幣原喜重郎-国際協調の外政家から占領期の首相へ (中公新書 2638)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121026385

作品紹介・あらすじ

戦前に外相を4期務め、経済中心の国際協調を主導、戦後は占領下、首相として日本国憲法制定に尽力した幣原喜重郎(1872~1951)。外務省の中枢を歩み、外相として欧米との関係を重視した「幣原外交」は軟弱と批判されながらも、中国への不干渉を貫き政党政治を強く支持した。満洲事変後の軍部台頭に引退を余儀なくされるが敗戦後、首相として復権。民主化や日本国憲法「第9条」成立に深く関与する。激動の昭和期、平和を希求し続けた政治家の実像に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 戦前外交史を読むと必ず出てくるのが、この幣原喜重郎。戦前、まだ自由主義の色が濃かった頃、幣原外交と呼ばれる国際協調路線の外交を展開した外交官。よく出てくるので、どんな人なのか知りたくなり手に取った。
    内容は、氏について、歴史研究者がていねいに描いてくというもの。外交官としての駆け出しの頃から、外務大臣として外交の中心的な役割を果たした軌跡、戦後処理を担った政治家としてやったことなどなど、詳しく知ることができた。
    この辺りの歴史的な流れが頭に入っていると、より楽しめること間違いなし。近代史好きにおすすめ。

    —-以下、Twitter(アドレスは、3/2以降)


    読了本。熊本史雄「幣原喜重郎-国際協調の外政家から占領期の首相へ」 https://amzn.to/48qbdQM 戦前外交史においてその名を残した外交官・政治家である幣原。彼を中心に日本近代史を振り返った新書。著者は歴史研究者。近代史について少々の基礎知識があるとより楽しめるか。 #hrp #book #2024b

  • 幣原喜重郎の外交に関して公正に良い面悪い面両面について述べており、なかなか読み応えがあった。

  • 近代日本を代表する外交官の評伝。戦前外務省の様子も垣間見えた。
    幣原外交の内実が小村以来の英米協調・満蒙権益確保(ワシントン体制)に加え、小村譲りの正攻法外交なのは意外であった。外交の王道ではあるが、邪道中の邪道である国民党の革命外交に行動指針として硬直した幣原外交(内政不干渉・英米協調・経済合理主義)は対応できず、亜細亜局(谷・重光)の現実主義的二国間交渉も不首尾に終わった結果、地域主義や「堅実に行き詰る」選択を余儀なくされたという印象は否めない。満洲事変前後での消極的態度も匙を投げていた証拠ではないかと考えていた。陸軍の強硬姿勢(中国の侮日姿勢への反発)が国際社会に認容されていた一線を越えてしまい、日本人として残念な気持ちになった。
    戦後首相としての幣原は本書によると意外と保守的だった。平和主義の理念には賛同していたようだが、象徴天皇制や9条は想定外だったという。典型的な選良だった幣原は体制づくりやその管理には強いものの、相手が革命外交のような非合理的行動をしてくるとバグってしまい自分で決めた満蒙不干渉の指針(それ自体は優秀なのに)に従えなくなってしまったようにも見えた。硬直した姿勢は今の日本にも通じるところもあるかもしれない。
    根底の満蒙観が幣原と亜細亜局で同じだった結果、より拡大主義的な亜細亜局に穏健主義の幣原も引っ張られたという意味では外務省内の多様性の欠如も問題であるとは思った。小日本主義者や小村欣一のようなより強固な国連主義者もいれば均衡があったかも。勿論組織の一体性とはトレードオフだが...

