- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122015135
感想・レビュー・書評
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瀬戸内をを訪れたときに平山郁夫美術館で買った本。だいぶ前だが暑い夏だった。じつは氏の絵が好きとかは別になかったのだが、縁があって行くことになったもの。平山と修道中学で同級だった恩師のご紹介。
原爆。板橋でのアパートぐらし。仏教。シルクロード。
被爆体験について読むと、あの夏の恩師の言葉を思い出す。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文章が沁みるように入ってくる。
誠実で求道的な日本画家の足跡。 -
(2006.02.18読了)(2006.01.26購入)
副題「わが青春譜」
日本画家、平山郁夫さんの自伝的エッセイです。以前に出版した「悠久の流れの中に」という本を若い人向けに編集しなおしたものです。
●シルクロードとの出会い(37頁)
最初のシルクロードへの旅は、昭和41年のことでした。東京藝術大学オリエント遺跡調査団に参加して、トルコに4ヶ月滞在したのです。この旅によって私は、シルクロードとの出会いを初めて体験したといってよいでしょう。以来私は、スケッチブックを片手に毎年のようにシルクロードの国々へ出かけて行きました。訪れた地も広大なユーラシア大陸の全域に及ぶほどの広がりを持つことになりました。
昭和43年7月には、初めて本格的なシルクロード取材旅行が実現しました。ソ連、中央アジア、アフガニスタン、ガンダーラ地方のパキスタンなどを駆け回ったこの写生旅行で、私は決定的にシルクロードにのめり込んだといえるでしょう。
●被爆体験(47頁)
昭和20年8月6日、私は学徒動員の一員として広島市にあった陸軍兵器補給廠にいました。暑い日でした。まだ午前8時過ぎだというのに、もうじっとり汗が吹き出ます。強い日射しに、思わず空を見上げると、西の空に、一本の飛行機雲が、ちょうど広島の上空にさしかかろうとしているところでした。B29の編隊のようです。
見る間に、三つの白い落下傘が、次々に空に浮かびました。それぞれ黒い物体をぶら下げているようです。「おい、みんな!変なものが落ちてくるぞ」そういって小屋に飛び込んだ瞬間「バシッ!」と辺りが白く輝いたかと思うと、一瞬目がくらみました。続いて、ガーンと言う轟が耳をつんざきました。
兵器補給廠の本部に戻る道々、それはすさまじい光景でした。煙の中で行き交う人々は、みんな血だらけ、中には手が千切れたり、両手を失っている人もいます。それでも必死に立ち上がろうともがいています。何か叫んでいるようですが、私には何も聞こえません。眼球が飛び出して、だらりと頬に垂れ下がっている人にもたくさん会いました。相した惨状の中を、私は走り続けました。
●画家になる(69頁)
中学の4年になったばかりの頃、大伯父が「郁夫、お前、美校を受けてくれないか。一度でいいから受験してくれ」と言い出しました。大伯父、清水南山は、東京美術学校の日本画科で学んでいた頃、同級生に菱田春草がいたために「こんなに絵のうまいやつがいたんじゃたまらない」と思い、自ら絵筆を折り、彫金に転じた。自分の果たせなかった夢を、私に託そうと思い立ったのでしょう。
●画家に必要なもの・大伯父の考え(73頁)
「お前を絵がうまいだけの画家にはしたくない。ただ絵がうまいだけでは、お前よりうまいやつはいくらでもいる。たとえ技術はまずくても、自分の世界を持てるようにならなければいかんのだ。そのためには教養が肝心だ。高い教養を養ってこそ、画家としての道も開けるものなんだ。」
●妻との出会い(81頁)
私の妻となった松山美知子に初めて会ったのは、昭和22年、私が東京美術学校予科に入学した時です。同じ日本画科に、彼女も新入生として入ってきたのです。彼女は、戦時中既に女子美術学校に学び、改めて東京美術学校に入ってきた経歴の持ち主です。年齢も21歳、16歳の田舎者の私には、まさに畏敬の対象でした。
卒業後、私と彼女は前田青邨先生の教室で、共に副手として残ることになりました。ちなみに、首席で卒業したのは彼女でした。結婚したのは、昭和30年5月のことでした。
結婚は昭和30年ですが、実は昭和28年に私たちは婚約し、29年に、アメリカ留学の話が舞い込んでいました。彼女は大喜びだったのですが、自分一人でアメリカに行く決心もつかず、断念せざるを得なかったのです。
「一緒に仕事をしていれば、将来必ずどちらかが足を引っ張ることになります。あなたは絵をやめなさい」と、仲人を引き受けてくださった前田青邨先生から言われ、彼女は絵筆を折ることになりました。
●原爆症(89頁)
昭和34年、私は東京芸大で助手をしていましたが、その頃、肉体的に非常に弱っていました。数年前からいよいよ原爆症らしい兆候が現われ、にわかに悪化していったのです。医師の診断では、白血球が極度に減少し、通常の半分以下になっているということでした。そのため、貧血状態が断続的に続いていました。
●自殺(115頁)
芸術を志すものにとって、世界は物質ばかりではありません。物質を超えるもの、精神を昇華させるもの、それをつかまなければ芸術といえないわけです。それだけに、自分の肉体を滅ぼすことが、他の人より魅惑となるのかもしれません。
しかし、若くして死んで何になるというのでしょう。絵の行き詰まりが苦しい事は十分に分かります。しかし死ぬほどの事はないはずです。生きていてこそ新しい道も拓けるはずなのに、何故あえて死を選ぶのでしょう。
●シリア(171頁)
私の印象では、シリアはアラブ諸国の中で最も民度の高い国でした。また、国際的な視野と感覚を持った人がたくさんいて、さすがにかつて栄華を誇ったセレウコス朝の末裔だと思ったものでした。(1977年2月12日から展覧会を開催しました。)
●関連図書
「私たちのシルクロード」平山美知子著、実業之日本社、1977.06.10
「アレキサンダーの道」井上靖・平山郁夫著、文春文庫、1986.12.10
画家 平山 郁夫
1930年 広島県生まれ
1952年 東京美術学校日本画科卒業
1961年 「入涅槃幻想」で日本美術院賞・大観賞受賞
(「BOOK」データベースより)amazon
広島での被爆、迷いと苦闘、仏教画への第一歩とシルクロードへのはるかな旅立ち、自らの半生の軌跡をたどりながら、「仏教伝来」以来の壮大な画業の内面のドラマをしるす感動の自伝。