で起こった様々な出来事を取り上げ、当時の舵取りの様子を本人の言葉で振り返ったのが、本書『安倍晋三 回顧録』である。本書のもととなったインタビューは、首相退任から1ヶ月後の2020年10月から約1年の間に、計18回36時間行われた。現役を退いてすぐのインタビューだったこともあり、記憶が非常に鮮明で、受け答えも緻密だ。後世に残されるべき情報が詰まった、非常に有用な史料と言えるだろう。

    本書を読み、私が安倍氏に抱いたのは、「良くも悪くも攻めの首相だったのだなあ」という思いだった。解決しなければならない問題を全方向から着手し、一気に国会を動かす。このスピード感が、他者では成し得ない安倍政権最大の特徴だったと感じる。
    例えば、トランプ当選後の対応について。トランプは大統領選のときから日本の批判を繰り返していたが、日本側は真剣に捉えていなかった。それはトランプなんかが当選するわけないと思っていたからであり、安倍氏自身もヒラリー側と接触していたという。
    しかし、実際にはトランプが勝った。この瞬間、安倍氏は「没交渉であることはまずい、すぐに信頼関係を築かなければならないと思い、そのためには、とにかく早く会うことが大事だと。だから、今までにはないけれど、就任前に会おうと考えた」という。大統領選の後でも現職はオバマのままであるため、オバマを差し置いて次期大統領に会うのはかなりグレーゾーンだ。実際「失礼だ」という批判もあったらしいが、「クールにやろうと考えた」と安倍氏は語っている。こうしたリアリストな面、そして実行に移すまでのスピード感が、安倍氏の外交上での立場を優位にしていった。それが結果的にトランプに気に入られ、「国際情勢については、まず安倍の意見を聞く」までの信頼関係に繋がっていったという。

    他にも第一次安倍内閣では、教育基本法の改正、防衛庁の省昇格、国民投票法の制定と、50〜60年に一度の重大な法改正を相次いで行っていた。一次内閣はたった1年しか運営していなかったのだから、かなりのスピードだ。安倍氏自身、「一点集中突破ではなくて、あらゆる課題を全面突破しようと考えていた」と答えているとおり、積み残している課題を迅速に進めつつ、時勢をうまく捉えながら解決まで着地させる手腕は見事であるといえる。

    しかしながら、そうした「攻めの政治」の反動で、ときには民意を無視した独断専行が見られた。集団的自衛権の解釈変更や検察庁法の改正、近年だとコロナ禍でのアベノマスクなど、審議機関である国会を蔑ろにする強行が時に行われている。しかも、安倍氏自身本書の中で、
    「日本人の面白いところは、現状変更が嫌いなところなのですよ。だから安全保障関連法案ができる時に、今の平和を壊すな、と反対していても、成立後はその現状を受け入れるのです。安全保障関連法成立後、しばらくたって『廃止したほうがよいか』と世論調査で聞くと、廃止派は少数になるのですね」
    と、「無理やり変えてもどうせ受け入れられるんだからさ」という趣旨の発言をしている。中々国民を舐めた発言だ。だが、こうした「日本国民のお行儀の良さ」を信頼した舵取り――コロナ禍における「お願い」を軸とした自主隔離政策など――で成功を収めたケースも少なくない。これが「機微を捉えた手腕」と評価されるか「手のひらの上で転がされていた」と批判されるかは、後世の人々による再検証に委ねられるだろう。
    ――――――――――――――――――
    以上が本書の一部まとめである。
    読んだ感想だが、文句なしに面白く、一気に読み終えてしまった。退任後すぐ記録されたやりとりというだけあって、現役政治家らしい生々しい一面も薄れることなく記録されており、読み応えたっぷりだった。

    私が一番好きだったのは、第6章の「海外首脳たちとのやりとり」だ。トランプ、プーチン、習近平、メルケルといった、歴代トップクラスの役者たちに負けないぐらい、安倍氏の存在感は強い。6章を読むと「何だかんだいって、安倍さんってG7の首脳の中でも頭を張れるぐらい凄かったんだな」と思えてしまう。外交に関してここまで力のある首相は、歴代を見渡しても安倍氏ぐらいだろう。ビッグ・プレイヤーたちがいかに安倍氏を信頼していたか、そして彼がどれだけ日本の国際競争力を高めていたかを知ることができた。
    安倍晋三という政治家を知るうえで、非常にオススメの一冊だった。

    ――野田元首相(立憲民主党)「首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません」

    ――――――――――――――――――
    【以下、印象に残った部分のメモ】
    0 まえがき
    退任後できるだけ早く振り返ってもらおうと思った第一の理由は、記憶が生々しい状態で語ってもらうことで、より真実に近づくことができると考えたからです。また、政治家に限りませんが、回顧録には濃淡の違いはあれ、自己正当化が付きまといます。それは避けられないことです。時が経てば、本人は意識しなくとも正当化や美化の度合いがさらに強くなるのは普通です。それを少しでも相対化できるのは、直截的な言い方をすれば、「回顧録」を関係者の前に晒すことです。これが第二の理由です。事実の見方は決して一つではありません。英国の歴史家E・H・カーがいみじくも指摘したように、「歴史とは解釈」( 『歴史とは何か』岩波書店)なのです。いくつもの解釈があり得るのです。そのためにも関係者に反論の余地を残しておくことが肝要です。多くの目に晒されることで、当然ながら、語る側にも自制が働きます。すばやく「回顧録」が出されることで、日本の政治に何が起きていたのか、より多角的に光が当てられることになります。


