- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642063821
作品紹介・あらすじ
人間に歴史があるなら犬にも歴史がある。縄文犬の登場、記紀神話と白い犬、平安京の犬、中世の犬追物ブーム、南蛮犬の渡来、犬の超能力、狂犬病など、様々なエピソードで綴った、犬と人との一万年に及ぶ交流史を復刊。
感想・レビュー・書評
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日本人は、犬とどのように関わってきたか?日本人と犬との交流の歴史を、深く掘り下げて考えるとき、日本人と自然との歴史的な関係も浮き彫りにされる。「たかが犬、されど犬」
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ペット屋さんで見つけました。犬好きなのでこれは読むしかないと!
古代から現代までの犬と人間のかかわり方の歴史を紹介した本です。
まず驚いたのは、日本には犬はいなかったということ。
古代、大陸から持ち込まれたものが野生化したのが始まりで、日本人が野犬を飼いならしたわけではないそうです。
その出会いがすべてを物語っているように、歴史的に見て、純粋な日本犬、というものは過去のどの時点でも存在しなく、地域によってだんだんそれぞれ特徴を持った犬が生息していたに過ぎなくて、狆以外の日本犬の犬種が分かれたのはつい最近のことだそうです。それまでは人為的に犬種を改良するという発想が日本人にはなかったから、日本犬の歴史は浅いそうで、その事実に衝撃を受けました。
詳しく言うと、日本犬は古代から昭和まで今の猫のように放し飼い文化が基本でした。
明治時代に海外から洋犬が多数流入、それも放し飼いなので、在来犬との交配が進み、あっという間に在来犬種の存在が危ぶまれるほどまでに雑種が増えていきました。
そこでようやく、昭和に入ってから日本犬の血統を守る運動がはじまります。
しかしその時点で、立ち耳・巻尾の特徴を備えた犬はほとんどいなく、辛うじて、山間部の猟犬だけはまだ比較的純潔が残っていたので、それらを発掘し、保存が行われていきました。
そしてそれらが昭和初期に天然記念物の指定を受けていったのです。(秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、北海道犬など。)
外国では古代ローマの時代から用途によって闘犬や抱き犬など、品種改良、固定化が進んでいたというのに、この差・・・
犬を相棒にもつ歴史の長さが、今のペット事情にもつながっているのだと実感しました。日本はいつまでもペット後進国ですものね。
などといいながら、戦国時代、武士の間で一部鷹狩の際に訓練をされた使役犬は多少いたそう。鷹狩の流行が終わるとそれも廃れたみたいですけど。
ヨーロッパの狩りや牧羊に使われるような使役犬に育つまではいかなかったそうです。
また、江戸時代、お伊勢参りが大流行した際には、忙しくて時間が取れない主人の代わりに犬にお参りをさせるのも流行したそう。
(犬たちは、飼い主に路銀や「お伊勢参り犬」と書かれた名札を用意してもらうと、それを首に着けて出発する。往復とも、宿村の役人などに世話をしてもらい、次の宿村まで送り届けられながら往復。無事にお札をもらって帰ってくるという。)
想像するととてもかわゆい。。
そのほかにも、藤原道長は犬好き、とか、楽しい雑学を学べました。
と同時に、平安京の掃除人は犬とカラス、というのにショックを受けたり(絵巻の墓には必ずカラスと犬がセットで描かれている。犬のイメージが・・・)アジア全般に言えることだけど、日本にも人間が犬を食す文化はあった(赤犬は有名)とはっきり書かれていて、更に江戸時代の料理本にも、犬の調理法が掲載されていたというのを知ってちょっと辛かったです。(家庭薬として認識されていたようです)
また、三味線に猫の皮は有名だけどそれは高級品。安物には犬の皮が使われていたそう・・・
などなど、知りたかったことも知りたくなかったこと(涙)も含め、とても勉強になり面白い本でした。。 -
著者は日本中世史を専門とする日本史学者である。本書では、主に文献に登場する犬の姿から、日本人と犬の暮らしの変遷を追っている。
犬は最古の家畜と言われ、ヒトと暮らしていた証拠は、最低でも2万年前まで遡れるという。
日本で飼われ始めたのはいつかははっきりしていないが、少なくとも縄文時代の遺跡から、犬の骨などが見つかっており、この時代にはすでに家畜化されていたようだ。土着の狼が飼い慣らされたのではなく、家畜化された犬がヒトとともに移動してきたと考えられており、日本人の起源論と絡めて議論・考察が行われている。犬の遺伝子解析の結果から、南方(中国・台湾)ルートからまず渡来し、その後、北方(朝鮮半島)ルートからの移動があったと解釈するのが妥当なようだ。
古代の犬は、食用や祭祀用にも飼われていたが、何といっても狩猟犬としての役割が大きかったようだ。弥生時代の銅鐸にこうした狩りの様子が描かれており、『日本書紀』などにも犬を使った狩りに関する話が出てくる。
