藩とは何か-「江戸の泰平」はいかに誕生したか (中公新書 2552)
- 中央公論新社 (2019年7月19日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121025524
作品紹介・あらすじ
長い戦乱で荒廃した地域社会を救い、「泰平の世」をもたらしたのは「藩」だった。藩の誕生期に着目し、その歴史的意義を説き明かす。
感想・レビュー・書評
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<目次>
はじめに
第1章 近世城下町の画期性
第2章 藩の思想
第3章 藩の創始者たち
第4章 藩の設計者たち
第5章 東アジアの幕府・藩
むすび
<内容>
近世の成り立ちを述べた著者の三部作の完結編(『秀吉と海賊大名』『天下統一』いずれも中公新書)。藤堂高虎を主軸に据えたもの。大坂幕府構想とかいろいろとおもしろいことが書いてあるが、参勤交代を肯定的にとらえたり、武断政治から文知政治への移行の考え方など、勉強になることがたくさん。特に藤堂高虎と小堀遠州の親子(義理の親子だけど)の優秀さを感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
藩の構造を知りたかったのだが、少々期待外れだった。それでも、織豊時代から徳川幕府初期への城郭や大名の生態の変遷を知ることができたことは有益だった。特に9人の主君に仕えた藤堂高虎の解説は面白かった。
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城下町は江戸時代を通じて城下町であると考えそうだが、そうではなくて、江戸時代初期に戦略的に作られたということがわかる本。特に藤堂高虎が、その設計者であることがよくわかる。
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石高制や太閤検地から藩の成り立ちを紐解く1冊。ただ当時の時代、権力者の語りが多く含まれることから、藩という組織、クニを描いた1冊には思えない。
幕府を開いた徳川家康はもちろん、代々の将軍、江戸との関係と国替。主従制と官僚制の融合、という説明がいちばん腹落ち。 -
これはかなり目からウロコ。知らないことは本当に沢山ある。
まず、「預地思想」。藩の土地はすべて公儀から預けられている、自分は当座の国主であるという考え方が大名に浸透していったことが非常に興味深い。これと主君押し込めを合わせて考えると、日本の株式会社のプロトタイプが幕藩体制であるように思えてならない。
藤堂高虎のイメージも大きく変わった。単に主君を7度変え、城づくりの名人というイメージしかなかった。ありていにいえば、機を観るに敏であり、徳川に寝返った人物という印象があったが、そこを大きく超えて、朝廷、豊臣恩顧大名、文化人、大工の棟梁、そして徳川幕府の幕閣と、非常に広い人脈をもち、それぞれをうまくつなぐ立役者だったということがわかった。なにもない沖積平野に城を興し、街づくりをし、街道を拓くという藤堂藩の功績や、江戸幕府初期の体制固めでの大きな役割を見るにつけ、本当に大きなものが見えていた人なのだと痛感する。
江戸幕府と朝廷の公武合体(秀忠の娘の入内)、大坂城への将軍、大御所の移転等、織豊政権から江戸幕府に移行する間の動きというのが、大変わかりやすく説明されている。
どうしても歴史の教科書では、「家康が征夷大将軍となり、大坂の陣で豊臣家を滅亡に追い込み、三代家光の時期に武家諸法度が制定されて幕藩体制が確立した。」ぐらいのことしか描かれないが、この間にゆっくりとそして劇的に世の中が戦国から静謐へ、武断から文治へ変わっていった様が、丁寧に説明されている。
この著者の本はもう少し読んでみたい。 -
「藩」とは何か。
江戸時代年間を通して、政治の基本となった藩について述べられている。
藩は預地思想によって成立していた。そして、それが浸透していたことには非常に興味深い。
池田光政、藤堂高虎などがその事例として挙げられていた。
しかし、藤堂高虎の事例がかなり多いため、他の藩の事例も記載して欲しいとは感じた。
藩。当たり前だがシンプルだからこそ難しい。
まだまだ勉強をしていきたい。 -
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 近世城下町の画期性(沖積平野への進出/戦国バブル崩壊からの復興 ほか)/第2章 藩の思想(預治思想の系譜/太閤検地と国土領有権 ほか)/第3章 藩の創始者たち(駿府政権の上方掌握/最前線の大藩 ほか)/第4章 藩の設計者たち(移築・再利用による人工都市/都市のゾーニング ほか)/第5章 東アジアの幕府・藩(公武融和の人脈/「大坂幕府」構想 ほか)/むすびー藩とコンパクトシティ -
藤堂高虎の津藩が全国の藩の嚆矢となったと著者は説いている。
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藤堂高虎の広範囲の活躍を知ることができて勉強になりました。豊臣秀吉・秀長に重用され朝廷の人脈をつくったことが徳川政権でもいかされた。それ以外にも外様大名の人脈をいかして関ヶ原や大坂の陣で徳川を勝利に導いた。領国経営ではいち早く津城城下町をつくり、藩主が公儀から領知権を預かっているのと同時に、百姓が所持する田畑も公儀からの預かりものであるという幕藩体制の考え方を根付かせて泰平の世の設計者のひとりとなった功績は偉大だと感じた。