    1 コロナ禍での政権運営
    ――「官邸一強」と呼ばれた体制が、新型コロナへの対応では迷走しました。検査や病床確保の「目詰まり」の正体は何だったのでしょう。
    感染症への対処は国の責任ですが、権限的にも予算的にも国が介入できる手段が少なかったということに尽きると思います。指示する権限や仕組みがないので、自治体や保健所、医療機関を国が動かせない。
    民主党政権時代の12年に制定された新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)は、自治体に多くの権限を委ねています。首相が緊急事態を宣言しますが、具体的な外出自粛の要請や、営業時間の短縮要請、医療施設の確保などは知事に委ねている。国の役割は、総合調整です。こんなの欺瞞でしょう。政府の責任で感染抑止に当たるように書くべきです。民主党ができの悪い法律をつくってしまったのです。

    ――休校決定について。文部科学省は当初、自治体の判断に委ねていましたが、安倍さんが2月27日、一斉休校を要請する考えを表明しました。調整不足だったのでは。
    休校を決めるだけのエビデンスがないと言われましたが、世界中、初めて感染する病なのだから、そんなものがあるはずがない。だったら政治家がリスクを取るしかないでしょう。マスコミからは、メチャクチャなことをやっていると言われましたが、国民に危機感を持ってもらう上では、今でもあの判断は正しかったと思います。

    ――「アベノマスク」の背景はどういうことだったのですか。
    いろいろ言われましたが、私は政策として全く間違っていなかったと自信を持っています。当時マスクは圧倒的に品薄で、価格が高騰していた。インターネット販売で買おうとしても、あり得ないような高値でした。販売事業者に流通をお願いしても、市中に出てこないのです。
    そこでまず、3月初めに医療現場や介護施設、障害者施設に2000万枚を配布することを決めました。経済産業省がミャンマーなど東南アジアと交渉し、布製ならば確保できそうだとなったので、発注したのです。布製ならば洗って繰り返し使えるし、いいじゃないかとね。その後、全世帯への配布を決めました。とにかく市中にマスクを流通させ、需要を抑制するという判断です。あの布製マスクが流通したことで、業者は抱えていた在庫を出し、店頭やネットの値段が落ち着いたのは事実でしょう。

    ――国民1人当たり一律10万円を給付する措置は、迷走の末に決まりました。4月7日にいったん、低所得世帯への30万円の支給を盛り込んだ20年度補正予算案を閣議決定しましたが、16日の緊急事態宣言の全国拡大に合わせて、一律10万円に変更されました。閣議決定した予算案の組み替えは異例でした。なぜこんな経緯をたどったのですか。
    一律10万円は最初、甘利税制調査会長に相談し、迅速に届き、かつ消費にもつながれば経済にもプラスになるという考え方で一致したのです。
    (30万円案を提言した)岸田さんには申し訳ないことをしました。でも、感染状況が変わったのですね。地方でもクラスターが散発し、ゴールデンウィークの帰省や旅行を懸念する声が広がったのです。だから緊急事態宣言を全国に拡大することにしたのですが、この時、多くの国民が困っているのだから、等安心してもらった方が良いという声が上がったわけです。
    一律10万円は、もはや理屈ではないのです。気持ちの問題です。どれくらい消費に回るかという経済合理性は考えず、国民に寄り添う政策を実行すべきではないかと思いました。自粛ばかり求められて国民に憤懣が鬱積する中、不安を払拭する責任が政治にはある、と考え直したのです。

    ――政府は2017年に秋田、山口両県にミサイル迎撃システム・イージスアショアを配備する方針を決めていましたが、20年6月に断念しました。
    問題は、断念を決めた後でした。河野太郎防衛相が相談に来たので、配備の中止は了解したのですが、米国とは全く調整していなかったのです。だから、配備計画は中止するけれど、当面はサスペンド、つまり吊した状態だという苦しい説明をしなければならなかった。
    私は、それまでのトランプ大統領との首脳会談で、FMSを通じてF35戦闘機を147機購入する、イージスアショアは2基導入すると強調してきました。「これだけあなたの国の兵器を買うんだ」と言って、米国の軍事力増強の要求をかわしてきたのです。「ありがとう、シンゾウ」とトランプに言われてきたのに、配備中止で「なんだ、買わないのか」となったらまずいでしょう。だからこの話題はトランプには言わないでくれ、と米政府に働きかけたのです。とにかくその後の米国との調整は、政務においても、司司においても大変でした。