犬は相当な悪食である。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」という諺は、犬だからこそ成り立つと言ってもよい。
中世の犬は、狩猟犬を除き、繋がれて飼われることなく、町をうろうろしていた。自由の身である犬は、カラスとともに、町のお掃除やさんであった。そういうと聞こえはよいが、つまりはゴミやら排泄物やら、果ては人の死体も「処分」していた。『今昔物語集』などにもそうした犬の様子が窺える話がいくつもある。多くの記録から読み取れるように、犬が食べかけの死体の一部を宮中や神社に持ち込む例も稀ではなかったようで、そうなると穢れを払わねば、と貴族や神職は大わらわとなる。伊勢神宮で犬が穢れとされ追い払われた時期があったのは謂われのないことではなかったわけである。
鎌倉時代は、犬を的として矢を射る、犬追物が流行した。矢を射るとはいっても、鏃は使わず、犬を殺すことを目的とはしていなかったが、残虐性はあったと思われる。
北条高時は闘犬に狂い、数多くの犬に贅沢な食事を与え、輿に載せて移動させたという。そうした悪政のためか、鎌倉幕府は高時の時代に滅亡する。
中世、犬が軍用犬として使用された話が『太平記』にあり、犬を敵の城に忍び込ませて、防備が手薄かどうかを探らせた例があるという。救援を求める伝令犬として使われた例もある。
時代が下って江戸時代となると、まず思い浮かぶのは犬公方・徳川綱吉である。「生類憐れみの令」は、犬に限ったものではなく、牛馬の苛酷な扱いの禁止、野鳥飼育の禁止、食糧としての魚鳥販売の禁止、見世物の禁止など、かなり多岐に及んだ。もちろん、犬に関しては特に手厚く、放し飼い(当時はこれが普通)の犬を大八車がはねるというような「交通事故」も罰せられた。行き過ぎた命令は、綱吉の死後、速やかに撤回されるが、牛馬に関するものなど、ある程度残ったものもあるようだ。
近代以前、海外からの渡来犬が献上物等として入ってくることはあったが、狆を除き、あまり定着するものはなかったようだ(狆は室内犬として愛用されたが、「犬や狆」と呼び習わされるなど、犬とは別物の扱いだったようである)。
ところが、近代に入り、洋犬がどっと入り込んでくる。洋犬はカメと呼ばれたが、これは飼い主が犬を”Come here!”と呼んだことに由来する。洋犬が急激に増えたのは、気ままに飼われていた日本の犬に比べ、洋犬は訓練されたものが多く、見劣りがしたことが大きな原因であるようだ。文明開化の流れもあってか、町をうろうろしていた従来の犬は積極的に「殺される」例もあったらしい。
外部の犬が入ってくるにつれて、狂犬病の発生率もぐんと高まった。発症すると手立てがなく、ヒトにも感染してヒトもまた死に至らせる病気であったため、狂犬病流行時には、繋がれず飼い主が不明である犬が数多く撲殺された。
その後、ワクチンが開発され、狂犬病は予防可能な病気となる。昭和25年の狂犬病予防法の公布とともに、犬の登録・鑑札が制度化され、犬たちは自由と引き替えに、狂犬病からは守られることとなった。
洋犬が多く入った反動で、昭和初期、日本犬の保存運動が盛んになっていく。ただし、この時期は軍国主義が隆盛となってくる時期であり、「勇猛果敢」な猟犬系の犬種が保存の対象になる傾向があった。
日本犬は元来、狩猟用・番犬用・食用など、雑多なものであったはずだという指摘は重要なものだと思う。
1つの手段として文献を手掛かりとするアプローチで、なかなかおもしろい。日本人と犬の関わりを考える上で、歴史の流れをざっと概観できる1冊である。
*四国を中心に伝わる犬神憑の話がなかなかおどろおどろしい。坂東眞砂子の『狗神』はこのあたりを元にしているものか。
*北条高時の悪政ぶりは、「活歴物」と呼ばれる新歌舞伎十八番の演目(「高時」)にもなっている。
*本書は大部分、PHP新書の復刻であるが、末尾に著者の小論をいくつか、補論として載せている。本文と重なる部分も多く、「補」というよりは要約である。蛇足の感もあるのだが、挿入される著者と愛犬の挿話が微笑ましい。本文は冷静で実際的な筆致であるのに、自分の愛犬にはメロメロである様子が伺えて、本来、笑うような本ではないのだが、この部分は笑ってしまった。
参考
・『犬の伊勢参り』
白い犬が霊力を持つという話は、『日本書紀』の時代からある模様。犬だけでなく、白い生きものは特別視されていたらしい。 -
<目次>
第1章 日本史への犬の登場
第2章 白い犬の幻想
第3章 平安京の犬のいる風景
第4章 犬と中世の武家社会
第5章 海外からやってきた犬
第6章 鷹狩をめぐる犬たちの明暗
第7章 犬公方と江戸の犬
第8章 犬を食う人、人を食う犬
第9章 犬の霊力・呪力・超能力
第10章 狂犬病は犬と人の共通の敵
第11章 消滅しかけた日本の犬の歴史
補論
<内容>
