北朝の天皇-「室町幕府に翻弄された皇統」の実像 (中公新書)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121026019

作品紹介・あらすじ

北朝の天皇は室町幕府の「傀儡」だったのか? 両者の交わりをエピソード豊かに紹介し、困難な時代を生き抜いた天皇家の軌跡を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 日本史に「南北朝時代」というモノが在って、「南朝」と「北朝」とが在ったということは何度も聞いていて、記憶にも残っている。では、その「南朝」や「北朝」は如何いうような経過を辿ったのか?歴史の教科書に登場する「〇〇天皇」という名の中では何となく目立つ存在である後醍醐天皇が関わる「南朝」は話題に上ることが少し多目なような気もするのだが、「北朝」というモノの経過に関しては承知している事柄が、何やら酷く少ないような気もする。
    或いは本書は、「北朝」という切口で「所謂“室町時代”そのものの変遷」の概要を判り易いモノにしてくれているかもしれないというようなことも思った。
    “皇位”というモノは、継承権が在ると見受けられる何人かの中から選ばれた継承者が受継ぐ訳だが、概して「天皇の子や孫」か「天皇の兄弟」か「天皇の兄弟の子」ということで受継がれて行った。そういうことになると、「A皇子の系統」、「B皇子の系統」と皇位継承権を有する人達の系譜に分裂が生じる。
    こうした皇位継承権者の系譜に分裂が生じるような事象は古くから何度も見受けられるのだが、「南北朝時代」という状況に入って行く前段の鎌倉時代後半には「大覚寺統」と「持明院統」との分裂が少し「拗れて」しまったような感になっていた。そして所謂「建武新政」の起こりと挫折、室町幕府発足から日が浅かった頃の混乱というような状況の中、後世に「南北朝時代」と呼ばれる状況が生じるのである。
    皇位継承権者の系譜に分裂が生じるような事象は「大覚寺統」(南朝)と「持明院統」(北朝)ということに留まらず、実は「持明院統」(北朝)の中でも生じてしまったという経過も在る。
    「南朝」は「飽くまでも理想を追う」というような在り方を目指したのに対して、「北朝」は「飽くまでも生き残る」というような在り方を目指したのかもしれない。その「北朝」が如何にして生き残り続けたのか?それが本書のテーマになる。
    「北朝」というモノは、「室町幕府」が統治者として君臨する“権威”を獲得するために「丸抱え」を図ったモノであり、「北朝」の側でも生き残りのために「抱えられることにした」という、独特な「共存体制」なのだった。それが何代にも亘って継続し、やがてその「室町幕府」と「北朝」との「共存体制」が維持し悪くなって行く。
    本書ではこういう事柄に関して、様々な史料から判る多彩な挿話を織り込みながら判り易く説いている。全体として、深い思惑が一致して共謀的な関係に在りながら、関係者個々人の性格や相性で色々と揺れる経過も交えて、長く続いた両機関の数奇な物語という感じに纏まっているかもしれない。少し夢中になってしまった…ハッキリ言えば、「小説やテレビドラマの主人公のモデル」というような人物達が多く居る訳でもない、室町時代の将軍や天皇というような人達に関して、「何となく動き回る様子、交わしている会話の感じ」が思い浮かぶような内容が綴られた本書は、単純に酷く面白かったのだ…
    本書の“あとがき”の部分等に「クロ以外はクロではない」と「シロ以外はシロではない」という表現が対で登場する。
    「クロ以外はクロではない」?「これだけは絶対にダメ」ということでもない限り、或る程度は何でも容認してしまうような余地を残す在り方…「シロ以外はシロではない」?「こうでなければならない」というモノ以外は容赦しないというような感の在り方…というような感ではないかと思う。
    「クロ以外はクロではない」は「北朝」の経過で、「シロ以外はシロではない」は「南朝」の経過であったかもしれない。が、そういう古い時代のことに留まらず、“時代の精神”とか“傾向”というようなモノは「クロ以外はクロではない」と「シロ以外はシロではない」との間を揺れていて、現在でもそういう“揺れ”が在るのかもしれない。
    なかなかに興味深く読了した一冊であった!

