神道とは何か - 神と仏の日本史 (中公新書 2158)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121021588

作品紹介・あらすじ

日本"固有"の民族宗教といわれる神道はどのように生まれ、その思想はいかに形成されたのか-。明治維新による神仏分離・廃仏毀釈以前、日本は一〇〇〇年以上にわたる神仏習合の時代だった。両部・伊勢神道を生みだした中世を中心に、古代から近世にいたる神道の形成過程を丹念にたどっていく。近代における再編以前の神をめぐるさまざまな信仰と、仏教などとの交流から浮かび上がる新しい神道の姿。

感想・レビュー・書評

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  • 古代から近世にいたるまでの神道の歴史をコンパクトに解説している本です。

    しばしば日本民族に固有の信仰として語られる神道ですが、そのような枠組み自体が近世の国学のなかで形成されたものであり、それに先立つ両部神道や伊勢神道をはぐくんだ中世の神仏習合的状況が、現代にまでつらなる神道のありかたを規定していると著者は主張します。そうした立場に立って、本書では「固有」や「不変」ではなく、「変容」する宗教として神道を位置づける試みがなされています。

    その後、吉田神道や垂加神道による神道の体系化の試みがおこなわれ、国学者たちによって神道に「固有」の教義が求められるようになったプロセスについて、完結に叙述されています。

    教科書的なスタイルで神道にまつわる歴史的な事実についての説明がつづくので、ややとっつきにくい印象はありますが、宗教学的ないし民俗学的なアプローチとは異なり歴史的なアプローチにもとづく神道の入門書として、充実した内容の本だと思いました。

  • 古代から近世までの日本神道史を扱ったもの。神道というと日本古来の宗教のように捉えられることもあるが、きちんとした宗教として成立したのは15世紀、吉田兼倶の吉田神道においてである。国学の流れの中で日本古来のものとして送り返された古代の神道は、多神教的・アニミズム的なカミ信仰で整ったものではない。このカミは祟りを起こす畏怖の対象として祀られたもの。

    古代のカミ信仰は仏教の伝来によって、仏教との比較で位置づけられていく。一つにはカミも「衆生」の一つであり、輪廻や罪業に悩まされ、仏による救済を必要とする存在だとする捉え方。衆生の住む世界は六道、すなわち天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄であり、日本古来のカミもこの天に属し、仏の救済対象である(神身離脱)(p.39)。しかし737年に初出する八幡神(p.47)のように、仏に似た役割を担うようになる神もあり、これには菩薩の名が与えられた(八幡大菩薩)。こうした神仏習合が進み、やがて10世紀に神は仏の仮の姿であるという本地垂迹説に至る(p.55)。

    こうして本地垂迹説のもとで、仏教諸説と神道を融合させて説明しようという両部神道、伊勢神道の流れが中世神道として展開する。このなかで著者が鍵とするのは、「神が我々の中に内在するという、中世が生み出した新しい観念」、「神観念のドラスティックな変化」(p.135)である。この神=心の考えは、吉田神道にて神道が成立するに大きな役割を果たす。

    さてこの心神という捉え方は、人物(の心、魂)そのものを神として祀るという展開をもたらす。もともと、8世紀の長屋王、10世紀の菅原道真、12世紀の崇徳上皇と不合の死を遂げた人物の祟りを鎮めるために祀るということはあった。確かに藤原鎌足のような一家の始祖への信仰や、柿本人麻呂のような歌道の祖への信仰という形の(祟りによらない)人物信仰はあった。しかし著者の見るところ、近世以降の人物信仰は新しいものであり、それには吉田神道の心神という捉え方が影響している。この結果の信仰が豊臣秀吉(豊国大明神)であり、徳川家康(東照大権現)である(p.163)。

    もう一つ、吉田神道の成立背景をなすのが13世紀より再興した日本書紀注解である。この中世日本紀が独自の系譜と神話を生み、仏教とは離れた独自の宗教としての神道の成立を生む。この日本独自の宗教体系としての神道、というアイデアは国学を経て、明治期の廃仏棄釈、そして軍国主義イデオロギーへと流れていくことになる。

    というように本書は吉田神道の成立をピークとして、そこに至る様々な背景を追っていく。しかしどうも事項の羅列が多く、筋が見えにくい。「なお」「さらに」といった接辞で始まる文章が多発し、あれもこれも述べようとしている感があり、展開を追うのがやや面倒である。また、事項の展開はあれど、それがなぜ起こったのかについての説明は少ない。例えばなぜ本地垂迹説が起こってきたのか。神身分離で不足だったのはなぜなのか。伊勢神宮の宮司たちの心の救済の話が出てくる(p.73f)が、これが理由であるわけではない。したがって、事項は豊富だし、事項のつながりも押さえられているのだろうが、いまひとつ展開のつながりが見えない本だった。また、近代の展開や視点は極力排除した形で書かれている。それは現代の見方を過去に移入しない方法論の一つではあるだろうが、叙述を生き生きとさせるためにはやや譲ったほうがよい点のように思われる。

  • 古代から近世までの神道の変化について,仏教との関わりを中心に書かれており,新書だがかなり読み応えのある内容。

  • 神道はどのように生まれ、その思想はいかに形成されたのか? 両部・伊勢神道を生みだした中世を中心に、古代から近世にいたる神道の形成過程を丹念にたどる。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40163891

  • 神道を中心に据えて、古代から近代までを解りやすく網羅した本。細々な神社のなりたちというよりは、神道という宗教の背景にあった歴史の流れを解説したもので、現在に続いている神道の古来というものが、再構築されたものであることが丁寧に説明されている。歴史そのものというよりは、歴史の背景に言及した本といえるかもしれない。

