逃げる百姓、追う大名: 江戸の農民獲得合戦 (中公新書 1629)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121016294

作品紹介・あらすじ

江戸時代初期、よりよい生活を求めて、生まれた村を離れた農民たちがいた。大名たちは大事な年貢を生み出す耕作者をより多く手元に置こうと、他領から来た者は優遇し、去っていった者は他領主と交渉して取り戻すべく躍起になった。藩主と隠居した先代とが藩内で農民を取り合うことさえあった。「村に縛りつけられた農民」という旧来のイメージを覆す彼ら「走り者」を通し、大名がどのように藩を切り盛りしたかみてみよう。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史

  • 前に磯田道史先生の本で紹介されていた本。メモってたのを図書館で見つけた。江戸時代の農民って、移動の自由なんかないと思ってたけど、小さな村で暮らしていたら、借金や犯罪、男女関係等で居られなくなって、逃げ出す事はそらあるよな。それに、農民も、個人の能力や資質で、栄枯盛衰が激しく、先祖代々の農地を守るってことは大変なことなんだと、あらためて感じた。古文書を丹念に調べて行く手法は、磯田先生と同じだけど、読み手には優しくない。

  • 途中まで読んだ。細かくて難しい。

  • 2002年刊行。著者は九州大学総合研究博物館助教授。◆米が交換価値の基軸とも、租税単位・軍役単位の基礎でもあった江戸時代。農民の数は、各藩の国力に直結した。一方、各道の整備等、移動が格段に容易になった江戸期には農民も生活改善を実現すべく、計画的に耕作地を変えてきた。しかもそれは隣接藩による手引きで実現した場合も散見されていた。この実態、そして弾圧や還住させるための方策や隣接藩の間での取り決めなどを解説する。細かいテーマだが、農民の実生活を明示させた意味はあるかも。

  • 古本で購入。

    江戸時代、農民が移住を目的に在所を去ることを「走り」と言ったらしい。
    その「走り」から江戸前期の社会の一面を見るのが本書です。

    戦国乱世に幕が引かれると、各地の大名は領地の発展に目を向ける。
    領主主導・民衆主導の開発が盛んに行われると、必要になるのは労働力。

    その一方で大名財政の仕組みはいまだ安定せず、懐具合は常に逼迫。
    そのしわ寄せはお約束のように年貢の搾取となって農民へ。
    そして苛烈な年貢の取立てに耐えかねた農民は…

    走る!

    まさに自由への逃走といった感じだが、ただの逃走とは違うとか。
    「走る」農民は自分のネットワークを元に、予め行き先での生活に目処を立てた上で走ったそうな。

    それが可能なのは、前述の「労働力の需要」が背景にあったから。
    開発を進めたい領主も村方も、とにかく働き手がほしい。だから「おいでませ走り者」とばかりに招き入れていた。
    そこで積極的に他領者招致策がとられ、走り者に対する一定期間の年貢の免除なんかも実施された。
    村方も年貢の連帯責任を軽減すべく、主のいなくなった耕作地に走り者を迎え入れる。

    しかし自分の領民をみすみす他領主にくれてやるわけにはいかんということで、大名どうしの虚々実々の交渉が行われる。
    それはひとつの大名の領地内で家臣A領から家臣B領へ農民が走った場合も同じだった。

    というような、流動的な民衆の実態がわかってなかなかおもしろい。
    江戸前期の村の開放性なんてのは、これまで全く知らなかったなぁ。

    ただこの本、筆者が以前に書いたガチガチの学術書の普及版だけあって、中身は引用史料の山。
    読むのに少々骨が折れる。
    正直、「はじめに」と「結びにかえて」を読めば大意は掴めてしまいます。