  • 鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代。南朝を率いるのは後醍醐という個性の強い天皇。天皇親政を再び取り戻すという理想に邁進する。京都は奪われたが、北朝内部で対立があれば、その一方を南朝側に引き込んでは、カムバックを目指す。何度敗けても、そのたびに起き上がる様は日本人好みだ。

    しかし、高い理想と人気だけでは現実の波を渡ることはできず、南朝は滅亡する。

    結局、生き残ったのは北朝。地味で存在感が薄く、足利将軍の傀儡のような存在だった。が、北朝は徹底的に将軍の「ヒモ」に徹する。社会正義や治安、政治、ときには皇位継承の順番決めまでも将軍に押し付け、儀式に必要なカネを出させる。駄々をこねる子供にしょうがないから駄菓子を買ってやる親子のような関係だ。

    代々の北朝天皇はこうして時の将軍にすり寄り、理想やプライドを捨て、家を絶やさないことだけに注力した。彼らは本能的に「君臨すれども統治せず」という未来のヨーロッパの言葉を知っていたのだろう。

    こうしてみると、弱者であることを最大の強みにした北朝天皇は実に人間臭い。

  •  一般読者なので印象論に過ぎないが、最近は室町幕府研究が活況を呈しているような感じを受ける。
     本書レーベルの中公新書をとっても、『応仁の乱』や『観応の擾乱』のように、資料に実証的に拠りつつ、新しい見方、知見を与えてもらえた。

     本書は、両統迭立以降、建武新政を経て南北朝時代、義満時代の両統合一から戦国時代前夜までの、北朝皇統にスポットを当てる。
     
     天皇家と室町将軍の持ちつ持たれつの関係を、儀礼的昵懇関係ととらえ、そうした関係が、応仁の乱による天皇家と将軍家の同居により儀礼性が弛緩してしまったこと、また守護在京制の崩壊により、足利将軍家の権威を天皇権威によって裏打ちする社会的ニーズが失われてきた、といった著者の考察が、大変興味深かった。

     皇族や公卿の日記等が残っているからであろうが、上皇・天皇と足利将軍個々の、とても生々しい遣り取りがエピソードとして取り上げられており、為政者のウマが合う、合わない関係が波紋を広げてしまう辺りが、実に面白い。

  • 南北朝の合一で後亀山天皇は上皇となり、京で暮らすことになった。足利義満は後亀山院に自分が注いだ酒を飲ませることで、自分が格上と印象付けた。この種の醜い宴会文化は現代日本にも残っている。

    後亀山院は両統迭立が反故にされたことに反発した。
    「持明院統と室町幕府は、三種の神器と皇位を掠め取った。その罪は万死に値する」
    後亀山院は京を出奔して再び大和国の吉野に潜伏する。南朝の遺臣達が集まり、後南朝の活動が続いた。後亀山院には義満のアルハラへの反発もあっただろう。

    室町時代は将軍家と朝廷の宴会が多かった。応仁の乱の最中も宴会三昧であった。室町幕府は将軍の権威を高めるために朝廷の権威を利用した。朝廷も幕府が必要であった。このために将軍と朝廷は近しい関係であると演出する必要があった。実際に仲が良くなくても、本音は嫌でも付き合わなければならかなった。現代日本の飲みニケーションと重なる。

    これに対して室町幕府第九代将軍の足利義尚は朝廷関係者との酒宴や公的な儀礼を嫌った。遅刻、早退、欠席が多い(石原比伊呂『北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』中公新書、2020年、216頁)。蚊に刺されてかぶれたという欠席理由がある。仮病によるサボりも多かっただろう。酒が飲めない訳ではない。むしろ義尚は大酒飲みであり、それが死因になった。

    趣味の和歌では公家とやり取りしており、興味のある分野では積極的にコミュニケーションをしている。義尚が嫌ったものは儀礼的な付き合いである。儀礼的な付き合いを無駄と考える現代人的な合理主義精神を持っていた。

