ヴィクトリア女王: 大英帝国の“戦う女王” (中公新書 1916)
- 中央公論新社 (2007年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121019165
作品紹介・あらすじ
植民地を世界各地に築き、「太陽の沈まない帝国」と呼ばれた19世紀イギリス。18歳で即位し、この繁栄期に64年間王位にあったのがヴィクトリアである。後に「君臨すれども統治せず」の確立期と言われ、女王の役割は小さいとされたが、実態は違う。自らの四男五女で欧州各王室と血縁を深めた女王は、独自外交を繰り広げ、しばしば時の政権と対立した。本書は、全盛期の大英帝国で、意思を持って戦い続けた女王の実像を描く。
感想・レビュー・書評
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19世紀イギリスの繁栄期に64年近くも女王の座にあったヴィクトリア。
「君臨すれども統治せず」という言葉もあったため、政治にはあまり口を出さなかったような印象があるが、実際はそうでもなく、かなり熱心だったという実像を紹介。
女性であり、若くして即位、9人の子だくさんで家庭的なイメージといったあたりから、実際よりも政治的でないと思われている。
王家の跡継ぎがいなくなりそうだった時期の問題から始まり、結婚出産ラッシュ。
しかし早世した子もあって、四男の娘ヴィクトリアしか跡継ぎはいない事態に。
ヴィクトリア自身は伯父にあたる王に気に入られていたが、母親ケント公妃がドイツ人だったために王に信頼されていなかったいきさつも。
首相や大臣達との対立や交流ぶりが具体的に。
メルバーン首相を師と仰いで信頼したが、政権交代で身近な女官も取り替えなければならなくなって、当初はこれを拒否したために揉める。メルバーンは妻子を亡くした後で、父娘のようだったらしい。
ディズレーリやグラッドストン、名前は覚えていたけど、詳しいことはすっかり忘れていたので、また印象が変わりました。
自由主義のグラッドストンとは仲が悪く、ヨーロッパのもめ事に不干渉な態度を無責任と感じたらしい。世間にも不評となって辞めたがまた復帰、長年勤め上げて辞めたときにも冷たい態度だったとか。
女王が拡張政策に熱心だったという一面も。
長女のヴィクトリアがドイツ皇太子を結婚し(後の皇帝フリードリヒ3世)と結婚したため、ドイツとも縁が深かった。
ビスマルクを嫌っていたが、対面したときに互いに印象が変わったという。
ロシアのことはかなり警戒していて、ロシアが帝国であるために、一つランクが低い「女王」というだけでなく張り合える「インド女帝」の称号を望んでいたとも。
(1872年に女帝の称号を得る)
子どもや孫が各国の王家と縁を結んだので、ヨーロッパ一のゴッドマザーになってゆく。
1861年、42歳の時に最愛の夫アルバート公が亡くなってしまう。
その後は、生涯喪服で通したため、政治に関心を失ったと思われてもいる。
実際に10年ほどは国民の前に姿を現さなくなったのだが、離宮で静養していても書類は持ってこさせ、政務には関わっていた。そして、10年ほどだってからは、やはり国民の前に出なければと思うようになったらしい。
黒い服で通したが、子どもの結婚の時には白いベールを付け、在位50年の時には黒いドレスに銀の刺しゅう、60年の時には金の刺しゅうをしたとか。
長男で跡継ぎのバーティには失望していて、30になっても何も実権を与えなかったのは失策だったと批判的に書かれています。
確かにバーティは大学を中退してしまった遊び人ではあったんですね。
自身が喪に服している時期には、バーティに何かさせた方が良かったかもねえ。
1893年には、ロシアの皇太子ニコライ二世がロンドンを訪問。
バーティの次男ジョージ(後のジョージ5世)の結婚式に出るためだった。ニコライとジョージは母親同士がデンマーク王女で姉妹という従兄弟で、そっくりだったという。
翌1894年には、皇帝になったニコライ2世と、女王の孫娘のアリックスが結婚。
後にロシア革命で倒された一家ですね。皇帝の方が格が上なため、結婚式はロシアで行われた。
結婚相手が公国の出だったりすれば、結婚式はイギリスで、ということになる。
面白かったです。
女王は、1901年1月に81歳で死去。
世紀の葬列を夏目漱石が目撃したとか。ちょうど留学していて、下宿の主人の肩に乗ったんだとか。
2007年発行。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大英帝国の黄金時代を象徴する女帝であるヴィクトリア。彼女は、18歳で女王に即位し、81歳で没するまで、実に63年にわたって、イギリスの君主に君臨し、のみならず実質的な統治者であり続けた。女王が特に辣腕をふるったのは、外交である。
戴冠当時のヨーロッパ世界は、ドイツ連邦内でオーストリアの地位が低下し、ウイーン体制そのものが危機に瀕していた。フランス、ロシアは、自国の領土拡大を虎視眈々と狙い、プロイセンは大国へ脱皮する機会を伺っていた。外交交渉は、常に自国の領土拡大を掛けた綱引きの場であった。
