帝国日本のプロパガンダ-「戦争熱」を煽った宣伝と報道 (中公新書 2703)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121027030

作品紹介・あらすじ

日清戦争に始まり、アジア太平洋戦争の敗北で終わった帝国日本の戦争の時代。短期決戦は泥沼の長期戦と化し、政府・軍部・報道界は国力を総動員するため、帝国の全面勝利をうたい、プロパガンダ(政治宣伝)を繰り広げた。数百万の尊い人命が失われた戦争を、なぜ国民は熱狂し支持し続けたのか。錦絵、版画、絵葉書、戦況写真、軍事映画など、戦争熱を喚起したビジュアル・メディアから、五〇余年のプロパガンダ史を描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • 日清戦争からアジア太平洋戦争敗戦まで、当時の日本で飛び交った政治宣伝を研究している一冊です。
    今の尚残る日本人同士の同調圧力ですが、これをプロパガンダを用いて方向性を共有した場合の力は凄まじいものだと感じました。
    察することを美徳とする民族であるが故に精神的に一丸となることも可能であり、それにより島国でも大国と戦えるのですね。
    しかしいつの世でも同じように宣伝は針小棒大や竜頭蛇尾であったり、更には虚偽であったりするものです。
    嘘も結果として真実となることはありますが、行き着く先には制御不能の国が拵えられるのです。
    言葉や情報には力が宿るもの、集団でも個人でも気を付けて使いたいものですね。

  • ウクライナの戦争は、人の国に攻め込んだロシアが悪い、とぼくは思っている。ほかに考えようがない。が、ロシア人は(みんなじゃないのだろうが)そうは考えていない。80年前に中国に攻めこんだ大日本帝国の臣民も(みんなじゃないのだろうが)自分が悪いとは考えていなかった。

    なぜだろう?

    プロパガンダのせいでは?とぼくは思ったのだ。今のロシアでは、80年前の大日本帝国では、どんなプロパガンダが行われているのだろう? 人々は何を、なぜ、信じていたのだろう?

    そういうことが知りたくて本書を読んでみたのだが、うーん、だいぶ違う。戦意高揚のために錦絵が、ついで写真が使われた、とか、どういう組織がどのようにプロパガンダ、または情報統制に取り組んだか(それは敗戦後の占領時代にも続いた)といった教科書的な歴史や制度の話が中心だ。それはそれで興味深くはあったが、ぼくが読みたいと思っていたプロパガンダの中身についてはほとんど触れていない。扱っている期間が半世紀近くと長く、太平洋戦争のあたりではそういう話も出てくるか、と期待しつつ読み進んだが、結局あっさり終わってしまった。

  • 読む経緯:町田市立国際版画美術館にて『出来事との距離ー描かれたニュース・戦争・日常』展にて購入。
    展示内容にプロパガンダ的版画の展示を期待していたが、無かったので書籍を購入。しかし目当ての「日本版画奉仕会」の言及は当本にもなし。
    ___
    前半の記述には版画をメディアとして扱う記述があるが、日露戦争移行写真が新聞に使用されると途端に版画のメディア性が薄れたのか記述がなくなる。
    (私としてはそれ以降の版画メディアのところを見たかったのだが)
    満州事変以降朝日新聞の論説の転換が見られる。といった新聞社の動向が多く語られている。

  • 【請求記号:361 キ】

  • ● 1890年代。日清日露戦争では錦絵や絵はがきで戦況を可視化するメディア。1910年代、第一次世界大戦。民衆版画による情報伝達を終わり、代わって登場したのは写真であった。更に映画。
    ●日清戦争に対して、最初に熱狂したのは、没落気分を打ち消す機会と捉えた士族や、戦争を進歩(文明)のための戦いとして理解した。福沢諭吉は、内村鑑三のような知識人であった。
    ●フランス人画家ビゴーが描く写実的なイラストは、日清両国の戦争報道と比較すると異色であった。

