- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121507617
作品紹介・あらすじ
「この本は、これから身体を売ったり、嘘をついたり、悪い人に出会ったりするかもしれない、まさにアドレッセンスというものの中を突き進んでいく若いオンナノコたちに向けて書きました。私が私の青春を生き抜くために貪った本の中から、特に印象的なものを選び、私が付箋を貼っていたような痺れる一文をなるべくたくさん紹介しています。母がさりげなくそうしてくれたように、若さを持て余した誰かの本棚に忍び込ませることができたらいい。それがどこか何かのタイミングで、新しい読書に繋がったらもっといいし、朝まで生き延びる暇つぶしになったらいいし、暗い夜を逞しく歩いていくオンナノコたちにとって、浮き具になったり電灯になったり地図になったりすることもあるかもしれない、そんな風に思っています」
(「はじめに 時に夜があまりに暗く、字を照らす光がなくても」本文より)
感想・レビュー・書評
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筆者は元AV女優で、慶應卒、東大院卒、そして日経の記者という、一見異色の経歴を持つ作家さん。人と自分を比べて卑屈になるのではなく、特殊な経歴をもてはやされても決して思い上がらず、相手を尊重しつつ自分にも自信を持つ。ごく普通で何の変哲もない人生を送った人に対しても敬意を払う、そんな筆者のサッパリとしたスタンスが心地良い。
そして、語彙力の豊かさは人としての魅力に比例するものだと思う。自分だけにしか経験出来ない物事とボンヤリとした感覚や想いを、その場その場で言葉にして記録する。刹那的な快楽の瞬間も、苦しく惨めな日々も含めて、生々しい現場と感覚を鮮明に残しておく。その繰り返しにより、言葉の一つ一つが血肉となって残り、自分の人生が厚みを持ち、後々になって生きてくるのだろう。
意外にも、AV業界では読書家が沢山いるという記述が興味深い。筆者のその方々に出会い、影響を受けているわけである。心身共にハードな仕事をこなす中で、文学によって自分を保っていたとも予測できる。けれども、日本の古典名作(源氏物語はじめ平安文学)に、色恋や逢瀬シーンが多かったことを考えると、古来から感性豊かな人達がその経験を言葉で記録していたという事実に納得がいく。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『娼婦の本棚』というタイトルが好き。
鈴木涼美さんは、さんざん夜遊びを繰り返す不良娘だったそうだが、その時にも傍らには本があった。
読書の習慣がある、あるいはすぐに本が手に取れる家庭環境で育ってきているというのは、やはり後々まで影響を及ぼすのだとお墨付きをもらったような気持ち。
私も、痺れる一文と出会うために今も本を読み続けている。
そうして手に入れた言葉は、ナイフやフォークのように世界を咀嚼するための道具になる。 -
著者の鈴木涼美は、慶応大学在学中にAV女優としてデビュー。その後、東大大学院に進み、日本経済新聞社に入社して新聞記者となるという異色の経歴を持つ。2016年に亡くなった母は児童文学研究家で翻訳家の灰島かり、父の鈴木晶は翻訳家で法政大学教授、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』の訳者でもある。
「アドレッセンスというものの中を突き進んでいく若いオンナノコたちに向けて書いた」と著者が書くように、若いオンナノコが向き合うことになる性の問題について、身体の商品化の眼差しと意識化という観点を軸として、著者ならではの言葉を重ねている。
【概要】
『娼婦の本棚』では、以下の20冊の本が紹介されている。自らの経験と意見を絡めたその文章は書評として、とても整っている。そして、著者の経験がその言葉を特異で説得力のあるものにしている。
ひとまず、それぞれの名著をネタに語られる内容を一行にして、20冊を紹介してみる。
■ 『不思議の国のアリス』 ルイス・キャロル
・女の子だからこそ得られる意味からの自由の素晴らしさと脆さについて
■ 『”少女神” 第9号』 フランチェスカ・リア・ブロック
・青春の不安定さと見えなかったオトナの弱さについて
■ 『悲しみよこんにちは』 サガン
・聖母と娼婦の両極性と相補性。相反しながらも両立する価値と魅力について
■ 『いつだってティータイム』 鈴木いづみ
・「制服」が持っていた魔法のレッテルと束縛について
■ 『pink』 岡崎京子
・お金をもらって誰かと寝るという経験から見えることについて
■ 『性的唯幻論序説 改訂版』 岸田秀
・男女のワカラナサを壊れた本能を補うわれわれの幻想で説明することについて