  • [ 内容 ]
    江戸時代初期、よりよい生活を求めて、生まれた村を離れた農民たちがいた。
    大名たちは大事な年貢を生み出す耕作者をより多く手元に置こうと、他領から来た者は優遇し、去っていった者は他領主と交渉して取り戻すべく躍起になった。
    藩主と隠居した先代とが藩内で農民を取り合うことさえあった。
    「村に縛りつけられた農民」という旧来のイメージを覆す彼ら「走り者」を通し、大名がどのように藩を切り盛りしたかみてみよう。

    [ 目次 ]
    第1章 農民を欲しがる大名たち―「走(ら)せ損、取どく」
    第2章 いかにして耕作させるか―「少の御百姓」
    第3章 戦乱の終了から大開墾へ―「国に人を多く」
    第4章 家臣の苦労、隠居の言い分―「去留自由」の原則
    第5章 大名の台所事情―「天下の大病」
    結びにかえて―走り者とは何だったのか

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    [ 参考となる書評 ]

  • 4冊目です。

    本書は戦国時代〜江戸時代末期における農民移動を通して当時の大名たちが
    どのように藩経済を切り盛りしていたかを考察した本です。今の感覚からすると
    農民がかってに他の土地に移動するのは厳しく制限されていたように思えますが
    実際は非常に寛容だったようで他国からやってきた農民はほとんどうけいれられたようです。
    また、こういった移動は当然重い年貢の負担などから解放されるために起こるわけです(現代の感覚
    でいえば借金とりから逃げるために夜逃げするということに近いかもしれません)。そうするとただ
    目的地もなく適当な場所に逃げるような印象を受けますが、実際はあらかじめ目的地を決めていたようで
    しっかとした計画のもと行われていたようです。

    ではなぜこのような農民の移動は社会から許容されていたのでしょうか?それは「農民の数が多い=経済力が高い」
    とうことに他ならなかったからです。これは現代の感覚ではよくわからないでよね。確かに今の時代も人口が多いところは経済力が高いですが
    例外も数多くあるわけでなにかしっくりきません(例えば人口の多い発展途上国が必ずしも経済が発展してるわけではありませんしね)。
    ところがかつては日本人口の8割がたは農民だった上に税金は米で払われていました。ということは今でいうところのお金が当時はお米だったわけです。すると米をたくさんもっている=経済力が高いということになるわけです。そして単純に米の量はたんぼの面積が大きいほど多くなるわけです。
    以上のことをまとめると農民の人口増える→収穫量増える→経済力が高くなるということになるわけです。

    そうすると農民の取り合いがあらゆるところ行われるようになります。そのために税金を減らしたりさまざま
    な工夫をしたようです。また当時は全国で戦ばっかりやっていたので荒地などが非常に多かったのですがそこに
    効果的に農民を配置したことにより荒れ地を解消したというのもなるほどという感じでした。

    大河ドラマなどではあまり注目されないようなテーマですが実際は面白いテーマだと思います(確かに地味なテーマであることはたしかですが・・・)。







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著者プロフィール

1959年、佐賀県唐津生まれ。九州大学九州文化史研究所助手・九州大学総合研究博物館助教授を経て、現在、西南学院大学国際文化学部教授。文学博士。西南学院大学博物館館長。
【主著】『大名権力と走り者の研究』(校倉書房、1995年)、『逃げる百姓、追う大名』(中公新書、2002年)、『古地図の中の福岡・博多─1800年頃の町並み』(編著、海鳥社、2005年)、『ケンペルやシーボルトたちが見た九州、そしてニッポン』(編著、海鳥社、2009年)、『九州の一揆・打ちこわし』(海鳥社、2009年)、『シーボルト年表─生涯とその業績』(共著、八坂書房、2014年)、『シーボルト蒐集和書目録』(共編、八木書店、2015年)、『鯨取りの社会史─シーボルトや江戸の学者たちが見た日本捕鯨』(共著、花乱社、2016年)、『シーボルト『NIPPON』の書誌学研究』(花乱社、2017年)

「2021年 『伝えられた「日本」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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