- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121504265
作品紹介・あらすじ
国語力とは論理的思考力である。しかし、学校では感性の授業ばかり。一方、進学塾の模試やセンター試験は読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義で弊害が多い。カリスマ教師が、国語教育の大罪を内部から検証し、脚光を浴びる「ふくしま式」メソッドを伝授。革命的な国語教育論。
感想・レビュー・書評
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中々衝撃的なタイトルに惹かれて読んでみました。
『国語力とは論理的思考力である。』
という福嶋氏によるそもそもの前提に、まず驚き腑に落ちました。国語は何を教えているのか?何を教わっているのか?と今まで考えてみた事もなかったので。
英語を学ぶ時には「Grammer」と「Reading」に分けられているのに国語の場合も「文法」と「文学」などに分ければいいというような意見もあり、納得しました。
小説を読んで登場人物の気持ちを考えるというようなものは、「道徳」だと。「国語」ではないと。納得です。
技術さえ教えれば誰でも論理的な文章を書けるようになるらしい。言葉というツールをいかに正確に使うかの技術を習得する。それこそが「国語」。私も子どもの頃に技術を教わりたかったです・・・詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私自身は社会科学の研究に携わっており、20年以上に渡って学生の論文作成の指導を行ってきました。そのため、やや限定的な視点からの感想となります。
私たちの分野での文章の作成に当っては、結局のところ、如何に論理的に筋の通った議論を明快に展開していくかということが要になります。したがって、読者の解釈を問うことが問題になるような文章を書くことはできるだけ避けなければなりません。そのため、本書で「文学的文章を出題してはならない」という点や「型が重要である」という点を強調されていることについては、大いに賛同します。実際、後者に関しては、私自身も学生の指導にあたっては、先ずは典型的な「形式」をしっかりと押さえることを求めています。もちろん、それらを踏まえた上であるならば、型を崩してもかまいませんが、「十分な基礎」があってはじめて可能となることです。
さて、ここで気になるのは、本書自体の文章の型です。ほとんどすべての段落が一つの文章で構成されています。論理的な展開が重要となる文章においては、段落は通常ロジックの段階ごとに構成されるのですが、本書はまったくそのような形式をとっていません。形式の重要性を強調している書物が、形式を全く踏まえていないというのはいったいどういう意図に基づくものなのか(分量を増やすため?などと邪推してしまいます)、不可解極まりないことだと思います。
さらに、著者は、「終わりに」で、本書への批判をあらかじめ封じこもうとしたのか、「本書が批判されるということは、本書の主張が正しいことの証拠である」、すなわち、「本書が批判されるならば、本書の主張が正しい」という趣旨の奇妙な文章を書いています。ここで、この命題の対偶(論理的には同値である)をとれば、「本書の主張が間違っていれば、本書は批判されない」となりますので、如何に非論理的な主張であるかが理解できるというものです。論理的な文章の構成(本書は論理的思考力の重要性も強調しています)に当っては、このような主張を展開すべきではないでしょう。 -
「国語が子どもをダメにする」
国語力とは論理的思考力である。しかし、学校では感性の授業ばかりで進学塾の模試やセンター試験は読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義で弊害が多い。このままでは子どもは危ない。
国語力。それは論理的思考の技術を使いこなす能力である。
端的にいえば、論理的思考力である。
これを身につけさせることこそが国語教育である。
これは常識だ。しかし、現状はその常識を外れている。
まず、その現状を知ることだ。
そして、改革を始めることだ。
著者福嶋氏がこの本を書いた理由は「国語教育の傷口を開き、現状を知るため」です。福嶋氏はこれまで10冊の本を出版してきました。しかし、それらの多くは治療法重視のものとのことです。この本は治療よりも痛みを伴う。それだけ福嶋氏が本気であるということと国語教育が危機に瀕しているということでしょう。
内容は非常に重要なことだと思いますし、親や教師、学生も読むべきだと思います。福嶋氏は教育者ですから、道徳のような授業やみんなで授業を作っていこうといった子供達の自主性を生かすということで教えるという行為を投げた授業をしかも国語の時間に行う教師達に怒っています。
ここで問題なのが、これらの感受性や自主性に任せきった道徳のような国語をやり続け、それが新聞などで理想的な授業として取り上げられ、それについて教育者も親も誰も何も違和感を感じないということ。感受性や自主性を伸ばす授業は道徳の時間にするべきであって、国語の時間でするべきではないはずです。国語は全科目の中で大きな割合(履修時間)を占める教科ですが、小学校や中学校の重要な時期に国語が意味を成していないのは痛いですよね。
また、「進学塾の模試やセンター試験は読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義で弊害が多い」ということも非常に共感出来ます。実際、私は学校のテストやセンターなどではこれらのいわゆる悪問で点数を稼ぎ、論述に繋げてましたから。しかし、結局それらが国語力の向上に繋がっていないと勉強する側もしっくりきません。
これ以外にも福嶋氏の熱のこもった指摘が満載です。新聞やtwitterでの出来事を普通に載せているので、「これは何やら言われないのか?」と心配になってしまいますが、それだけ本気だということだと思います。実際、そのような事例を出してもらえると読者としても考えやすいですし。
読むべきな一冊。 -
国語の成績が悪い受験生の親である。
成績が悪いことで叱ったことはないけれど、本を読まないからダメなんだとずっと思っていた。
国語教育が悪いせいだったのね?