■ 『蝶々の纏足』 山田詠美
・身体の商品化と眼差しが自らの中に生む卑屈さや軽蔑について
■ 『わが悲しき娼婦たちの思い出』 ガルシア=マルケス
・身体と引き換えにお金を払うことによる罪悪感の消去と関係の非対称性について
■ 『大胯びらき』 ジャン・コクトー
・少年期と青年期の乖離と一方での女性の身体性の言語化について
■ 『遊女の対話』 ルーキアーノス
・夜の街のお金の論理と倫理について
■ 『ぼくんち』 西原理恵子
・ドストエフスキーの『白痴』とおねえさんの崇高性について
■ 『大貧帳』 内田百閒
・幸福と不幸と心の許容度について
■ 『シズコさん』 佐野洋子
・母と娘の支配関係と赦しについて
■ 『夜になっても遊びつづけろ』 金井美恵子
・早逝するセックスシンボルたちの運命とオトナとなって生き延びることについて
■ 『私家版 日本語文法』 井上ひさし
・言葉について自覚的になることと、そして言葉を整えることについて
■ 『モダンガール論』 斎藤美奈子
・「女性」の歴史、性差別の根深さと階級差別との区別について
■ 『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』 鷲田清一
・制服という制度による属性付与と、制度からの逸脱と縛りについて
■ 『桃尻娘』 橋本治
・意味のない言葉の渇望と必然性について
■ 『モモ』 ミヒャエル・エンデ
・「時間」というもの「経験」というものについて
■ 『風の谷のナウシカ』
・腐海と風俗街との相似性、善悪二元論の否定について
【所感】
紹介された20冊の本は、かなり有名な本が多く、著者や本の名前は知っているというものが多かったが、なぜか読んでいない本ばかりだった。例えば、『不思議の国のアリス』や『悲しみよこんにちは』、『モモ』といった本読みの中ではほぼ必読本クラスなのになぜか読んでない。また、山田詠美や金井恵美子は、著作は手に取ったものの、あまり他に食指が動かず、ここで挙げられた本は読んでいない。その著作はほとんど読んでいる岸田秀の『性的唯幻論序説』は、内田春菊さんが表紙の装丁を担当された改訂版の方は読んでなかったりした。
「アドレッセンスというものの中を突き進んでいく若いオンナノコたちに向けて書いた」という著者の選書の意図が当たって、オジサンである自分には刺さっていなかったということはあるだろう。つまりは、読む本を選ぶときに図らずも性差のバイアスがかかっていることの証拠なのかもしれない。自己の一部が読んだ本によって形成されるのであれば、今の自分がバイアスがかかったものであることを自覚する必要があると改めて感じ入った。
また、通底するテーマでもある身体の商品化に関して、男性である自分は、少なくとも同じ意味では自身の身体の商品化について意識することはなかった。もちろん、女性でもこれまで自身の身体を商品として見ることはなかったという人は多いとは思う。しかし、実際に金銭と引き換えに売るということを行為を具体的に想定しなかったとしても、商品化の可能性を自覚し、比較の眼差しに暗黙的にでも晒されるということだけでも世界をどう認識するのかという影響は出てくるのだろうと思う。そういう普段考えたこともないことを考えさせる本だった。 -
7月20日に発表される今年の芥川賞
90年近い歴史で初めて、
全ての候補作が女性作家の作品となりました。
私にとっては、いままで古市くん以外はここで初めて知る作家だったのですが、鈴木涼美さんエッセイ二冊、上野千鶴子さんとの往復書簡も読みました。
お父様鈴木晶さんの『バレエへの招待』も読んでいます。
4月に書籍化されたこの本、娼婦っていうのはもちろん涼美さんですが、わざわざ横に作家と書いてあるのは、いよいよ彼女が作家として真剣に歩んでいこうという表れでしょうか。
20冊の本の中で私が読んだことあるのは佐野洋子さん『シズコさん』だけ。
自分の母が毒親だと気づいて、ちょうどブームでもあり
その手の本を読みまくっていた頃です。
〈私は10代20代の一時期、自分の母親ほど卑劣な人間なんていないんじゃないかと感じていたことがあります。何の知識もない赤ん坊の頃から近くにいる娘の前で、油断した母親たちは自分の心を許し、世間や社会にはみせない自分の矛盾した部分をさらけ出すから、よその女性たちに比べて自分の母というのがいかに矛盾してズルくてだらしない存在か、娘は目の当たりにするし、幼少期にはそのような見極めができなくとも、幼少期の記憶を後から辿って、母を軽蔑するというのは多くの女たちがたどる道です〉
〈私も大人になって、母とうまくいかない娘たちを多く知りました。良くも悪くも自分だけが特別だと思わないで済むのは大人の特権ですが、それでも、自分の才能やコンプレックスが凡庸なものであると受け入れるのと同じようには、母との関係は整理してしまえるものではありません〉
