日本インテリジェンス史-旧日本軍から公安、内調、NSCまで (中公新書 2710)
- 中央公論新社 (2022年8月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121027108
作品紹介・あらすじ
情報分析や防諜活動を行い、国家の政策決定を支援するインテリジェンス。その範囲は外交や防衛、公安、経済にも及ぶ。日本では占領期に旧軍の復活構想が頓挫するも、冷戦期は警察を軸に再興し、公安調査庁、内閣(情報)調査室、自衛隊や外務省の情報部門が誕生、内外で攻防を繰り広げてきた。冷戦後は機関の再編が進み、NSC(国家安全保障会議)創設に至る。スパイ事案や通信傍受など豊富な事例を交え、戦後75年の秘史を描く。
感想・レビュー・書評
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我が国のインテリジェンス活動とは。
保守派の人たちは、日本はスパイ天国でやられ放題、盗まれ放題だと憂いている。
左派の人たちは、日本の官憲が諜報活動で市民のプライバシーを脅かしていると警戒している。
本書はいずれにも汲みさず、冷静かつ詳細な分析で日本のインテリジェンス活動をフェアに論じている。
米国による占領で始まり、完全に解体された日本のインテリジェンス活動が冷戦期から現代に至る地政学的緊張の中でどのように発展してきたか。
そして、各国のインテリジェンス活動はこの東アジアでどのように跳梁跋扈しているか。
たしかに予算も組織もなく、米国の言いなりでソ連には簡単に侵入を許す、そんな体たらくであったこともある程度事実だったのだろうが、さまざまな工夫の中で、我が国も少しずつ組織の体裁やスパイ防止法に代表される法的枠組みを整えてきている事実がわかる。
左右のイデオロギーを離れれば、平和に暮らす上で周囲で何が起きているかについてアンテナを張り巡らせ分析を怠らないことは独立国として当然の責務であろう。同時に、そうした活動に携わる組織に対して、(機密管理と上手に両立しつつ)国民の監視を怠ってはならないこともまた当然であろう。
007的なスペクタクルとは異なるが、今の我が国周辺のきな臭さを考えれば大いに参考になる本。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
多くの資料を参照し、奇をてらわず手堅くまとめている。本書でも参照しているリチャード・サミュエルズ『特務』と重複するが、本書はより行政組織に比重を置いている印象。
1950年代の対外情報機関構想は吉田茂の政治的求心力低下、旧内務官僚vs外務官僚の争い、世論の影響で頓挫。冷戦期は日本が独自の外交・安保政策を取る必要がなく米の下請け、警察系(内調、公安調査庁、陸幕調別含む)の影響力大。
冷戦後の90・2000年代は防衛庁情報本部や内閣衛星情報センター創設を含む組織面、様々な提言書などインテリジェンス改革への関心や機運が高まる。第二次安倍政権下では特定秘密保護法の導入や対外情報機関の先駆けと言えるCTU-J設置。この時期、内調が中核として機能するようになり改革を引っ張り、またNSSとも連携。省庁の縦割りの問題も触れられてはいるが、特に冷戦後では、解消の方向として肯定的なトーンの記述。
米英のインテリジェンスに関する本を読んだ時と比べ、国民や議会への説明責任、個人のプライバシーとのバランス、といった記述が本書ではごく少ないのに気づく。そもそも米英の情報機関とは活動の幅も異なることがその背景か。 -
日本におけるインテリジェンスの歴史を戦前から遡って見ていく。敗戦直後、旧日本軍は、暗号等の秘密事項を隠滅するために処分した。そうした中で、ある日本人女性のちょっとした会話によって、米兵にその存在がばれてしまう。その状況下で、有末精三、服部卓四郎といった一部将校たちが、インテリジェンス組織を創設しようと目論んでいた。ところが、1951年、GHQが日本を去ったことで、旧日本軍の構想がなしとなる。その一方、これらの動向をうかがったCIAは、吉田茂、緒方竹虎、村井順と、時の政府の中枢に介入する。そこから、インテリジェンス機関の創設を検討する。しかし、緒方の死去や吉田の政治的求心力の低下で、結局のところ、実現には至らなかった。このように、日本の諜報機関は空回りし、防衛庁と警察官僚らが、その代わりを担う。
その後、中曽根康弘と後藤田正晴の二人が、インテリジェンスに向けていろいろと着手するものの、抜本的な改革は実行できなかった。冷戦期は、日米同盟の関係上、アメリカの下請け扱いであった。時を経て、第2次安倍政権になると、防諜として、法案を通し、以前のような縦割り状態から、徐々に変わりつつある。今後の課題としては、サイバー対策が重要らしい。 -
日本のインテリジェンスの歴史が体系的にまとまって書かれている。
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戦後日本のインテリジェンスの歴史を辿れる希少な一冊。
政治などの時代背景とともに日本のインテリジェンス機関の変遷が網羅されている。
「そもそもインテリジェンスとは何か」という点から解説されており理解のハードルは高くない。本書を通じて、過去に一度は目にしたであろう数々のニュースの裏にもインテリジェンス機関の存在があったことを知れば、今後の視野が大きく広がるだろう。
日本のインテリジェンス機関の活躍といえば、大韓航空機撃墜事件(1983年)程度しか知らなかった。しかし本書によると、それすらもソ連を追及したい米国に利用された形であり、さらにはその情報自体も優越していたのは音質だけだったそうだ。
情報に限らず、収集・蓄積は日本の得意とする分野のイメージがある。実際、私が知らなかっただけで上記の他にも日本のインテリジェンス機関が情報を掴んでいたシーンは多くあったそうだ。ただし、分析・活用となると途端に苦手となる。
何故なのだろうか?
本書から私が得た答えは「“収集意図”が明確でないから」だということだ。指示通りにデータを収集・蓄積し続ける。真面目で受動的な傾向の日本人には向いていそうな作業だ。対して、それを指示した人間に明確な意図がなければ、それらのデータが分析・活用されることはない。もっと言えば、何のために集めたのかもわからないゴミの山と化してしまう。
なにも日本を支える人々がそんなレベルだと言いたいわけではない。私にはそんな経験がいくつもあったというだけだ。
さらに、NSC/NSSの設置により“情報要求”まで行われるようになった現在の日本のインテリジェンス・コミュニティにそんな心配は杞憂だろう。頼もしさすら感じる。
本書のお陰で、少しづつでも日本のインテリジェンス・コミュニティは前進しており、それを支える優秀な政治家、官僚の存在も改めて認識できた。日本のインテリジェンスの歴史を学ぶだけでなく、日本が成長していることを知り、これからへの希望も見出だせた良書であった。 -
国家の政策決定のために、情報分析や防諜活動を行うインテリジェンス。戦後日本のインテリジェンス・コミュニティの変遷を追いながら、CIA事案やソ連スパイ事件など豊富な事例を交え、75年にわたる秘史を描く。【「TRC MARC」の商品解説】
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【請求記号:391 コ】
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情報戦は戦争の一種
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戦前は軍のインテリジェンスが強かったが、戦後は縦割りで強い中央情報機構がない状態が続く。1984年にはスパイ防止法案が廃案に。冷戦後は防衛省情報本部の創設や内調の格上げ、CTUーJの創設など改革が進んだ。
・大森「湾岸戦争により内調の仕事は変化し、政策のベースとなる情報を官邸に上げるように」
・日本の弱さは分析能力であり簡潔な報告書に落とし込む必要あり -
陰謀論じゃなくてこういう基礎知識を身につけていきたい