    これには歴史的な必然性がある。応仁の乱後は守護在京制が崩壊し、将軍と朝廷の儀礼的昵懇関係を守護大名達に見せつける必要性が低下した(『北朝の天皇』225頁)。義尚が儀礼的な宴会を嫌ったことは歴史の流れに沿っている。

    これは現代の忘年会スルーにも重なる。昭和には飲み会は仕事という感覚があった。
    「今も昔も日本社会における酒宴は、ただの遊興ではない。社交の場であり、“政治”の場でもある(ゆえに特に若手にとって忘年会などはストレスを感じる場となるのだが、それでも参加しておいた方が何かと合理的なのである)」(『北朝の天皇』210頁)。
    しかし、人間関係だけで仕事するような無能公務員は別として、アウトプットで評価するならば宴会参加の意味はなくなっていく。宴会参加強要はアルハラでしかなくなる。

  • 【「理想を追うのではなく現実を受け入れ、そのなかで自分の価値を最大限に生かす」という姿勢こそ、北朝天皇家の生命力であったと思われる】(文中より引用)

    南朝に比べて人気の点ではいささか劣るとも言われる北朝。ではその北朝はいかにして南北朝の動乱を乗り越え、室町期にも命脈を保ち続けることができたのか。北朝天皇家の「サバイバル術」を明らかにした歴史作品です。著者は、日本中世史を専門とする石原比伊呂。

    ところどころ軽い筆致も☆5つ

  • 曖昧な北朝、南朝がすっきりしそう。

  • タイトルからは南北朝時代における北朝天皇家を取り上げた本かと思ったが、それだけでなく、むしろ南北朝合一後の儀礼的昵懇関係をベースとした北朝(系)天皇家と足利将軍家との関係に重点を置き、中世を生き抜いた北朝天皇家の生命力を描写している。
    室町時代の北朝系天皇は、高校日本史などでの存在感はなきに等しいので、光厳から後柏原に至るそれぞれの天皇の個性豊かなエピソードをたくさん知れて、天皇好きの自分としてはとても興味深かった。持ちつ持たれつの儀礼的昵懇関係を基調としつつ、それぞれの天皇と将軍の個性や相性によりお互いの関係性は様々であり、人間らしくて面白く感じた。天皇家と将軍家の関係性の変容の契機ともなったという、応仁の乱の最中に天皇家と将軍家が同居していて、夜な夜な宴会をしていたというエピソードが特に印象的だった。また、後光厳流と崇光流の分裂やそれに伴う伏見宮家の誕生という事実について、ほとんど認識していなかったので、勉強になった。

  • ちゃんとした?学者先生なのだが、語り口が面白い。

    大変だったんだなあ、という感じ。

    とにかく、学校で習う歴史が嘘ばっかりというか一面ばっかりなんで、こういう観点は面白い。

    武家社会と言いながら、まあ、皇室も色々時代に流されてるんだが、どんな権力者も、皇室を壊そうとはしてないんだよ。

    立憲民主党とか、聞いてるか。

    日本ってなんなのかちょっと考えろ。

  • 知らない事が多くて面白かった。

    義教は何処までいっても厄介で、
    お寺で勉強してた方がなんぼか皆んな平和に
    生活出来たろうと

    甘え上手というか、金無いというか
    ギブ&なんとかなんだろうけど
    社会における人間の相性はいずこも変わらじ

  • 【目次】(「BOOK」データベースより)
    序章 戦国時代の天皇即位儀と将軍/第1章 分裂する皇統ー鎌倉時代/第2章 天皇家と足利将軍家の邂逅ー南北朝時代前後/第3章 後光厳院流と崇光院流ー室町時代前期/第4章 天皇家を支える将軍たちー室町時代中期/第5章 儀礼的昵懇関係とその裏側ー室町時代後期/第6章 生き残る天皇家ー戦国時代/終章 中世の終焉

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著者プロフィール

石原比伊呂

1976年生まれ。青山学院大学大学院博士課程修了。博士(歴史学・青山学院大学)。聖心女子大学准教授。専門は日本中世史。著書に『室町時代の将軍家と天皇家』(勉誠出版)、『足利将軍と室町幕府』(戎光祥出版)など。

「2020年 『北朝の天皇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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