〈私はそんな母の矛盾を身近に観察して育ち、母の価値観を否定したくて身体を安値で売り飛ばし、男の金で贅沢するようになりました。初めて性をお金に換えた時、母に復讐したような気持ちの高揚があったのを覚えています〉
また、最後の『風の谷のナウシカ』でも彼女の心の深い部分が理解できたので読んで良かったです。
慶応大東大大学院と高学歴スーパーお嬢様で夜の仕事やAV女優を経験された涼美さん。
ぜひ彼女に芥川賞作家になってほしい。
(余談ですが、先日茨城で遺体となって発見された23歳の女性、
彼女も似たような思いだったのかなと思った。
涼美さん、無事にここまでこれて良かった) -
辛くて苦しいとき、何度も助けられた本です。
今まで知らなかった素敵な作品にも出会うことができました。
「私の身を世界に繋ぎ止めてくれたものがあったとしたら、本に挟まれた付箋の横に刻まれた言葉なのだと思います。」
「自分に見えている世界が必ずしも絶対的なものではないという予感は本が育ててくれた気がするのです。」
「紙に印刷された大量の文字をひらすら追って、痺れる一文に出会うことこそ、本を読む醍醐味でした。痺れる一文が一行でもあれば、登場人物が好きになれなくても、展開がスリリングでなくとも、結末が予想通りでも、全く難解でよくわからなくても、私はその本を読んだ甲斐があったと感じます。それはきっと私が、自分の言葉の不足を補うように本を読み出したことと関係しているように思います。」 -
※まだ読み途中
圧倒的に強いジャケットに惹かれて読んでみる。
中央公論.jpで約1年間連載された内容の総集編。改題前は『夜を生き抜く言葉たち』、書籍化にあたりタイトルが攻めたものに変わっていることがわかる。これはおそらく正解だと感じる。
元AV女優という生き方が色濃く反映された内容ではあるが、慶應大学や東京大学大学院、その後に日経新聞に勤めるという素養の良さと文章に長けた能力の持ち主であることもわかる。
タイトルの通り、幼き頃から読書を通して育った著者の、その時々で思い入れのある本を紹介する内容である。前述したかなり変わった経歴、嗜好により、かなりの珍しい(?)作品が多く取り扱われていた。夜に関することや、身体のこと、時にはエロに近い内容で、著者の持ち味がかなり発揮されていて面白い。
ちなみに、本書は『アドレッセンスというものの中を突き進む若いオンナノコたちに向けて書いた』とされているのでわたしは対象読者ではないのかもしれないが、それでも手にとって良かったと感じる。
その理由としては、文章能力かと思う。面白く魅力的な読書感想文はこういうものか、という観点で読んでました。内容も相まって、かなり惹き込まれることは間違い無いです。
読書感想に自己の体験をこのように埋めるのかと感嘆していました。しかも、紹介されている本について読んだことがなくタイトルも聞いたことがない物が多数だったが、なるほどそういう話なのかと少しながらでもわかった気になっていた。一冊あたりの本の紹介が長すぎず短すぎないのもよく、この人が何に興味を持ち何に関心があったのか、どういう成長過程だったのかわかるのも良かった。また、紹介される本も、自己啓発本やビジネス本の類ではなく、物語やエッセイ集など肩肘張らないもので構成されていたのも良かった。 -
この本を読んだ理由は、単純にファンである鈴木涼美さんのバックボーンがどのような本によって形成されたのか気になったから。
鈴木涼美さんの文体、語彙力、表現力が大好きで、その文章力には毎回感服させられる。
なんなら文章を浴びるためだけに読んでいる時すらある 笑。
この本では自身の体験をもとに、その当時影響を受けた本との出会いや解説などを流れるような文体と核心を突いた持論を交えながら展開されていく。
筆者も述べているように、これは社会に出てどんな道にも進めるようになる20歳までの女性が読むと大変参考になるのではないかと思う。
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Twitterのフォロワーさんからのおすすめで読んでみた。
著者も言うように、「私の身を世界に繋ぎ止めてくれたものがあったとしたら、本の挟まれた付箋の横に刻まれた言葉なのだと思います」。この感覚、何となく分かる。私は著者のように夜の世界には生きていなかったし、親や先生が良しとする枠の中で生きてきたけど、それでも心と身体がチグハグになることがあって、その噛み合っていない2つを繋ぎ止めてくれたのが、本だった。
私にとって本はシェルターであり、精神安定剤だった。
「私の場合、紙に印刷された大量の文字をひたすら追って、痺れる一文に出会うことこそ本を読む醍醐味でした」私が活字を追わずにいられない理由はこれなのかもしれない。