    最初の方に出てきた駐米英国大使で歴史学者のブライスには感心した。以下抜粋
    「外交技術は、長期的かつ歴史的な視座を持つこと、交渉相手国の国民性を観察すること、相手国への抗議による関係悪化の損失を見透すこと」
    「些細な面目や一部の利害に拘って、大局の見地を見失ってはなりません」「国家の長い生命からみれば、5年や10年は問題ではありません。功を急いで紛争を続けていては、二進も三進もいかなくなります。外交官たるものはもっと長い目で国運の前途を見つめ、大局的見地を忘れてはなりません」
    実際米国は自分で過ちに気づき、矯正している。至言

  • 幣原喜重郎は大正から昭和にかけての外務大臣であり,教科書的には米英協調・中国内政不干渉の「幣原外交」で知られていると思う.また日本国憲法を作った人としても知られているかもしれない。
    本書でも,外務省入省ころから外務大臣を辞するまでと戦後の最初の総理大臣として日本国憲法の制定に関わるときの2つ軸をメインに展開する.
    前者に関しては「幣原外交」と呼ばれるようなものは実は存在せず,従来の外交方針が継続していただけであるという.それ以前は群雄割拠で混乱していた中国が一つの国家とまとまり,これまでの条約を破棄していくという中国による革命外交が日本政府(特に外務省)を混乱させたようだ.幣原は外務省の本流ではなく外務大臣としてイニシアティブを取れなかったのだという.官僚組織というものが混乱時にうまく機能しないというのは今日でもありうる問題である.
    後者に関しては,幣原は現状のような憲法案は元々まったく考えておらず,それこそ米国側から強制されたものであるということだ.彼はあえて自分が作り出したかのように芝居を打って日本国憲法の価値を高めたということか.これはおそらく正しいだろう.
    外交史料を読みあさったという著者ならではの説得力がある。よく知らないのだが松岡洋右より内田康哉が悪いように書かれている。

  • 本書は、今年没後70年になる幣原喜重郎(1872-1951)の評伝である。副題は「国際協調の外政家から占領期の首相へ」。戦前期の幣原は外交官として活躍し、外相を四度務めた。一度目は加藤高明内閣のとき。加藤が病死して次の若槻礼次郎(第1次)内閣も外相再任で二度目。そしてその後を襲った田中義一内閣が張作霖爆殺事件で倒れた後に成立した濱口雄幸内閣で三度目。その濱口が遭難して第2次若槻内閣でも外相留任で四度目となる。第2次若槻内閣が昭和恐慌の経済失政で崩壊した後は政界から引退し、引き籠もった。しかし、この1932年から45年まで政界の一線から身を引いたことが結果的には良かった。戦時中に日本外交の責任ある立場に立たされていたら、占領期の復活はまずなかっただろう。

    本書は第1章から第3章までが外務省のなかで幣原がどういうポジションを経由しつつ次官まで至ったか、そして次官時代にもっともリーダーシップを発揮できたことが指摘されている。そのピークが駐米大使として参加した第1次大戦後のワシントン会議であった。ワシントン会議では太平洋・中国の平和を維持するために軍縮条約、四ヶ国条約、九ヶ国条約が結ばれ、以後の体制は「ワシントン体制」と呼ばれる。この「ワシントン体制」遵守が「幣原外交」の原理となっていった。ただし、英米協調・産業立国、あるいは満蒙特殊権益を重視しつつの英米協調という中身は「旧外交」にも見られる特徴であり、幣原外交はそれをウィルソンが提唱した「新外交」理念に沿いながら外交課題を位置付けたものであったことには留意しなくてはならない(p.90)。

    第4章・第5章は幣原が外相として外交政策を担ったいわゆる「第1次幣原外交」「第2次幣原外交」とその間の「田中外交」を扱った章である。対外強硬策を採った「田中外交」(外務政務次官の森恪がシナリオを書いた)に対して「軟弱外交」とも称される「幣原外交」であるが、中身を見てみると幣原本人がその違いを強調するほど相違点は少なく、むしろ「田中外交」のほうが英米協調的であり、基本的には中国への内政不干渉政策を採っていたことが指摘されており、興味深かった(pp.131-133)。また幣原の外務省内の足場が「通商局」にあり、「亜細亜局」との対立によって外相のリーダーシップが貫徹していなかったことの指摘も重要であり、このことが結局のところ「幣原外交」挫折の大きな要因となったことは、本書全体に貫かれている《組織人としての幣原》という視角と深く関わっている。満洲事変を収拾できずに瓦解した「幣原外交」蹉跌の最大原因を、著者は東アジア情勢の劇的な変化、中国政局の流動化によるものと捉えている。つまりは中国の「革命外交」に翻弄されたのである。また経済重視の幣原外交にとって世界恐慌による市場の縮小も逆風となった。