  • 本書は現在「神道」という名称で理解されている日本の民俗宗教に関して、その成立から現在の形に至るまでの思想の形成過程を通史的に追って解説しています。初学者にもわかりやすく、仏教など他宗教との関わり合いの中から日本の「神道」像を説明しているため、日本の思想史に興味のある方にもおすすめです。

    ◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB08972029

  • 生まれ育った町に日本でも有数の規模の神社があったり、ちょっと足を伸ばせば有名な神社にいけたりしたこともあってなんの疑問もなく初詣などのお参りをしてきたが、ふとそもそも神社とはなんであって神道とはどういう宗教なのか、という疑問が湧いたためちょうど相応しいタイトルの作品があったので手にとってみた。わかったことがいくつかあった、まずは神、という言葉が問題ではないかと。つまり一神教の絶対的な存在である「神」と日本の神道における「神」はかなり異なっている、ということ。また基本的には江戸の後期に至るまで仏教のおかげで存在し得たものである、ということがよくわかった。遠藤周作がその作品において日本人はなんでも自分たちに都合よく作り変えてしまう、というようなことを言っていて自分も賛同していたのだが神道が仏教の要素をうまく取り入れて生き延びてきた経緯をこうしてみてみると日本人の作り変える力というよりは仏教の融通無碍さが際立っているように思う。面白いのは神道に於いても釈迦が最上位にいて日本のいろいろな神は日本人に仏教を教えるために仏が姿を変えているのだ、としているところであっさり自分たちの神々を外来の宗教の下位に入れて取り込んでしまっている。廃仏毀釈はいわばその反動ということらしい。日本は神国であるというのも辺境国家であるので仏がそのままでは教えが伝わらないので様々な神に姿を変えて人々を導いているのだ、といういわば劣った国、のようなニュアンスがあったらしい、というところも興味深い。現在の仏教的な要素を排した神道は太古からあったものではなく中世から近世つまり室町時代から江戸時代にかけて様々な言説が出た結果、なんとなく成立したようなものらしい。だからといってくだらないとか意味がないという気は毛頭ないが成り立ちや背景事情を抑えておくことは無駄ではないという気がした。非常に面白かった。

  • 日本人なのに、神道のことも仏教のこともいかに知らないかということに気付かさせる。

  • 神仏習合が起きた経緯は諸説ある。

    仏教が他の宗教の神様や信仰と融合する柔軟性を持っていた
    「民衆の願いを叶える救済や、民衆を救う救済」という大乗仏教の性格は日本の民間・朝廷で信仰されていた神様への信仰と合致した
    などがある。

    明治政府により、一部の国学者の主導のもと、外来の宗教である仏教は国教にはふさわしくないとして、それまで特権を持っていた仏教関係者の財産や土地を剥奪していった。(そもそも、江戸時代以前には神社の中に寺院があったり、明確に区別されてなかった。)
    その目的としては、国家単位で統一した宗教を作り、国を強めること、徳川の影響を捨て去ることだった。

    明治元年の神仏判然令により、廃仏毀釈が進められる。しかし、多くの反発もあり神道の国境化自体上手く行かなかったが、神道自体を宗教の埒外に置く神道非宗教説が台頭する。

    神道は上代から現代に至るまで使われてきたわけではなく、多くは中世、近世になって起こった。

    古代においては、人間の外部にあって祀る―祀られるという関係で存在していた神々を、中世では、内なる神として自分たちの心の内部に見出し、道徳的主宰者と見なすようになった。

    仏教から独立した宗教として神道が見えるようになるのは、吉田神道の登場からである。その後仏教的要素を取り払ったところに「固有」なる神道が見いだせると信じたが、両者は不可分であった。その後は神仏分離、廃仏毀釈によって民族宗教としての「固有」なる神道が達成されたが、現代の神道も、本質は仏教との交流があることに変わりはない。

  • 神道の流れをざっと掴めればと思ったのだが、詳細説明がちょっと…。
    もともと神を祀るのは天災等の災いを防ぐためにその土地や社会のために行う儀式であり、決して個人のためのものではなかった。
    また祭祀に携わる者も専門の人間ではなくその地域で祭祀の時にその役を受け持つ者がいただけ。
    当然感性が強く、モノに憑かれやすい人がその祭祀では大きな役割を持つので、若い女性などが自然と所謂巫女となって神との通信係りとなった。
    仏教の伝来によって個人の幸福や安全がその信仰の目的になり、神々は仏が様々な姿になって現れたものと理解されたり、神の代わりに人間が仏のための修行を行うことが尊ばれたりして神仏混合が始まった。
    中世以降は祟る個人が神格化されたりして、次第に仏は外来の神に過ぎず、日本古来の神々こそ尊ぶべきものという考えも現れ、室町後期にできた吉田神道は成り立ちの経緯や資料はほぼでっち上げだったにもかかわらず、その概念自体が別個の一つの宗教としてそれ以降も継続し、それが明治維新での廃仏毀釈から戦前までの負の側面を助長した原因になっていった印象を受けた。
    いわゆる神道という概念は中世に端を発しながらもそれほど古いものではなく古来からの自然崇拝や天災への怖れという内容とは違うもの。
    これが一緒くたになって受け入れられているのが現在で、神社での儀式等は実は歴史が浅いもの。
    人間にとっては古代から根付いている自然への畏敬の念だけが大事なのではないか…宗教や思想は結局頭での後付け。
    人間が作ったものに人間が依存し振り回されることはおかしいと思うのだが、それだけ人は弱いものであるということか…。

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著者プロフィール

茨城大学人文社会科学部教授

「2021年 『神仏融合の東アジア史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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