2000年PHP新書として出した『犬の日本史』の復刊であり、補論はそれ以降のエッセイ(論文?)を入れた部分。歴史学者なので、きちんと解説しているが、明治期になっても放し飼いが普通だった日本の犬は、今でいう「純粋種」など存在せず(混血が進んでいるため)、さらに江戸中期から狂犬病の伝播により多くが殺されていることがそれを助長している、ということのようだ。また「狆」は日本の犬なんだね(平安期から文献によく出てくる.例えば『源氏物語』とか)。 -
犬は、縄文時代から現代まで一万年もの間、人間の友であり続けている。その間、時代や地域によって実に様々な人「犬」関係を構築してきており、例を挙げていくときりがない。狩猟を手伝い、貴族を慰め、武士の娯楽になり、スパイ活動をし、伝令を行い、死体を処分し、魔除けに使われるなどの役割を果たしてきたのだ。
本書の重要なテーマとして、日本犬とは何かという問題意識がある。明治末以降における国粋主義の高まりの中で立耳・巻尾の日本在来犬の血統を守る運動おこったが、見た目を重視するあまり実際の血統が軽視されている例があがっている。秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、北海道犬。これらは天然記念物として指定されている在来犬種である。しかし、たとえば秋田犬は明治以降に強い闘犬をつくるべく洋犬の血を在来の猟犬に混ぜたものであり、血統の観点からは日本犬としてむしろ不適切ではないか。
血統を守る運動は、実際は多様である日本犬の種々の型から、恣意的に理想的なものを抜出し規範化したものを「日本犬」だと定め、そこへの「純化」を試みているといえるだろう。ここで筆者は、そもそも「純粋な日本犬」などあるのだろうかという疑問を提示する。では、犬ではなく人であればどうだろうか。「純粋な日本人」といった概念は存在しないにもかかわらず、そう思い込んでいる節はないだろうか。犬が主人公として描かれながら、人間のことについても考えさせられる奥深い一冊であった。
(文科三類・2年)(6)
【学内URL】
https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000024893
【学外からの利用方法】
https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ja/library/literacy/user-guide/campus/offcampus -
【所蔵館】
りんくう図書室
大阪府立大学図書館OPACへ↓
https://opac.osakafu-u.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2000940397 -
現代の「愛犬家」としてはわりにショッキングなわが国の犬と人とのかかわりの歴史。
犬は古い友人、そこには違いないんだけども、人の命でさえ軽かった時代にはやはり友人の命もことのほか軽かったのだ。考えればわかることではあるが、整理された文章で書かれてみるとけっこう衝撃的なものであった。
かといって文明人を気取るのかといえば、そういうことでもないのだろうな。これぞ、価値観の違いだ。ただ学ぶものとする。 -
人間に歴史があるなら犬にも歴史がある。縄文犬の登場、記紀神話と白い犬、平安京の犬、中世の犬追物ブーム、南蛮犬の渡来、犬の超能力、狂犬病など、様々なエピソードで綴った、犬と人との一万年に及ぶ交流史を復刊。(e-honより)
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<内容紹介より>
人間に歴史があるなら犬にも歴史がある。
縄文犬の登場、記紀神話と白い犬、
平安京の犬、中世の犬追物ブーム、
南蛮犬の渡来、犬の超能力、狂犬病など、
様々なエピソードで綴った、
犬と人との一万年に及ぶ交流史を復刊。
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どうしても、記紀を中心とした古代の資料をもとに考証していたので、受け付けにくいな、と感じるところが少なくありませんでした。そもそも、古代史にもイヌにもさほど興味がない、というのも原因かもしれません……。
個人的には(猫派なので)、「平安宮廷の女房連中は、どちらかというと、犬派ではなく、猫派だったようである。女房たちばかりではなく、一条天皇も猫派であり、全体に、平安宮廷では犬派より猫派が多かったといえる(p.43)」というろころなどは面白く読みました。
また、太平洋戦争に際して、軍犬・軍用犬として多くの犬が徴用され10万匹以上の犬が犠牲になった(p.69)ということについては、今まで知らなかったことで衝撃を受けました。
どうしても「犬」と「日本史」を結び付けて考えると、徳川綱吉の生類憐みの令に代表されるような保護政策が想像されますが、むしろ犬の愛護政策は例外的なもので、基本的には放し飼い、猟犬をのぞけば特別の保護もされていなかった、という事実には驚かされました。
日本でも犬を食べることがあった、ということや、逆に犬が人を(遺体や病などで衰弱した人を)食べることもあった、ということを知り、現在のペット事情の方がむしろ「不自然」な関係性なのかもしれない、とも感じました。