古代中国と倭族: 黄河・長江文明を検証する (中公新書 1517)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121015174

作品紹介・あらすじ

わが国の弥生人(倭人)は稲作を伴って長江下流域から渡来したといわれている。この地からは多くの民族が各地へ移住し、稲作と高床式住居を生活の基盤とする独自の文化を継承してきた。著者は彼らを「倭族」という新しい概念で捉え、黄河中流域の文化を偏重する従来の中国古代史では無視されてきた各地の古代王国の存在を実証。「倭族」発祥の地である長江流域を中心に、他に例をみない民族的特徴を持つその文化と習俗を論考する。

感想・レビュー・書評

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  • 倭人は長江で稲作をしていた民族(倭族)が四散し、朝鮮半島南部から九州へと稲作を伝えたという。
    それが弥生人という。

  • 弥生人のルーツと言われる長江文明についての本です
    中国の研究者達の最新の成果も取り入れ、著者自身真摯に研究なさっているようですが、勝手に長江文明ルーツの人々をひとまとめに倭族呼ばわりしたり、海外の建物を見て独り合点して仮説を定説と断定して読者に提示したり、おおよそ知的誠実さという面からは遠いものがあります
    梅原といい長江文明絡みは出しゃばりが多くて残念

  • 稲作と高床式住居を共有する民族を倭族という概念で捉える。

    黄河文明
    ・磁山・裴李崗 (はいりこう)文化:8000年前の裴李崗遺跡、7500年前の磁山遺跡(河北省)。畑作による粟栽培。土器、磨製石器、骨角器
    ・仰韶(ぎょうしょう)文化:6500〜6000年前。家畜のブタ、イヌ、狩猟対象のシカの骨などが出土する。動物の皮の縫製、彩色を施した彩陶。
    ・文献では、麦の記述は漢代以降にしかない。

    黄河下流域
    ・後李文化:8500〜8000年前。粟の畑作。
    ・北辛文化:7300年前。
    ・大?文化:6300〜4400年前。
    ・龍山文化:4500〜1500年前。回転台や轆轤(ろくろ)による土器。
    ・二里頭文化は河南省中・南部、山西省南部、陝西省東部に限られていた。

    長江流域の稲作
    ・彭頭山遺跡(湖南省):9000年前の稲籾。
    ・河姆渡遺跡(浙江省):大量の稲、ひょうたん、はとむぎ、鋤などの農耕具、漁具。家畜のブタ、イヌ、水牛の骨。鳥形飾り。
    ・羅家角遺跡(浙江省):7000年前。
    ・城頭山遺跡(湖南省):6500年前の水田遺構。5000年前に城が建設された。
    ・草鞋山(そうあいざん)遺跡(江蘇省):6000年前。水田遺構。馬家浜文化。

    長江中・下流域の王国
    ・良渚文化:5300〜4200年前。爛熟の域にある玉器は祭祀・儀礼用。玉?、玉壁、玉鉞は、王者の神権、財富、軍事権を象徴する。
    ・長江以北、山東半島までの沿岸部には、倭族が稲作を伴って北上してつくられた小国があった。後に、呉や越の領域になる。
    ・越人は河姆渡人の末裔で、良渚文化の圏外。楚に討たれて滅び、越人は福建、広東、越南へ亡命した。
    ・苗・ヤオ族は、黄河中流域に居住していた。夏の建国時BC2500〜2400年頃、一部は現住地にとどまり、春秋・戦国時代に楚として頭角を現した。楚が強大化したのは、大冶銅緑山(湖北省)を手に入れて青銅器を量産したため。他の一部は南下して湖南省の洞庭湖周辺に住みついたが、清代に乱を起こして討伐や迫害を受け、苗族は貴州省・雲南省などに、ヤオ族は広西壮族自治区、広東省の山間部などに逃避した。土間式住居に暮らす。
    ・洞庭湖に流入する?江(げんこう)・?水(れいすい)の上流域に暮らす?(トン)族は、苗族に追われて洞庭湖から逃れてきたことを伝承する。

    長江上流域の王国
    ・長江上流域には、西南夷と呼ばれたいくつかの倭族の国が存在した。蜀は秦に討たれて滅んだ。前漢の武帝は、南路開拓のために四川省、貴州省の倭の国々を討った。雲南省の?国は降伏して入朝したが、昆明国は最後まで戦い抜いて生き残った。
    ・唐代の738年、雲南省東部アルハイ湖周辺に倭族の南詔国が樹立され、唐王朝から雲南王の称号を与えられた。902年に革命によって滅亡し、後に大理国(938〜1254年)が建てられた。大理国の末裔は白族と呼ばれる。
    ・三星堆遺跡(四川省):蜀国。土器の年代は4800〜2850年前。チベット族と思われる。殷代初期の二里岡遺跡などの青銅器は、三星堆系の原料で生産されている。

    倭族の行方
    ・福建省の漁師は、現在でも長期の漁に出るときは稲籾を入れた袋を持って乗る。
    ・越に滅ぼされた後、呉の民は朝鮮中・南部に上陸して辰国を樹立し、後に馬韓、辰韓、弁韓の3国に分立した。弁韓の南には、文身の習俗を持つ加羅または伽耶と称された倭人の国があった。
    ・サルウィン川、メコン川に沿ってインドシナ半島に移動したモン族はモン王国を、クメール族はクメール帝国を建てた。?(ワ)族とともにモン・クメール語族(オーストロアジア語族)。
    ・インドネシアに渡った倭族は、ジャワ島中部で古マタラム国やサイレンドラ国、スマトラ島南部でスリウィジャヤ国を建てた。スラウェシ島のマカッサル族、ブギス族、トラジャ族を含めて、稲作と高床式住居を共有する。
    ・貴州省の夜郎国が漢帝国に反乱して四散した一部は、メコン川を下ったタイでスコータイ王国(13世紀〜1438年)、アユタヤ王国(1351〜1767年)、チャクリ王朝(1782年〜現在)を建てた。東方に向かった他の一部は、壮(チュワン)族となった。さらに、その一部は海南島に渡って黎(リー)族となった。

    倭族の習俗
    ・朝鮮半島において、〆縄の北限は北緯38度線で三韓の地に濃厚に認められ、北方の高句麗の地域にはない(秋庭隆「朝鮮民族志」)

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著者プロフィール

1914~2007年。岡山県生まれ。1938年、関西学院大学法文学部文学科卒業。大阪教育大学教授を経て、同大学名誉教授。日本生活文化史学会会長。文学博士。専攻は文化人類学・古代史。著書に、『おもろさうし全釈』(清文堂出版)、『大いなる邪馬台国』(講談社)、『原弥生人の渡来』(角川書店)、『倭族から日本人へ』(弘文堂)、『古代朝鮮と倭族』『古代中国と倭族』『女王卑弥呼の国』(以上、中央公論新社)他多数。

「2020年 『倭人・倭国伝全釈 東アジアのなかの古代日本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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