- Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121017192
作品紹介・あらすじ
今回は「あたりまえ」について考えてみよう。こういう話題ならできるだけ具体的なほうがいい-。養老孟司が世の中の動きを定点観測。小泉内閣発足も、9・11同時多発テロや北朝鮮問題も、地球温暖化論や「新しい歴史教科書」問題も、何か通じるものがある。二一世紀最初の三年間の出来事とそれらをめぐる人々の姿から、世界と世間の変質をズバリ見通し、現代にはびこる「ああすれば、こうなる」式の考え方に警鐘を鳴らす。
感想・レビュー・書評
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本書は『中央公論』に連載された時評をまとめたものである。紙の本が2003年に出版されているので、その辺りまでの時事を養老先生はどう読み解くのか。興味深く読んだ。本書はKindleで読んだ。本書を読みながら寝るのが習慣だった。
養老先生の本は面白い。つねに学びがある。
当時特有のテーマもあるが、今だに繰り返し話題になるテーマを論じていることもある。それら全てに深みがあり、学びがあり、面白かった。
脳が求めるのは「予測と統御」であり、これを「こうすればああなる」という大和言葉にするのに10年かけたと養老先生は言う。
その意味で本書の時評は「予測を超える」内容であるがゆえに面白いのだと思った。
それまでの予測を超えたものを掴むこと、それが学習の面白さかもしれない。
状況に応じて判断枠組、思考枠組を柔軟に組み換えること。内田樹はそれを知性と言った。
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蔵書整理で手放すので、再び出会い読む日もあるか
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ついつい探してしまふ、養老先生の本。
時世は移ろふ。考へることは、ひとや時間や場所に関係ない。それが本当のことだからだ。本来なら、かういつたことを話さなくても、彼は変はらず虫を採り続けてゐただらう。
しかし、正直時世に対する考へなどどうでもよいと思ふときがある。読めば読むほど、どうでもよくなる。このひとにかういふことを語らせるために時間を使ふことが非常に惜しいと感じる。何かが存在するとは、生きること死ぬこと、もつとさういふことを聞きたいし、彼のことばでどう表現されるのか聞いてみたいと強く思ふ。
彼が時世のことを語れば語るほど、時世のことなどどうでもよくなつてしまふ。世のことを真剣に考へれば考へるほど、世のことがどうでもよくなつてしまふ。世の中身よりも、世の形式、それがそれであるところのことの方がよつぽど興味がわいてきてしまふ。
かうなつてしまつた以上、せつかく買つた本にも関はらず、ひょいと投げ出して、じつと思考の宇宙に漂つてゐる。
自分にできることを続ける。それは魂の気質といつたらよいだらうか。そうなつてしまつてゐるものに対して、世の中とどう折り合いをつけるか。養老先生を読むたびに、考へる。そして、ああやつぱりさうとしかならないなと一周まわつてすとんと着地する。これでよし。 -
この人の本は共感できることが多い。私よりも多く苦労をし時代を観てきた重さがあるように思う。個人的にこころに留めておきたい考え方が記されていた。
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大学時代に読んだ。
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「あたりまえ」ってなんだろうか。なかなか答えることが難しいと思う。この本は、世の中のいろいろなことに対して著者が定点観測(実際に生身の人間が定点を持っていることに対する疑問はとりあえず置いておく)し、この「あたりまえ」に対して考察してゆく。悪くないが、まともではない人には通じません。
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古い上に、少々アクロバティックな論理に「芸」というか「華」というものがなく、読んでいて退屈。
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若干の読みにくさはあるが、著者独特の語りが癖になる。そう言えば死の壁以来だなあ、この人の本を読むのは。