フランス的思考―野生の思考者たちの系譜 (中公新書 2087)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121020871

作品紹介・あらすじ

「理に合ったもの」だけをすくい上げ、正確な判断を得ようとする、デカルト起源の合理主義。自国の言語・歴史の普遍性に対する信頼から根を広げた普遍主義。両者こそフランス的思考の根幹とされるが、一方には、反合理主義・反普遍主義の脈々たる流れがある。この地下水脈から養分を吸い上げ、豊饒な地平を切り開いたサド、フーリエ、ランボー、ブルトン、バタイユ、バルトらを読み解くことで、フランス的思考の本質に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • サド
    過激過ぎて笑える。悪などくだらぬ。善もくだらぬ。神もいらぬ。個人の欲望こそが全て。弱者から全てを奪え。自然に従い自らの欲望を満たすことだけに熱狂せよ。

    ランボー
    ランボーの詩人論

    ランボーの詩人論はデカルトの「我思う故に我あり」に従い、私がーーを考えるという態度に真っ向から反対するとこからはじまる。言葉は自身が生まれる前に存在し、特定の人物の所有物ではなく、誰かのものである。なので、言葉に準ずる思考も誰かのものであり、それゆえに、誰かが私の中において考える、つまりデカルト的な「私は私」ではなく「私は一個の他者」という態度をとる。ちなみに、この「私は一個の他者」という態度=人が私において考える状態=あらゆる感覚の長期的な広範囲にわたる論理に基づいた錯乱の状態=他者の訪れに向けて自らの不在を全面的に開きながら定義した自己同一性に揺さぶりをかける状態=「見者」なので、以後は「見者」と省略する。この「見者」の状態では「私は私」の状態には感知することができない、「未知なるもの」を感知することができる。尚、「未知なるもの」は「火を知らない人にとっての火」のようなものだとランボーは例示している。詩人の使命は、この「未知なるもの」を言葉(詩人のみが持ち帰ることのできる未知の言語)として持ち帰り、その「未知なるもの」の量を把握し、増幅させることで「規範をはずれたもの」まで昇華させた後、万人が五感をもって受容できるような言葉に加工することだと結論している。尚、「規範をはずれたもの」とは、思考の手続きや着実な進歩によって決して到達できないものを指す。また、「私は私」という態度の詩人を批判し、次の痺れる名言を吐いている。『詩人は「作者」ではなく、「見者」でなくてはならない』

    詩人に覚醒するとかカッコ良すぎ。詩人は楽器であって作詞者ではないとか痺れるわ。詩は作るものではなく、見者として盗みみたものを「魂の言語」で書きつけるもの。私は一個の他者なのです。

  • サド、フーリエ、ランボー、ブルトン、バタイユ、バルト。6人のフランス人を合理的、普遍的と定義されがちなフランス的な思考に相対する存在として紹介。6人に共通する思考は、「ボーダレス」「均一化」というような、区別や垣根のない世界。

    タイトルから、フランス人特有の思考があるのかと想像していたが、それぞれが独自の考えを持っている。そのどれもが枠にはまらない、はまろうとしないという意味で共通しているのかなと感じた。

  • 新書文庫

  • 寄せ集めコレクションみせられた感じ

  • 2013年4冊目
    フランス的思考とは何か。的思考ということから、学問的に、純粋にフランス人に共有されている思考形式を研究した本ではない。
    フランス的思考を世間一般でも認識されている合理主義および普遍主義に基づく思考と定義してから出発し、その思考に反発する形で表れてきた人々の思考から、改めて合理主義や普遍主義を問い直すという形をとる。
    フランス人の考え方とは何か、という期待を込めて読むと期待外れは否めないが、フランス的思考の根源を問う流れは非常に面白かった。

    この本の中では6人の思想家からフランス的思考を問うている。たとえば最初にはサドがあげられる。彼はフランス的思考の合理主義から出発して通常とは異なる結論にたどりつく。通常の合理主義の場合、各人が各人の欲望の赴くままに生活したとき、社会は崩壊する。ホッブズの「万人の万人に対する闘争」の状態である。だからこそ、社会契約の基づき共同体の設立が行われる。あくまで社会全体で共存していくことが求められる。
    しかしながら、サドの考え方とは、合理的に行動する以上、他者を考慮する必要はないと考える。すなわち、人間の欲求は個人の願望をかなえること以外には存在しないため、他者を排除してでも自己の欲求を充足することが許される。事故の欲求に忠実であることこそ合理的であるというのである。もちろん、両説の違いは、社会の共存というキーワードの有無にあり、サドの理論は強者の理論でもあった。持つ者は徹底的に持たざる者を奪取してもよいという考え方である。
    このように、合理的に思考された結果は、必ずしも同じ結論にたどりつかない。
    このように、フランス的思考といわれる合理主義や普遍主義を突き詰めていく、議論しなおしていくことが本書の勝ちではないかと考える。

  •  サディストの語源となったマルキ・ド・サドの思考はいっそ清々しいほどに悪人そのものだ。彼は自分の快楽の為に他者を傷つける。誰を犠牲にしても自分の幸福を優先する様は、どこの物語に出しても映えるだろう。被害者の方々には申し訳ないが、思考というものは片寄っていれば片寄っているほど見ている側はおもしろい。私はおもしろい彼サドを本作で好きになった。
     本作には思考が片寄りまくった人物しか出てこない。別に共感はできなくとも、おもしろいと感じる人物はきっといる。ぜひ探してみてほしい。

  • 110304購入

  • おもしろかった!
    特に、バタイユとバルトの章は秀逸!
    内田先生の『寝な構』以来、久しぶりに思想関係の本を読んで興奮した!

  • 本屋の新書棚に平積みされていました。
    タイトルに惹かれてとってみて、ランボーの部分を読みました。
    ランボーがいかにして覚醒していったかについて彼による手紙を用いて解説がされており、とても興味深かったです。
    全部読みたかったのですが、金が無いのと、立ち読みする体力がつきたので断念(笑)

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著者プロフィール

1951年生まれ。中部大学教授・東京大学名誉教授。専門はフランス文学、フランス思想。15年から19年春まで東京大学理事・副学長をつとめる。91年、ブルデュー『ディスタンクシオン』(藤原書店)の翻訳により渋沢・クローデル賞、01年『ロートレアモン全集』(筑摩書房)で日本翻訳出版文化賞・日仏翻訳文学賞、09年『ロートレアモン 越境と創造』(筑摩書房)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に『フランス的思考』(中公新書)、『時代を「写した」男ナダール 1820-1910』(藤原書店)、共著に『大人になるためのリベラルアーツ(正・続)』(東京大学出版会)などがある。

「2020年 『危機に立つ東大』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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