    2 第一次安倍内閣
    ――第一次内閣は、教育基本法の改正、防衛庁の省昇格、国民投票法の制定と、50〜60年に一度の重大な法改正を相次いで行いました。通常、「1内閣1課題」と言われます。無理をしたという思いはありますか。
    安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を掲げていました。例えば教育基本法は、日本が米国の占領下にあった時代につくられたものです。憲法と同じで、指一本触れるな、と言われました。確かによくできた法律ですが、どこの国の基本法か分からない。日本の香りがしない法律だったわけです。だから国を愛する心、公共の精神を盛り込んだのです。
    一点集中突破ではなくて、あらゆる課題を全面突破しようと考えていたのです。それは、若さゆえだったと思います。そのために相当、国会には負荷をかけてしまった。
    私は、就任当初の菅義偉首相に、「総裁選に勝って政権ができた時、内閣が誕生した時が一番、力がある。社会にもご祝儀相場のようなものがある。自分が一番精神的に高揚している時にできる限りのことをやるのがいい」と言いました。実際それは間違っていないと思います。

    ――民主党政権をどう見ていましたか。
    民主党政権の間違いは数多いが、決定的なのは、東日本大震災後の増税だと思います。震災のダメージがあるのに、増税するというのは、明らかに間違っている。
    そういう思いから、経済の専門家に会って何度も議論しました。また、第一次内閣で経済産業副大臣だった山本幸三氏にデフレ脱却の勉強会の会長を頼まれて、勉強会を発足させました。そうした中で、日銀の金融政策や財務省の増税路線が間違っていると確信していく。そこでアベノミクスの骨格が固まってくる。こうやって安倍政権は、産業政策のみならず金融を含めたマクロ経済政策を網羅することになるのです。極めて珍しい内閣だったと思います。


    3 第二次内閣発足
    ――アベノミクスについて。かつてなく日銀の立ち位置に踏み込んだため、日銀の独立性を侵す、という批判が出ました。
    世界中どこの国も、中央銀行と政府は政策目標を一致させています。政策目標を一致させて、実体経済に働きかけないと意味がない。実体経済とは何か。最も重要なのは雇用です。2%の物価上昇率の目標は、インフレ・ターゲットと呼ばれましたが、最大の目的は雇用の改善です。マクロ経済学にフィリップス曲線というものがあります。英国の経済学者の提唱ですが、物価上昇率が高まると失業率が低下し、失業率が高まると、物価が下がっていく。完全雇用というのは、国によって違いはありますが、大体、完全失業率で2.5%以下です。完全雇用を達成していれ価上昇率が1%でも問題はなかったのです。

    ――参院選後の2013年8月、内閣法制局長官に小松一郎駐仏大使を充てました。集団的自衛権の憲法解釈変更の布石でしたが、法制局長官人事は、首相に返り咲いた当初から考えていたのでしょうか。
    いや、前任の山本庸幸法制局長官とは、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする話を随分としたのです。でも、堅かった。集団的自衛権は国連憲章第51条で加盟国に認められています。日本も国連加盟国ですから「国際法上、日本にも権利がある」と私が言っても、山本さんは、「憲法上認められません」と主張を変えず、ずっとすれ違いでした。ならば代わってもらうしかないと思いました。12年の衆院選で、自民党は行使容認を公約していましたから。法制局長官人事は、人の好き嫌いではなくて、政策目標として国民に選挙で訴えたことを実現するためだったと言えます。
    内閣法制局といっても、政府の一部の局ですから、首相が人事を決めるのは当たり前ではないですか。ところが、内閣法制局には、長官を辞めた歴代長官OBと現在の長官が集まる参与会という会合があるのです。この組織が、法制局では絶対的な権力を持っているのだそうです。そこで、法制局の人事や法解釈が決まる。これは変でしょう。国滅びて法制局残る、では困るんですよ。第一次内閣の時も、法制局は私の考えと全く違うことを言う。従前の憲法解釈を一切変える気がないのです。槍が降ろうが、国が侵略されて1万人が亡くなろうが、私たちは関係ありません、という机上の理論なのです。でも、政府には国民の生命と財産に対して責任がある。法制局はそういう責任を全く分かっていなかった。

    ――(拉致問題について)結局は、米国から強いプレッシャーがかからないと、北朝鮮は動かないのではないですか。
    それは大きな要素ですね。02年、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が、イラク、イラン、北朝鮮の3国を「悪の枢軸」と位置づけ、最も脅威となる国家として非難しましたね。ですから北朝鮮はブッシュ大統領に怯えていました。実際イラクは攻撃も受けたわけで、北朝鮮は日本にすがりつこうとした。小泉政権当時の日朝交渉では、我が国の外務官僚が怒って席を立って帰ろうとしたら、北朝鮮側の担当者が泣きついてきたこともあったのです。
    私が官房副長官だった時分のことですが、02年の小泉訪朝時、金正日もそうでした。小泉さんとの首脳会談で盛んに「いつ米国と戦争をやっても構わないんだ」と言うわけです。逆に、戦争だけは何とか止めてくれ、という感じがひしひしと伝わってきた。小泉さんは「そんなことは言わない方がいい。かつて日本も米国と戦って大変だった」と真正直に応対していました。私が横から「場合によってはブッシュ大統領と会ったらどうか」と言うと、いきなり金正日が体を乗り出してきたのです。
    金正日は、拉致を認めた02年9月17日午後の会談で、文書を読むのですけど、読みながら、小泉さんを上目遣いでちらちらと見てくるのです。どういう反応をするかと。とにかく米国が怖かったんですよ。そう考えると、米国が脅威にならないと、拉致問題も進展しないと言える。

