流浪の戦国貴族近衛前久―天下一統に翻弄された生涯 (中公新書 1213)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121012135

作品紹介・あらすじ

干戈轟く群雄割拠の時代、朝廷最高の官職の家柄に生まれた近衛前久は、抗争渦巻く武家社会に身を投じて、上杉謙信とは盟約を結んで関東に下り、織田信長とはその意を受けて石山本願寺との講和に貢献し、豊臣秀吉とはその関白就任にあたって自分の猶子とし、家康とは叙任、徳川改称について朝廷に斡旋するなど、公家でありながら、武家に伍して天下統一の大事業に挑んだ人物であった。公家社会最高権門の行動に時代の大転換をみる。

感想・レビュー・書評

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  • 朝廷の、家系も官職も最高に位置する、近衛前久。
    しかし世は戦国時代。公家でありながらも武家に伍して、
    奔走する、近衛前久の生涯を綴る。
    序章 天下一統世代の誕生
    第一章 戦国時代  第二章 織田時代  第三章 豊臣時代
    終章 天下一統の完成
    近衛家略系図、近衛前久略年譜、参考文献有り。
    戦国時代、近衛家は天皇家よりも将軍家と密接でしたが、
    前久が関白に就任した頃、朝廷最高の地位は政治でも、
    京の政情に対しても無力でした。
    数度にわたる京からの出奔と7年間の放浪。その中での
    島津氏や家康等の交流は、伝統文化の師範であり、
    また馳走や官途の斡旋。彼はそれらを生かし、
    多くの縁を作り、以後の活動に役立つことになります。
    上杉謙信との蜜月、足利義昭との確執、そして織田信長!
    とりわけ、鷹や馬等での趣味が親交を深めます。
    信長の信頼は厚く、様々な場面で活躍する機会を与えられます。
    本能寺の変後、挫折し出家し徳川家康の元へ。
    再び京に戻れば、官位に目覚めた羽柴秀吉に利用された挙句、
    武家の公家成りが遂行されてしまいます。憤る子息信伊は配流に。
    そして徳川家康の覇権確立。
    公家官位と武家官位は分離されましたが、朝廷は隔離され、
    幕府による干渉が強められていきます。
    出家してからは島津家との深い交流の日々。
    ふともらした“武家の真似事をしている暇に、もっと公家としての
    教養を深めるべきであった”という述懐。
    武家にはなれなかった挫折感。
    しかし、交渉、講和に奔走した前半生の情熱は大したものでした。
    公家でありながらアグレッシブな行動力には驚きです。
    また、戦国時代の歴史の流れと、武家と公家の関わりについて、
    当時の公家社会の所領や官位、家礼の存在、社交等について、
    詳しく書かれていて、得る事が多い内容でした。

  • 近衛前久の生涯を上杉謙信や天下人を通じてわかりやすく面白かった

  • 本書を手に入れたのは、今まで断片的な知識のみであった近衛前久について、麒麟がくるでの活躍を見て、俄然興味がわいたためです。本書はその期待に充分に答えてくれます。それは、序章 天下一統世代の誕生~第一章 戦国時代~第二章 織田時代~第三章 豊臣時代~終章 天下一統の完成迄前久は全ての時代に積極的にかかわり、生き残ります。

     特に織田信長と親しく、本能寺の変により『前久が主体的に政治活動をする道は閉ざされ』直後に出家するほど大きなショックがあったとあります。当然ながら著者は前久が明智光秀と共謀する説には組みしていません。変後、前久を妬む公家の讒言により、一次徳川家康に身を寄せます。

     果たして麒麟がくるでは本能寺の変とのかかわりを何か描くのでしょうか?楽しみです。
     
    2020.3再版

  • 戦国時代の公家と武家の関係が、これほどわかりやすく理解できる本は他にない。関白になった秀吉の意図や家康の公家政策なども初めて理解した。土佐で武家となった一条氏に見られるように、現代の我々が思う以上に、当時は公家と武家の境界は意外に曖昧だった。

  • メッチャ面白い貴族を知りました!近衛前久
    PC漢字変換の都合で「まえひさ」と覚えてしまった
    前久(さきひさ)くんは若くして関白になったため
    常識と権勢のバランスが崩れてしまったようだ
    謙信と気が合い、血の盟約まで行い越後から関東に下向する行動力は、天皇即位の礼をすっぽかそうとする危うさも持ち合わせていた(笑)
    そのためかわからないが、義昭と衝突して33歳の時に京都を出奔する羽目になる(関白は免官、所領も没官)
    7年もの流浪の日々を救い出してくれたのは信長だったが、この二人【気が合う】
    趣味が合うのか、気難しく、朝廷の使者すら面会せず追い返すクセのある信長は前久だけは必ず会う
    天正四年、公卿に逢わず前久子息信伊12歳とだけ語る
    天正五年、信伊元服式を新築二条屋敷(信長加冠)
    天正六年、大船検分する信長に4日間帯同
    天正七年、足軽隊模擬戦に馬廻りたちと同行
    天正九年、安土の左義長・京の馬備えに参加
    天正十年、家康(と梅雪)もてなし猿楽に陪席
    とにかく私信も多く馬・鷹・鱈など贈答多数
    鷹狩や馬・馬具など貴族らしからぬ卓越した知識を共に語らい、茶飲み友達のような親しさだった
    本能寺の変の後、重しが取れた貴族たちは前久を誹謗し、暗殺に使用された近衛邸に疑惑を持つ秀吉に狙われ、家康の所へ避難している
    貴族たちは前久の所領を狙ったのかもしれない
    一度、すべてを失った前久の所領復活させたのも信長だったので、ソコに軋轢を生じたのかもしれない

  • 1994年刊行。本能寺の変の黒幕とも、信長の盟友とも評される近衛前久。武家になりたい、なろうとした異色の貴族の人物評伝。本書から読み取れるのは、前久の人生が光り輝いていたのは、本能寺の変までで、爾後は秀吉や家康に利用されるばかりか、あるいは、文化人としての意味合いを色濃く持つものという点だ。その意味で、彼を本能寺の変の黒幕とは見難い。一方、戦国・織豊政権時代を公家側から見つめた新書は余り多くなく、時代相の多面的解釈に寄与する書と思える。

  • こいつなら大河で1年いける。

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著者プロフィール

歴史研究家

「2014年 『「地形」で読み解く日本の合戦』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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