世のテストが悪問だらけだからなのね?
確かに自分自身も子供達も「基礎的言語技術」や「論理的思考力」が身につくような国語の授業を受けてこなかった。
(私のレビューを見れば、そのような力が無いことは一目瞭然。これも劣悪な国語教育のせいにしてしまおう←もちろん半分は皮肉というか逃げ口上)
「家庭で親が丸をつける音読の宿題」「事前指導なく出される読書感想文の宿題」…そうそう、そうだったよなあ。
しかしセンター試験が悪問だとわかったところで、受けなければならない現実。
著者は、こんな親に対して「こういう、『現状ありき』の発想、私は大嫌いだ。」「なぜ、現状自体を変えるという発想をもたないのか。皆、入試合格という小さな目標に支配されすぎている。」(204ページ)とまでおっしゃるが、一小市民には何もできない。
著者の塾や著書を10年前に知っていたらなあ、と思うような目からウロコの内容でとても良かったのだけれど、現実としては何故かむなしさだけが残った。 -
国語教育の考え方がぼくがぼんやりとただただ考えていたことを言語化してもらった印象です。
あんまり国語の授業って好きじゃなかったし、思いいれもないので、この本を参考にしてみようと思っています。 -
おもしろい。気持ちいい。傷口をエグってきてます。協議会でこんなふうに批判できるようになりたい。だから何度も読みたい。
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『ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕』が好評の福嶋さんの新書。
私は福嶋さんの、本書の前半やツイッターで見られるような鋭いツッコミが大好きなので、実際はカットされたという「学び合い批判」をこそ、書籍の形でまとめて読みたかったなーと思っちゃいます。実践問題集はたくさん出てるのだし。
後半はおなじみの「3つの力」の解説と、これからの教育のあり方についてでした。センターの形式を大幅に変えるという案には賛成。あと入試にも教科書にも、評論文のくせに悪文、が採用されまくってる現実は本当に何とかしてほしいです。
※あ、アマゾンでご本人の動画が見られるのね。子ども(多分生徒さん)の声とか車の音とか入ってるw -
塾で国語を指導した経験に照らしながら読みましたが、本書の批判には同意することばかりでした。
冒頭では、一部の国語の授業の酷い実体について触れられています。「生徒と一緒に授業を作ろう」という話は、読んでいて「マジか!?」と驚きました。いや、そんなことやってるから読解力がつかないんだよ、と。
そうでない普通の授業にしても、国語の授業は往々にして個別文章の鑑賞がメインだったように思います。説明文や論説文の解説は文章の分析が主だったので物語文・小説よりはマシでしたが、それでも文章読解のルール(接続語や指示語の働きと使い方)をツールとして教わった記憶はほとんどありません。(私に関して言えば、国語の問題のルールと解き方・考え方を明示的に習ったのは大学受験予備校でした)
あと、個人的にうんうん頷いたのは、本読みの宿題について。私が本読みをサボりまくって、先生や親からババちびるくらい叱られた経験があるということを捨象しても、音読の技術は授業の中で教師が教えるべきであり、それを家庭に丸投げしているのはおかしいと言わざるを得ません。
入試国語の問題点でも、うなずくものが多かったです。
しかし、入試問題はまだマシで、市販の問題集の中には本当に酷い問題があります。授業のために自分で解いてみると、問題集によっては答えようがない問題に行き当たることがあります。そういう問題は解説を読んでみても納得がいかないものが多く(多義的な解釈が可能な文脈で、恣意的な判断によって答えを一つにしているものがほとんどです)、設問・解答・解説に疑義を呈したくなるものばかりでした。
そんな経験があっただけに、「確かにそうだよなぁ」と思いながら読んでいたのですが、本書で「そんなこと聞いても仕方が無い」というタイプの悪問(レベルの低い問い)の指摘があったのには目から鱗でした。言われてみるとそのとおりで、聞いてもしょうが無いレベルの愚問も悪問と言うべきでしょう。
入試から小説をカットしろという提言は大胆にも感じましたが、センター試験の正答率40%の悪問を見せられると説得されました。
著者は、国語で培うべき能力を論理的思考力であるとし、論理的思考力とは関係を整理する力であると定義しています。そして、論理的思考力は、「言いかえる力」(同等関係を整理する力)・「くらべる力」(対比関係を整理する力)・「たどる力」(因果関係を整理する力)の三要素から成り立つものであるとしています。
これは国語力の本質を一番使いやすい形で定義したものだと思います。国語で一体何の力を身につければ良いのか、それがわかりやすくまとまっているからです。そうでなくとも国語って何をやっているのか今イチハッキリしない科目ですから、こういう何を獲得するかが示されているだけで学習効果も全然違ってくるはずです。
国語教育の問題点がコンパクトにまとまっているだけでなく、論理的思考力の本質もわかりやすく示されていて、非常にコストパフォーマンスの高い一冊だと思います。 -
テストが返って来たら
総合点ではなく部分を見ること
当たり前のことだけど大切なことががたくさん書いてある本
国語の授業が道徳化してるというのは本当、納得