そんな中に18歳で放り込まれた女王は、はじめ政府の外交強硬策を批判する立場を取っていたが、いつしか植民地政策を強行に推し進める「戦う女王」に変貌することとなる。
80歳を超えてもなお精力的に公務をこなし続けたヴィクトリア女王の『人生を掛けた戦い』は、一読に値する。 -
最盛期の大英帝国に君臨した女王の評伝。在位は63年を超え,昭和天皇よりちょっと長い。最近読んだ清盛本よりずっと面白かったのは,著者の筆力が大。あと,時代が近代だからかな。近代好きなので。
ほぼ時系列に沿って,女王中心の描写が続くのだが,結構な分量があって,「長い18世紀」がウィーン会議で終わった後,19世紀末までのヨーロッパの歴史も概観できる。序盤と終盤,若き女王と老成した女王のあたりがとても読ませる内容だった。中盤は議会政治との確執が描かれ少しとっつきにくい。
イギリス王室の王位継承は,男子優先の長子相続制が基本。王子がいない場合,王女が年齢順で王位を継承する。子がいなければ傍系へ。これは16世紀以来の伝統で,実際に何人もの女王が出ているのはよく知られたとおり。ヴィクトリアの父は,ジョージ三世の四男。王位が回ってくることはなさそうだったが,将来女王になるはずだった長兄(王太子)の娘シャーロットが最初の出産で子とともに死亡,他の兄にも子がないか早世していたため,話は変わってくる。父と祖父(ジョージ三世)の死によって,ヴィクトリアは生まれてまもなく,継承順位第二位に踊り出ることに。小さいうちから女王になるための帝王教育が始まる。
伯父の死により18歳で即位。翌年の即位式での女王の立ち居振る舞いは驚くほど堂々としていたという。ややリップサービスかも知れない。はじめはやはり経験浅く,首相メルバーンに頼り切ってしまうところもあった。好みの宮廷人事を押し通して政権交代を妨害してしまう事件も(寝室女官事件)。
その後は次第に女王も成長してゆく。20歳で母方従弟のアルバートと結婚。以後17年で9人の子をなす。16人のマリアテレジアには負けるがすごい。これで宮廷外交も有利になって,晩年には各国の君主に親戚が大勢。ドイツのヴィルヘルム二世は孫(初孫)だし,ロシアのニコライ二世は孫の夫。
長い在位の間には様々なことがあった。クリミア戦争,第二次アヘン戦争,セポイの乱,アフガン戦争,ボーア戦争。内政ではアイルランド問題や,保守党と自由党の二大政党制の確立。「君臨すれども統治せず」とは言うが,女王はかなり積極的に政治にかかわっている。1848年の仏二月革命,独三月革命の余波が尾を引き,君主制廃止の主張が高まる共和制危機も経験した。選挙権の拡大に起因してジャーナリズムを意識しなくてはならなくなっていく。国民の目に見える形で女王の存在意義を示さなくてはならない。
パーマストン,グラッドストン等,歴代首相との確執,息子の出来にやきもきしたり,ビスマルクに敵意を抱いたり。結構感情がはっきりしている印象を受ける。やはり我が国の天皇とはイメージが違うな。政治にかかわり書簡もいっぱいのこってるからいろいろわかるんだろうか。即位50周年,60周年のお祝いは,各国から人を招いて盛大に。金婚式,ダイヤモンド婚式の名前はこれに由来するのかも。即位50周年記念式典,60周年記念式典は,それぞれ「Golden Jubilee」,「Diamond Jubilee」というらしい。エリザベス二世のDiamond Jubileeは来年だそうだ。 -
病院帰りの電車の中で読み終わった。総じてなかなかよい本だった、ただ著者はむしょうに王室だとか王族ってものが好きっぽいな。(笑)書き方の節々にそれがにじんでて、「王室の利害」を超えた理念で動いてるグラッドストンとかは女王の好悪そのまんまに憎まれてるのが気の毒だった。
19世紀のヨーロッパ情勢をイギリス王室視点で俯瞰できるという点では優秀な本。時系列の感覚が年号だけじゃ肌感覚としてわかりにくいので、1819年という女王の生年を常に頭に置いて、「◯◯年だから女王は✕✕歳」って逐一翻訳しながら読んでくとわかりやすかった。 -
幾多の植民地を擁し、”太陽のの沈まない帝国”と呼ばれた大英帝国。
その時代を経験した人は、様々な問題を抱えながらも、未来を信じる事が出来た良い時代であったと回想する事が多い。
その繁栄の絶頂にあったイギリスの統治者であったのが、ヴィクトリア女王である。
ヴィクトリア女王は、その生涯にわたって日記をつけていたそうだが、本書では、その日記からの抜粋が効果的に挿入され、その時々の女王の生の気持ちが知る事が出来て興味深かった。
18歳で即位してから国内、海外との難しい局面に立ち向かい次第に強く成長していく女王の姿が、当時の様々な情勢を分かりやすく説明しつつ描写されており、非常に良くできた好感が持てる本だと思う。
(その時々のイギリス首相とヴィクトリア女王の関係なども分かりやすく書かれており、とても参考になった) -
全111冊に及ぶヴィクトリア女王の日記を読み込んでものした労作です。「太陽の沈まない国」として隆盛を極めた大英帝国において、女王の戦いとは何だったのでしょうか。無味乾燥な教科書より、断然面白いですよ!
