官僚制批判の論理と心理 - デモクラシーの友と敵 (2011-09-25T00:00:00.000)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121021281

感想・レビュー・書評

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  • 名前からして丸山真男の『超国家主義の論理と心理』をもじっているのは明らかであり、内容も大変な良書だと思う。

    近代官僚制に対する批判的言説は、その制度が確立されて以来一貫してして存在する普遍的なものであることを政治思想史的に確認するところ始まり、昨今、なされている官僚制批判=脱官僚に孕まれる問題を批判的に検討していくという内容。
    著者の危機意識は、かなりクリアなもので、昨今為される政治/行政不信に由来する脱官僚制の批判論理は、台頭している新自由主義的な言説に回収されてしまう恐れがある(行政のやることに不信があるのなら、市場に任せた方が安心だよね的な誘惑)し、カリスマ的な政治家を招聘してしまう恐れがあり注意が必要であるというものである。しかし、一方で、国家の秩序や安定性を図ることが主目的となる官僚制をそのまま維持し続けることは、グロバール化し「流動性」という言葉が基調となる社会状況を鑑みるとき、その流れは官僚制にも不可避的なものである(このところを社会理論家のバウマンのリキッド・モダニティの議論を援用して説明しているが、もう少し詳細にしてほしかった)。
    では、どうすればいいのだろうか・・・。
    著者の見解は、極めてシンプルな改良主義的なものであり、非常に現実的かつ理想的なものであると僕は思う。。それは本書を読んで確認して欲しい。

    本書は、政治思想史の枠組みからどのように現実的な諸問題にアプローチできるのかという、それだけでも非常に貴重な試みであると思う。とかく思想史や理論に関する議論は抽象的な議論に終始してしまい、現実の諸問題から乖離したところで議論が展開されてしまうことも少なくない。そういった議論が無駄であるなんてことは、断じて思わないけれど、本書を読めばわかるように、例えばマックス・ウェーバーの官僚制論としての政治思想的/社会学的な議論は、彼が生きていた時代的文脈のなかでの問題意識としてせり上がってきたものが議論の出発点にはあり、そこから理論/思想が練り上げられたもののはずであり、その意味でウェーバー自身にとっては現実的な諸問題への意識がバックボーンに必ずバックボーンにはあるはず。その意味で、政治思想とか政治理論といった抽象的な議論も必ずや現実的な諸問題に対する何らかの示唆を含んでいるはずである。それを抽出できるかどうか、ある意味で読み手の力量に任せられているのかもしれない。が、こういったことを訓練を積んでいない人間が行うことは、なかなか難しい。だからこそ、本書のような本は貴重であろう。新書でページ数にして200ページ程度で過度に抽象的になり過ぎず、その気になれば高校生ぐらいでも十分に読み通せて、値段も800円程度。

    素晴らしい本だと思う。

    激褒めしてるけど、一点だけ、無いものねだりをするのなら、あれだけ本文においてウェーバーの議論を重視しているのだから、同じく社会学者のミルズのパワーエリート論についても触れて欲しかった。

  • マックス・ウェーバーの官僚制論を軸に現代の官僚制批判の問題に迫る良書。結語において議論の内容がテーゼの形で要約されているので、示しておこう。

    【テーゼ1】官僚制に対する批判的な情念は普遍的である。(日本における1990年代以降の官僚批判がもっともわかりやすい例示だが、最近になってはじまったことではなく、ロマン主義にルーツをもつ官僚制批判の情念は根深い。)

    【テーゼ2】官僚制はデモクラシーの条件でもある。(官僚制はその画一主義がデモクラシーを窒息させる面があると同時に、ユニバーサルな行政サービスを提供する上で不可欠でもある。)

    【テーゼ3】正当性への問いは新自由主義によって絡め取られやすい。(「後期資本主義国家」においては、市場原理という意味での形式合理主義は貫徹できないがゆえに実質合理性の論理が侵入せざるを得ず、官僚制の正当性を揺るがせる。それに対する新自由主義的な論理は、こうした揺らぎによって生じる不満へのとりあえず説得的な解答になりやすい。)

    【テーゼ4】ポスト「鉄の檻」状況において、強いリーダーシップへの要求には注意が必要である。(強いリーダーへの期待、カリスマ支配への期待はもはや時代錯誤であることをあらためて確認しよう。)

    【テーゼ5】ウェーバーの官僚制は今日、新自由主義への防波堤として読むことができる。(これは著者の近著等であらためて詳細な議論が展開されるようだ。)

著者プロフィール

1969年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。2003年、ボン大学哲学部で博士号(Ph.D)取得。早稲田大学政治経済学術院助教、岐阜大学教育学部准教等を経て、2010年4月より立命館大学法学部准教授。専門は政治学、政治思想史。主な著訳書に、Kampf und Kultur: Max Webers Theorie der Politik ausder Sicht seiner Kultursoziologie( Berlin: Duncker & Humblot, 2005)、『闘争と文化―マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(みすず書房、2006年)、『官僚制批判の論理と心理――デモクラシーの友と敵』(中公新書、2011年)、『はじめて学ぶ政治学』(共著、ミネルヴァ書房、2008年)、『大学と哲学』(共著、未來社、2009年)、クラウス・オッフェ『アメリカの省察――トクヴィル・ウェーバー・アドルノ』(法政大学出版局、2009年)、などがある。

「2011年 『比較のエートス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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