    ――2015年8月14日、戦後70年の安倍首相談話を閣議決定しました。日本は戦争の加害者という側面の一方で、東京大空襲や原爆で一般人を大量に殺され、敗戦後は占領されました。にもかかわらず、なぜその後何十年も反省やおわびを繰り返さなければならないのか、という考えも、安倍さんにはあったのではないですか。
    侵略、おわび、植民地支配、痛切な反省、というキーワードがありましたが、例えば侵略については、日本は過去何度もおわびしてきましたよ。「何回謝らせれば済むんだ」という思いはありました。だから、70年談話では「我が国は(中略)繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」とか「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」という表現にして、私がおわびします、とは言わなかったのです。いろんな書きぶりを戦略的に打ち出したのです。
    村山談話の間違いは、善悪の基準に立って、日本が犯罪を犯したという前提で謝罪をしていることです。日本という国だけを見て、すみません、ということなのです。では、当時の世界はどうだったのか、という視点がすっぽり抜けている。
    70年談話は、日本は国際社会の潮流を見誤ったという、政策的な現状認識の誤りに基づいているのです。ここが決定的に違う。国際社会は同じ間違いを犯しました、だから、普遍的な価値を共有していきましょう、としたのです。


    4 海外の首脳たち
    ●トランプ
    通商や貿易の世界で、自国第一主義を主張するのはまだ許せるのですが、安全保障政策で米国が自国の利益ばかりを考え、国際社会のリーダーの立場を下りてしまったら、世界は紛争だらけになってしまいます。私は「国際社会の安全は米国の存在で保たれている」とトランプには繰り返し言いました。
    トランプは、国際社会で、いきなり軍事行使をするタイプだと警戒されていると思いますが、実は全く逆なんです。彼は、根がビジネスマンですから、お金がかかることには慎重でした。お金の勘定で外交・安全保障を考えるわけです。例えば、「米韓合同軍事演習には莫大なお金がかかっている。もったいない。やめてしまえ」と言うわけです。
    トランプはアメリカ・ファーストを貫きつつも、時々、「この政策で大丈夫だろうか」と不安になることがあったのだと思います。そういう時、私の意見を聞こうとして電話をしてきました。私を相談相手にしたのは、彼が米大統領選で勝った16年秋、私が外国の首脳の中で最初に勝利を祝う電話をし、すぐに会いに行ったことが大きいと思います。大統領との電話会談も、オバマの場合、15分から30分程度と短めでした。米国の大統領は忙しいから長い時間は取れないのだろうと思っていました。しかし、トランプは違った。結構、時間が取れるんです。トランプは平気で1時間話す。長ければ1時間半。途中で、こちらが疲れちゃうくらいです。そして、何を話しているかと言えば、本題は前半の15分で終わり、後半の7、8割がゴルフの話だったり、他国の首脳の批判だったりするわけです。
    私は自分の考えをトランプに正直に伝えるように心がけたし、トランプも、多くの課題について本心を私に話してくれたと信じています。

    ●プーチン
    ロシアは、13年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京での五輪開催を支持してくれました。ロシアの働きかけで、東京に1票を投じてくれた国もありました。ソチ訪問は、そのお礼をする意味もありました。
    プーチンは、秋田県知事から寄贈された秋田犬の「ゆめ」を連れてソチの大統領公邸で私を出迎えました。私が「ゆめ」の頭をなでると、「気をつけないと噛むかもしれないぞ」と私のことを脅しましたが、その後の会談では、私の訪問について「スパシーバ(ありがとう)」と繰り返し述べていました。
    私は中国の問題を、ソチでもその後の首脳会談でも、相当時間を割いてプーチンに話したのですが、プーチンの真意は見えませんでした。彼は米国の批判はするけれども、中国についての物言いは慎重でした。

    ●習近平
    私の任期中、習近平はだんだんと自信を深めていったと思います。10年に世界第2位の経済大国となって以降、より強硬姿勢となり、南シナ海を軍事拠点化し、香港市民から自由も奪った。そして次は台湾を狙っている。毛沢東が経済失政で飢餓を引き起こした反省から、中国は鄧小平時代に集団指導体制が敷かれましたが、今、習氏は異論を封じている。非常に危険な体制となっているわけです。
    中国の指導者と打ち解けて話すのは、私には無理です。ですが、習近平は首脳会談を重ねるにつれ、徐々に本心を隠さないようになっていきました。ある時、「自分がもし米国に生まれていたら、米国の共産党には入らないだろう。民主党か共和党に入党する」と言ったのです。つまり、政治的な影響力を行使できない政党では意味がないんだ、ということです。建前上、中国共産党の幹部は、共産党の理念に共鳴して党の前衛組織に入り、その後、権力の中枢を担っているということになっている。しかし、この習近平の発言からすれば、彼は思想信条ではなく、政治権力を掌握するために共産党に入ったということになります。彼は強烈なリアリストなのです。

