市場主義のたそがれ: 新自由主義の光と影 (中公新書 2008)
- 中央公論新社 (2009年6月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121020086
感想・レビュー・書評
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偏りが見受けられます。
実はこの「偏波心」こそがこれから数世紀に渡って語り
注がれることになる<冷戦>なのだと思います。
どうか、私が死ぬまでには、その先行きを端緒で良いから
感じていたいものです。俺だって未来を信じていたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ロマンティックな題名に惹かれ図書館でレンタル。
ミルトン・フリードマンに代表される新自由主義者は、必ずしも市場主義だけが全てとは考えていないんだよという話。
初期の新古典派総合は競争原理に基づく自由経済を原則とし、経済危機や急激なデフレーションなどの突発的な場合には政府が市場に介入するというケインズ的な経済思想だった。にもかかわらず、その後競争原理の部分だけがクローズアップされ、公的介入を一切認めない(ロックアウト)個人主義的な市場経済が唯一だとされた。公的介入は神の見えざる手を阻害して市場をゆがませる方法であると非難されるようになった。
新自由主義者は純粋な市場主義を信奉していたと考えられている部分があるが、それはかつての経済学者の思想を曲解してしまっている。
著者は世論の流れが市場経済一辺倒になっていることを危惧して
「市場のルールを整備して公平な競争が可能になったとしても、育ってきた環境は違うから結局全てを公正明大にすることは出来ないのかもしれない」
ゆえに特定の条件の下での介入は必要である、という事を市場経済を推している学者が言っていたらしい。
はるか以前の、しかも新自由主義の勃興紀にすでに機会の平等の限界が語られているにも関わらず行われた市場主義を推し進める政策は、富める者がさらに富める政策であり、新自由主義は富裕層が政治を動かす転換期であった。