- Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121009753
作品紹介・あらすじ
徳一は奈良朝期、藤原仲麻呂の子として生れ、法相学者として世に立ち、伝教大師最澄の天台宗開祖にあたりこれを批判、論破。東国に赴して信仰元始再興を志し、東国の化主として長く景慕された-。本書は、わずかに伝えられるこの像を徹底的に検証し、徳一とはいかなる人物であったのか、天台・真言に抗して主張した彼の正義とは何であったのかを探るとともに、東国からの仏教史ひいては日本史を捉え直す、情熱溢れる試みである。
感想・レビュー・書評
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最澄とのあいだで三一権実論争を展開したことで知られる、法相宗の徳一の生涯と思想を解説している本です。
最澄の論争相手として知られる徳一像を、著者は「ロゴス徳一」と呼んでいます。われわれに知られている徳一像はもっぱらこの「ロゴス徳一」ですが、著者は彼の生涯を明らかにするにさいして、東国の化主と仰がれた徳一のありかたに目を向け、これを「信仰(フィデス)徳一」と呼びます。そして、恵美押勝の子であるという伝承などについても検討をおこない、彼の実像にせまろうとしています。
他方、徳一の思想については、われわれの理解が最澄および天台宗から見られたものになっていることに注意をうながし、両者の思想的対立をあらためて公平な立場から見なおそうとしています。著者は、「三乗の田舎学者が一乗の中央学者にヤミクモにかみついてきたもの、最澄はあっさりと横綱相撲でこれを軽くいなした」といった見かたは、徳一および彼の背景にある奈良仏教との対決に臨んだ最澄自身の正しい理解ではありえないと主張して、両者の議論について検討をおこなっています。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
徳一菩薩の生涯について、少ない史料からその実像を明らかにすることが試みられている。東国での仏教興隆の経歴については陸奥会津の慧日寺⇒常陸筑波山が妥当であるという。法相宗を代表しての徳一と最澄の三一権実論争は、最澄の文献の引用によってのみ徳一の主張が知られるのと天台宗が後世大いに広まったということから最澄側が圧勝したように思われているが、その中身をよく読むと最澄が徳一を北轅者・麁食者と口汚く罵るほどギリギリの戦いで、最澄の死によってうやむやとなり天台側の「勝利」は数百年後になったという。また真言宗の空海とも論争を構え、「真言宗未決文」に対する空海の広付法伝も一部への反論にしかなっておらず徳一の論議は彼らを圧倒していたが、後進を得られず歴史に埋没してしまったという。