  • SNSの普及によって、フェイクニュースが広まりやすい時代になったと言われる。だが、本書を読めばそれが現代特有の事象ではないことに気づかされる。メディアは違えど、各国は自国民が熱狂するような煽りを用いてきた。不都合な事実は伝えないというのは、今に始まったことではない。

  • 著者もあとがきに書いていますが2022年ロシア軍のウクライナ侵攻によってプロパガンダという言葉は現在進行形の意味を持つキーワードになっています。この新書は主に1894年に始まった日清戦争から1945年の太平洋戦争敗戦を経て占領統治が終わるまでの「帝国日本」のプロパガンダ(著者は政治宣伝と戦争報道をまとめてそう呼んでいます。)を手際よくまとめています。日清戦争期を版画報道の流行、日露戦争期を「戦勝神話」の流布、第一次世界大戦期を日独戦争をめぐる報道選択、中国、米国の反日運動では報道と政治の関係、台湾霧社事件と満州事変では新聞社と軍の接近、日中戦争期は国家プロパガンダの絶頂期、アジア太平洋戦争期をビジュアル報道の衰退、敗戦直後うぃ占領統治のためのプロパガンダ…章がほぼディケイド毎になっていて戦争は武器の進化だけでなくコミュニケーションのイノベーションを次々生み出していることが多くの図版によって示されていきます。近代国家はナショナリズムをエネルギーに成立していくのだ、と考えるとプロパガンダの主役は、そう思わせたい国家だけでなく、そう思いたい国民、そしてその情報で利益を上げたいメディアの三位一体の行為である、と思いました。特に1931年10月1日の社説からの朝日新聞が行った軍縮キャンペーンから関東軍の意に沿う方針への大転換が朝日不買運動から始まったことには強いインパクトを感じました。昨年読んだ『言論統制というビジネス: 新聞社史から消された「戦争」』と相まってジャーナリズム、宣伝、プロパガンダ、広告、広報などメディアを巡る言葉が頭の中でグルグルしています。そういえば今週は新聞週間。新聞の凋落は戦争との関係の清算が終わっていないところから始まるのか?みたいな気にもなってしまいました。

  • 帝国日本の、というよりも、帝国である日本の無謀な戦を、諸外国がどういう目線で見ていたかという内容。

  • 主要な内容は日清戦争である。第二次世界大戦の中では1/4しか書かれずしかも歴史的事実が多く、プロパガンダはほとんど言及されていない。一方、明治の日清戦争が最も詳細に書かれている。しかし、プロパガンダよりも歴史的事実の説明の方が多い。

  • 日清戦争期に起こった「戦争熱」
    その後50年にわたって高揚し先鋭化する過程を、多様なビジュアル・メディアを駆使した「プロパガンダ」の観点からたどる

    錦絵、風刺画、絵葉書、ポスター、戦況写真、軍事映画……これらのメディアを政府・軍部と報道界はどのように利用し、国民は戦争を支持し熱狂していったのか

    〈執筆を進めていくと、この五〇余年間の戦争の時代と、現在の事象との間に接点が多いことに否応なく気づく。いま私たちが生きる時代にも埋め込まれている危機をいかにして回避していくべきか。その知恵は、本書が対象とした時代のなかに確かにあると考えている。〉──「あとがき」より

    貴重な歴史研究が“いま”を照射する
    現代の巧妙なプロパガンダに踊らされないために

    著者は東アジア近現代史を専門とする研究者、2022年6月刊

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著者プロフィール

1959年、兵庫県生まれ。京都大学地域研究統合情報センター教授、日本学術会議第23期連携会員。専攻は東アジア地域史研究。著書に『満洲国のビジュアル・メディア』(吉川弘文館)、『東アジア流行歌アワー』(岩波書店)、『日中間海底ケーブルの戦後史』(吉川弘文館)、共編著に『二〇世紀満洲歴史事典』(吉川弘文館)、編著に『近代アジアの自画像と他者』(京都大学学術出版会)など。

「2015年 『記憶と忘却のアジア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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