    ●メルケル
    彼女は首脳会談後の夕食会で、いろいろと中国について話題を振ってくるのです。中国政府が中国文化の普及を目的に世界中につくった「孔子学院」について、彼女は「学院に全然、人がいない。中国人がドイツ国内で工作活動をしているようだ。とんでもない」と言う。孔子学院が対外世論工作の機関になっているという話は、私は何度もサミットなどで話していたので、「だから言ったでしょう」と私は言いました。
    でも、メルケルの対中批判を鵜呑みにはできません。私は「ところで、ドイツのエンジンメーカーは、中国にディーゼルエンジンを売っていますね。中国海軍は、ドイツ製のエンジンを駆逐艦や潜水艦に搭載している。これは一体どういうことですか」と聞いたのです。するとメルケルは、「え、そうなの?」と言って、後方に控えている官僚の方を振り向いて聞くわけです。でも、誰も答えない。ドイツが中国にエンジンを供給していることなんて、誰だって知っています。メルケルは知らないふりをしていただけです。メルケルは、閣僚経験も豊富だし、国際会議や交渉の場数を踏んでいるだけあり、この程度の話では動じませんでした。やり手でしたね。

    ●アボット、モリソン(豪州)
    14年1月、毎年スイスで開かれているダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)に私が出席した時、会議に来ていたアボットが首脳会談を求めてきたのです。私は前年の12月に靖国神社を参拝していたので、「歴史修正主義だと文句を言われるのかな。面倒だな」と思って断ったのですが、豪州側は「短時間でもいいから会いたい」と強く言ってくる。仕方がないので、年次総会の会場内で、短時間会ったのです。すると、アボットは開口一番、「これだけは伝えたかった。日本の戦後の平和国家としての歩みは、世界からもっと評価されるべきだ。日本は過去の出来事において謂れなき批判を受けている。それは全くフェアではないし、日本は安全保障分野でもっと貢献すべきだと思う。協力していこう」と言うわけです。私はびっくりしました。日豪は第2次世界大戦で戦い、豪州人の中には、日本軍によるダーウィン空襲を今なお批判している人もいます。そういう歴史の話を一切せず、アボットは私に協力を申し出てきたわけです。この短い会談が、その後の経済や安全保障の連携強化につながっていくことになりました。
    モリソンが首相に就任した18年の頃には、私は国際社会で一定の発言力を持っていました。モリソンは私のことを「メンター」、先生と呼び、豪州国内では「私の外交アドバイザーは日本の安倍総理だ」とまで言っていました。自由で開かれたインド太平洋構想や、日米豪印の協力などが、彼の考えに合致していたのでしょう。


    5 戦後外交の総決算
    ――ロシアとの北方領土問題について。領土の帰属問題を優先させず、経済活動で協力しながら、領土問題解決の機運を醸成していくという考え方に立った判断基準は?
    日本は中国から尖閣諸島を守りつつ、北朝鮮のミサイルの脅威にもさらされ、ロシアとも難しい関係にある。日米同盟があるとはいえ、そんな状況で大丈夫なのか、ということですよ。多くの外交の懸案脅威を抱える中、対露関係を大きく改善する必要があると思ったのです。だから、北方領土の返還を現実問題としてとらえ、俎上に乗せようとしたのです。
    4島には今、ロシアの住民が住んでいるのです。一緒に経済活動を行い、日本はいいね、と思ってもらわなければ、領土交渉への理解が得られるはずがない。ロシアの国民全体にも、極東地域の開発などを通じて、日本との関係を強化した方がいいと思わせる必要があった。ソチで私が提案したエネルギーや極東開発、交通網整備など8項目の協力計画も、その後合意する4島での共同経済活動も、島民や極東地域の人々に、日本に対する理解を深めてらうためでした。


    6 ゆらぐ政権
    ――森友学園問題をどう総括していますか。
    国有地の売却価格を値下げした理由は、豊中市の売却予定地にゴミが見つかったことなど様々な理由がありました。背景が根深いのは事実でしょう。
    18年に国有地売却の決裁文書の改竄が明らかになりますが、財務省の佐川宣寿理財局長は17年に「政治家の関与は一切ない」「価格を提示したこと、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と答弁していました。この答弁と整合性を取るために、財務省が決裁文書を書き換えてしまったのは明らかです。野党から連日追及され、財務省は本来の仕事ができないから、野党を鎮めるために改竄してしまったわけです。
    正直、改竄せずにそのまま決文書を公表してくれれば、妻が値引きに関わっていなかったことは明らかだし、私もあらぬ疑いをかけられずに済んだわけです。官僚が安倍に忖度した、というように結論づけられてしまっていますが、財務官僚が私のことなんて気にしていなかったことは、その後、明らかになった文書からもそれは明白です。自分たちの組織を守ることを優先していたのです。