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イギリスが「大英帝国」に発展する真っ只中の時代を統治した1人の女性の一代記です。副題にある「戦う女王」はまさに、女性として、妻として、母として、そしてなにより君主として生きた彼女を一言で表すに、もっともふさわしい言葉です。
その中身はというと、実に9割が政治・外交史で占められていて、このことは、かの女王が私たちの想像する以上に「政治を生きた」人物であったことを示しています。イギリス君主をあらわす名言「君臨すれども統治せず」が定着したのはヴィクトリア朝のことと言われます。しかし、閣僚と頻繁に会談し、時には外相を呼びつけて叱咤・非難し、さらには首相に退陣を迫る、そういった女王の足跡を見ると、彼女の実像がイメージとは程遠いものであったことがわかります。
議院内閣制が誕生して間もない時代、貴族政治から議会中心の民主政治へとシフトする過渡期にあって、女王の国政への介入は後世から見れば決して正しいものばかりではなかったでしょう。しかし、夫君アルバートの待遇問題、夫君の死とそれに伴って生じた君主不要論など、いくつもの問題と取り組んだ女王の戦いぶりは、1人の人間として充分に魅力的で、なにやら19世紀からの圧倒的なパワーに当てられたような錯覚さえ受けます。そして、大衆政治の立役者と評された自由党の大宰相グラッドストンと女王とが対峙したことは、未だ君主制と革命、そしてウィーン体制とその崩壊といった混乱の中にあったヨーロッパ大陸に接しながら民主制を醸成させていく上で、きっと避けて通ることは不可能だったのだろう、などと考えさせられるのです。
著者の語り口は終始とてもテンポよく、ありがちな客観描写に走ることなくあえて女王の視線からイギリス政治を描ききった手腕には脱帽します。政治史好きな私にとってはとても読みやすく、爽快なひとときでした。
(2008年7月 読了) -
何を正義ととるかは別にして、
選挙法改正等、民主主義のブームの中で
王室やイギリスの尊厳を守るという純粋な使命感をもって政治を陰に陽にコントロールしてきた女帝の強さがよくわかる一冊だった。 -
2021.8.14読了。
ヴィクトリア女王の伝記が読みたくて探したところ、本書が出てきたので読んでみた。新書サイズながら、学者が書いた本でさまざまな文献を引用しており、かなり質の高い本であるように感じられた。
内容についてはヴィクトリア女王と王室を中心とした、帝国主義時代のイギリスの政治史、外交史であり、自分の知りたかった女王の人物像についてはあまり書かれていない。
また、バジョットのイギリス憲政論を読む前に本書を読むとイギリス憲政論をよりよく理解できると思う。 -
19世紀のイギリスに於いて18歳という若さで王の座に即位したヴィクトリア女王の人生を文字通り"誕生"から"死去"まで追った内容となっています。
勿論王位継承権を持っておりいくつもの習い事をこなされて帝王学も学ばれてはいましたが、現代日本の感覚で言ってしまえば女子高生がある日突然天皇になるほどの衝撃であったかと思います。
全体的に写真資料などの添付は最小限に抑えらていますが、その分活字の流れが切られることなく通読できるのが良いです。また多くの参考文献の筆頭として全111巻にも及ぶ王女の日誌も挙げられており、在位中のヴィクトリア女王が政務の傍らでどんなことを思っていたのか追体験できるのが本書の最大の魅力かと思います。
それにしても思えば生後8か月のときに父を亡くしてから戦う女王としての"戦い"は始まっていたのだと思います。大英帝国に君臨した者の視点であるから当然と言えば当然なのですが、死去に至るまでノンストップで波乱に満ちた内容となっており読者に対しても休む暇は与えられません。
更に末尾には"ヴィクトリア女王年譜"が付されており、1819年5月24日の誕生から1901年2月4日の埋葬までを11ページも割いて纏められています。260ページを超える本書の内容が凝縮されており、通読した方やファンの方にとっての"おさらい"として活用できるのも魅力です。
当然ながら政治の世界の出来事でもあるので内閣の結成・総辞職なども頻繁に繰り返され慣れてない方には少々疲れてしまう部分もあるかと思いますが、それでも筆者による文体は優しくて読みやすく読者の次なるステップへの足掛かりとなるパワーを持っている1冊であるかと思います。