    第6章は1932年以降終戦までの時期で本書では一番短い。しかし、上にも書いたように実はこの時期に一線から退いていたことが、第7章、つまり占領期・日本国憲法制定時の幣原の活躍に繋がっていく。そして、この第7章が意外と(?)分量が多く、かつ面白かったのだが、要約するには面倒なので是非本書を一読いただきたい。あっという間にわかるのは、p.238に挿入された図であろう。

    本書全体では、外交史料館所蔵の外交文書がふんだんに用いられており、新書というコンパクトな読み物ながら、重厚な内容に圧倒させられたのだが、決して読みにくいということはなく一般読者にもわかりやすい内容であったように思う。

  • うーん

  • 満州事件で軍部の暴発を防げなかった点は残念だが、当時の日本の世論は米英協調、中国内政不干渉とは程遠かったのだから仕方無かったのだろう。
    エリートである事は間違い無いが、それだけでは国をあるべき方向へは導けない事がよくわかった。

  • 戦前に外務大臣、戦後に首相の座にも就き、日本の外交に大きく関わった幣原喜重郎氏を外務省記録などをもとに人物像や当時の考えを浮かび上がらせた作品で非常に読み応えがありました。
    恥ずかしながら最近まで幣原氏のことは存じ上げておりませんでしたが、基礎知識が貧弱でも読みやすかったです。
    幣原氏の判断で誤りだったと思われる箇所は指摘していたりと、幣原氏を正義や悪といった極端な位置づけにして述べられていなかった点も良かったです。
    関東軍の暴走がきっかけで満州事変が発生したと言われていますが、外務大臣の座にありながら満州事変の拡大を収めることができなかったり、戦後、首相に任命されGHQとの折衝を重ねながら日本国憲法の制定を託されたりと、重責の伴う困難な課題解決に取り組み続けた苦悩は、想像に難くありませんでした。
    また、日本の政府の中にも様々な意見があり、また外国の国々の中にもそれぞれの思惑があり、政治の難しさも感じました。
    幣原外交について幣原氏の部下によって書かれた文を一部引用すると、「外交は戦争ではない、一方が勝って他方が負けるということはあり得ない。外交においては常に両国相互の本然の立場を尊重し合って、両国国民の利害関係を公平に調整する。即ち所謂ギヴ・アンド・テークに依り双方の満足べき取決めを結ぶということが外交本来の目的である。」(p.34)
    外交官の方は、今も難しい課題に取り組み続けていると思いますが、平和な世界実現に向けて頑張ってほしいと思います。
    ただ、どういった外交がなされるかは、世論も大きく関わっているので、私たちが歴史や文化も含めて相手国の理解を深めていくことも大事になってくるのでしょう。

  • 東2法経図・6F開架:B1/5/2638/K

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著者プロフィール

1970(昭和45)年山口県生まれ.93年筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業.95年筑波大学大学院博士課程中退.外務省外交史料館外務事務官を経て,2004年に駒澤大学文学部歴史学科専任講師,2008年に同准教授,14年より同教授.博士(文学).専攻・日本近代史,日本政治外交史,史料学.
著書
『大戦間期の対中国文化外交  外務省記録にみる政策決定過程』(吉川弘文館,2013年)
『近代日本の外交史料を読む』(ミネルヴァ書房,2020年)
共編著
『近代日本公文書管理制度史料集 中央行政機関編』(中野目徹との共編著,岩田書院,2009年)
共著
『日中戦争はなぜ起きたのか 近代化をめぐる共鳴と衝突』(波多野澄雄・中村元哉編,中央公論新
社,2018年)
『近代日本の思想をさぐる 研究のための15の視角』(中野目徹編,吉川弘文館、2018年)
『官僚制の思想史 近現代日本社会の断面』(中野目徹編,吉川弘文館,2020年)

「2021年 『幣原喜重郎』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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