    ――小池百合子都知事の政治家としての評価はいかがですか。
    小池さんは、常にジョーカーです。手札の1から13の中にはないのです。ジョーカーのカードなしでも、トランプの多くのゲームは成り立つのだけれど、ジョーカーが入ると、特殊な効果を発揮してくる。ある種のゲームでは、グンと強い力を持つ。スペードのエースよりも強い。彼女は、自分がジョーカーだということを認識していると思います。ジョーカーが強い力を持つには、そういう政治の状況が必要だね、ということも分かっている。
    小池さんはいい人ですよ。いい人だし、人たらしでもある。相手に勢いがある時は、近づいてくるのです。2016年に知事に就任した当初は、私の背中をさすりながら話しかけてきて、次衆院選では自民党の応援に行きますからね、とまで言っていたのです。しかし、相手を倒せると思った時は、パッとやってきて、横っ腹を刺すんです。「あれ、わき腹が痛いな」とこっちが思った時には、もう遅い。彼女を支えている原動力は、上昇志向だと思いますよ。誰だって上昇志向を持つことは大切です。でも、上昇して何をするのかが、彼女の場合、見えてこない。上昇すること自体が目的になってしまっているんじゃないかな。上昇する過程では、小池さんは関係者を徹底的に追い落としてきましたね。
    彼女の弱点は、驚くほど実務が苦手な点です。2020年の話になりますが、新型コロナウイルスの感染者が続出していた新宿・歌舞伎町で、保健所と警視庁がホストクラブや風俗店を巡回しました。最初、小池さんに連絡し、「警察官と保健所職員でやりませんか」と打診したのです。保健所は、区が管轄しているとはいえ、東京都が人事を決めていますから。小池さんは「うーん」と考え込んで、その後、「国でやってください」と言ってきたのです。だから政府ですべて調整して実施することにしました。保健所には人員の余裕がないというので、警察官のOBを保健所で臨時に採用するという手続きを取って、巡回してもらいましたが、小池さんは一切協力してくれなかった。一方、小池さんの発信力はものすごい。とにかく、命名もメディアの使い方もうまいですよ。感染が拡大すると、記者会見では「ステイホーム」や「東京アラート」を呼びかけて、「やってる感」を出すのですね。「実務をこなしているのは、政府なんだけれどなあ」と随分思いました。手強い相手です。


    7 長期政権が実現できた理由
    ――長期政権となった一番大きな理由は?
    長期政権を実現できた最大の理由は、2006年9月から1年間、第一次内閣で失敗を経験したことでしょう。私は第一次内閣で首相に就任するまでに、官房副長官を3年以上、さらに官房長官を1年やり、首相官邸の役割や中央省庁との関係、政策決定の仕組みなどをある程度分かっているつもりでした。官邸を十分に経験しているから、首相になってもやっていけると思っていたのですが、そうした考え方は、うぬぼれでした。総理大臣となって見る景色は、官房長官や副長官として見るものとは、全く別だったのです。首相の決断は、国の最終判断ですから、すべての国民に影響します。防衛や防災に限らず、経済や社会保障政策の間違いは、人の生死を左右します。それがいかに重いことかを、最初に首相に就任する時は、分かっていなかった。そのがあったからこそ、第ニ次内閣以降、政権を安定させることができたのでしょう。

    経験を積んでいたのは、私だけではありません。だから、ニ次内閣をつくる時は、一次内閣のメンバーにもう一度、私を支えてほしいとお願いしたのです。ニ次内閣以降の主要なメンバーは、皆、一次内閣で私と苦しい時間を共有してくれた仲間です。そして、このメンバーの配置が、ニ次内閣ではうまくいきました。アベノミクスの司令塔役として甘利さん、内閣の要として菅さん、麻生さん。そして党内を抑える役割が高村さん。この配置に成功したことが、政権を安定させ、かつ戦略的に政策を遂行することにつながったと思います。

    第ニ次内閣発足当初の2012年末から13年は、民主党政権下で悪化した経済状況を何とかしてくれ、という国民的なニーズに応えることを優先したわけです。私が再び首相に就いた当時は、行きすぎた円高で大手の製造業が生産拠点を海外へどんどん移し、移転できない中小企業、小規模事業者は、日本国内の工場を閉めざるを得ない状況に追い込まれていました。12年の倒産件数は1万2000件を超えていた。20年のほぼ1.5倍の多さです。
    そうしたデフレからの脱却を目指すため、いわゆるアベノミクスに着手したわけです。その結果、雇用の創出には成功したわけです。政治に求められる経済分野の最大の眼目は、雇用でしょう。民主党政権時代の失業率は5%を超えていましたが、第ニ次安倍内閣の16年度以降は、「完全雇用」と呼ばれる3%を下回る状態が続いていきます。10年は0.52倍だった平均有効求人倍率も、1年には1.61倍にまで改善しました。高卒、大卒の就職率も過去最高水準となりました。安倍内閣は、若年層の支持が非常に高かった。その理由は雇用、特に就職の環境を改善したことだと思います。
    国民に景気拡大の実感が乏しかったことは、認めます。生産性の向上や、賃金の引き上げは、道半ばでした。経済の好循環を目指したアベノミクスが、すべてうまくいったわけではありませんが、ある程度の成果をあげ、多くの国民に支持されたのは事実でしょう。

    ――長く首相を務めていた故に、外交で存在感を発揮できた側面もあるでしょう。
    それは大きいですね。G7首脳会議やG20首脳会議、APECの首脳会議など、いろんな場面がありますが、インターネットなど情報技術が発達した結果、「自分たちのリーダーはちゃんと仕事をしているのか」ということに多くの国民が関心を持つようになっていると思います。私は第一次内閣で、ドイツのメルケル首相やロシアのプーチン大統領らと付き合い、首相に再び就任した段階で、すでに一定の関係があった。第ニ次内閣以降は、年数を重ねていくにつれ、こちらも国際会議に場慣れしていきます。そして、各国の新しい首脳は私に挨拶に来る。そもそも日本は大国ですから、日本の首相に会いたいという首脳は多いわけです。様々な会議で私が発言していくようになると、私の周りに人がだんだんと集まってくるようになりました。また、そうした映像は日本に届くわけです。長くなればなるほど、国際社会は無論、日本国内でも存在感を増していくことになったのだと思います。

  • 安倍さんの人柄と信念が伝わってくる本だった。
    普段のニュースや新聞は政府への批判が主であり、それがメディアの役割だとも思うけれど、批判が目的になってしまっているように思う。
    もっと政府の背景や意図、目的が伝わるようになれば良いなと思う。
    もっとも、それはメディアではなく政府側の仕事かもしれないが。

    外国要人とのエピソードなども面白く、政治も人と人との付き合いなのだなと思った。
    日本人ってスピーチ下手なイメージあるけど、最後の弔辞は4つともすごく良かった。

  • パーティー券のキックバックや、森友、加計、いろいろ叩かれてますが、、、
    新卒の内定率を劇的に上げたのは、安倍さん。
    世界における日本のプレゼンスを上げてくれたのも、安倍さん。
    増税一辺倒の財務省と戦ってくれたのも、安倍さん。
    デフレ脱却に向けた日銀とのアコードを結んでくれたのも、安倍さん。

    御用記者ではあるけれども、耳の痛い話にも裏話含めて包み隠さず話してくれているのには、結構驚いた。

    全ての話題がニュースで取り上げられたもので、鮮明に覚えているだけに、その裏側を知ることができたのは、とても良かった。
    この15年を振り返る、良い機会となった。

    ここまでの人は、なかなか生まれないだろうなぁ。
    逆恨みからの暴挙で亡くなってしまい、本当に、残念です。

  • 志半ばで、しかもあのような形で逝ってしまった安倍さんの回顧録。すぐ読む気にはなれずにいたが手にしてよかった1冊だった。

    聞き手の方々の前でざっくばらんに話す安倍さんがすぐ傍にいらっしゃるような文体。
    本当に惜しい人を失った。
    政治的に評価や賛否が分かれていることを承知の上だが。

    政治だから難しさや曖昧さ、或いは自分にとっての重要性はそれぞれ異なっていて、それが好き嫌いにも直結しやすいところはあると思う。
    あとメディアの伝え方、切り取り方は酷かったなあ。
    逆風の中で長期政権を維持された胆力にも頭が下がる。

    戦後猛烈に前に進んできた日本が敗戦の苦渋から立ち直り、豊かさを手に入れた後の迷走・低迷のなかで、安倍さんが戦後レジームからの脱却を高らかに掲げた勇気に目が覚める思いだ。

    私たちはどこに向かっているのか。変えてはならないもの、失ってはいけないもの。そして修正したり、手放したりすることが求められるものは?

    国民全員が納得する方策などあり得ない。
    そもそも「国民」は一枚岩ではないのだから。
    過剰な判官びいきで「権力」対非力な「国民」という安易な構図で物事を語り続けるメディアのスタイルには違和感を感じる。

    今や政治もメディアも盲目的に「丁寧な説明」を連呼するが、「丁寧」という精神性や誠意を示せば全員が納得するほど物事は単純ではない。

    誰か権力側の人や組織を悪役に仕立て上げ、判官びいきで伝え「国民」の溜飲を下げるスタイルというのももうおなかいっぱい。

    言葉が空を切る虚しさのなかで、安倍さんの発したいくつもの明解なキャッチフレーズは心に響いたのだと再確認する。

    裏話として語られる外交分野でのあれこれ。
    強烈な個性の持ち主たる各国リーダーとのエピソードは本当に面白かった。

    猛獣使いのごとく彼ら彼女らからの信頼を重ねた安倍さんの人間的な魅力、茶目っ気のようなものも功を奏したと思う。

    確固たる国家の将来像という方向性を示しつつも、政治家として落としどころを見出すリアリストでもあり、それを言葉で示すことのできた安倍さんが再々登板されることを待っていたのに本当に残念だった。

    モノづくり国家として経済大国日本が中国や新興勢力の陰におびえながら順位を少しずつ落とし、将来迫りくる少子化や高齢化、人口減少という影に先細りを感じる現状。
    敗戦時私たちはダメだったのだという自己否定の戦後レジームから脱却して自ら私たちの行く先を定めようと強く訴えた安倍さんの矜持をあらためて噛みしめたいと思い頁を閉じた。

  • コロナになり病気が再発して首相を退任した後、本書の著者らによるインタビューを受けて在任中を振り返った内容を、死後に回顧録としてまとめた1冊。インタビューに答えている形式なので、普段の安倍元首相がざっくばらんに軽く話している雰囲気が感じられた。
    よく言われていたように、味方と敵に分けて自分の意見に反対する考えには耳を貸さないような態度なんかも、別に隠さずに話している。ある意味とても素直で正直な人柄を感じたし、同じ方向を見て何かを一緒にするときに担ぐのにベストな人だと思った。
    財務省との戦いだとか、自分のやりたいことははっきりさせつつ、戦略的に選挙なども乗り越えて長期政権を維持し、人も惹きつけたと言う意味では、戦後日本の転換点を担った偉大な首相だったということでしょう。ここからが終わりの始まりでなければ良いのですが。ご冥福を祈ります。

  •  安倍さんが、自分の言葉で政治の裏側を分かりやすい表現で語っており、リアルな政治の世界を感じられた。
     当然本書に書かれていることが全てではないことは分かるが、飾らない言葉で書かれており、当時の政局のリアルが伝わってくると共に、ある程度、嘘偽りのないであろう安倍さんの本音を感じられた。
     安倍政権に対しては賛否が別れるが、安倍さんの思いを活字として読み返してみると、個人的には安倍さんの理路整然とした分かり易い物言いと、特に外交安保のぶれない信念が長期政権につながった要因であったと思えた。
     政治分野では、自分の興味に直結する分野と全く興味の範囲外にある分野が二分され、読み進めるのに苦行な箇所もあったが、普段あまり触れることのない政治のリアルを感じられる本書は、現代政治を見る上で大変参考になった。

  • 安倍氏については特に支持不支持はありませんが、オバマ、プーチン、トランプ、小池百合子氏とのやりとりの様子、興味深く読みました。
    長い間総理を務められた事、お疲れ様でした。

  • 親安倍のみならずアンチ安倍でも読むべき一冊。
    憲政史上最長の政権は数々の事件や国際問題に直面したわけだが、それらにどう考えてどう対処していったのかが率直に語られる。自己正当化の弁説とけなすこともできるがまずは読んでみることをお勧めする。
    役所の無謬性に関する意見は役所にとどまらず日本社会の傾向として共感できた。
    内政に関して批判される部分もわかるが、国際政治において日本の存在感を高めたことは正当に評価されるべきと思う。

  • 控えめに言って最高です。
    安倍さんは外交に強いという記事をよく目にしていましたが、これはどうやらマジみたいです(笑)

    (北朝鮮がミサイルを発射)
    トランプ「おれなんて言えばいい?」
    安倍「日本を100%信頼していると言ってくれ」
    トランプ「わかった!」

    (トランプタワーで2人で会食中)
    トランプ部屋の明かりを消しケーキを持って来て
    ハッピーバースデーを歌い出す(ちょうど安倍さんの誕生日付近)

    (トランプが頻繁に電話してくる)
    安倍「真面目な話は最初の15分だけ。後の1時間はずっとゴルフなどの雑談で、同席していた官僚も困惑していました。」

    友達か!!!!!笑

    他にもたくさんの国の首脳陣とのやりとりが掲載されており、非常に興味深い内容でした。
    やはり国のトップといっても1人の人間なんだなと感じました。

    その他にも財務省の増税圧力への抵抗やモリカケ問題、桜を見る会、どういう過程で「令和」になったかなど盛りだくさんの内容です。

    ※かなり分厚いですが、会話形式で展開されており、非常に読みやすいです。

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著者プロフィール

安倍晋三(あべ・しんぞう)
1954年、東京生まれ。成蹊大学法学部政治学科卒業後、神戸製鋼所勤務、父・安倍晋太郎外相の秘書官を経て、1993年衆議院議員初当選。2003年自由民主党幹事長、2005年 内閣官房長官などを歴任。2006年第90代内閣総理大臣に就任し、翌年9月に潰瘍性大腸炎を理由に退陣。2012年12月に第96代内閣総理大臣に就任し、再登板を果たした。その後の国政選挙で勝利を重ね、「安倍1強」と呼ばれる長期政権を築いた。20年9月に持病の悪化で首相を退くまでの連続在職2822日と、第1次内閣を含めた通算在職3188日は、いずれも戦前を含めて歴代最長。第2次内閣以降はデフレ脱却を訴え経済政策「アベノミクス」を推進。憲法解釈を変更し、15年9月に限定的な集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を成立させた。対外関係では、「地球儀 俯瞰外交」や「自由で開かれたインド太平洋」などを掲げ、首脳外交に尽力。日米豪印4か国の枠組みなど、日本の安全保障に欠かせない米欧諸国との連携の礎を築いた。2022年7月8日奈良市で参院選の街頭演説中に銃撃され死去。享年67。

「2023年 『安倍晋三 回顧録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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