- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122016460
作品紹介・あらすじ
1930年代、王制を倒して成立したスペイン第2共和国は、独伊の支援を受けたフランコ軍との2年半にわたる戦いののち、ついえ去った。二つの大戦間に起こった悲劇を歴史的教訓として生き生きと再現する。
感想・レビュー・書評
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(2004.03.26読了)(2003.02.10購入)
副題「ファシズムと人民戦線」
「スペイン戦争」中公新書、1966年5月刊を文庫に入れたもの。
1936年7月から1939年3月まで2年8ヶ月ほどスペイン共和国政府と反政府軍の間で行われた戦闘の有様をたどったもの。スペイン内乱というべきところと思われるのに「戦争」となっているのは、フランコ軍の率いる反政府軍をドイツとイタリアが軍隊を送り込み支援したからという。本の中では、ドイツとイタリアによる宣戦布告なき武力介入という表現を使っている。
共和国政府の敗北で戦争は終結し、1975年までフランコの政府は続くことになる。共和国政府敗北の原因は、労働者、共産党、社会党、アナーキストの内部対立と、イギリス、フランスの不干渉政策ということになるのでしょうか?
共和国政府側を支援するために多くの労働者、知識人等が国際義勇隊という形で参戦したというのもかなり異例な出来事であった。参加したイギリスのジョージ・オーウェルは「カタロニア讃歌」(筑摩叢書、1970年)を著している。
1931年4月12日 地方議会選挙、共和派の勝利。14日国王アルフォンソ13世亡命。
1931年6月28日 憲法制定議会議員選出の総選挙
1931年12月9日 新憲法完成
主権在民、戦争の放棄、国家と教会の分離、貴族の廃止、23歳以上の男女普通選挙権、一院制国会、カタルニアの自治を規定。
国家と教会の分離が特に論争を引き起こしたとのこと。司祭の政府からの俸給の停止、教育の協会からの分離、離婚を禁じるカトリック教会の教義に対抗して作られた離婚法といったところが問題になったということです。
共和行動党のアサーニャが首相になり組閣。
軍隊の改革。将校と兵士の削減。学校建設。
農地改革については、大土地所有の否定までにはいたらなかった。
1933年11月 総選挙で右翼(CEDA)が勝利。
1936年2月 総選挙で人民戦線勝利。
1936年7月 スペイン戦争開始。
正規軍が反乱を起こし、労働者がそれに立ち向かうということになった。
ドイツとイタリアが反乱軍を支援し、ソ連が政府を援助するという構図になった。フランスとイギリスは不干渉を決めた。
1937年4月 バスクの小さな町ゲルニカがドイツ軍の空爆を受け1654人死亡。
1939年3月 スペイン戦争終結。
人民戦線は、寄り合い所帯で、統一された行動が取れなかった。フランス、イギリスが援助してくれなかった。フランス、イギリスが支援していたら、第二次世界大戦の様相も変わっていたのではないか?
著者 斉藤 孝
1928年 東京生まれ
1953年 東京大学文学部西洋史学科卒業
ベルリン自由大学留学
学習院大学法学部教授
☆関連図書(既読)
「スペイン現代史」若松隆著、岩波新書、1992.03.19
「プラドで見た夢」神吉敬三著、中公文庫、2002.02.25
(「BOOK」データベースより)amazon
1930年代、王制を倒して成立したスペイン第2共和国は、独伊の支援を受けたフランコ軍との2年半にわたる戦いののち、ついえ去った。二つの大戦間に起こった悲劇を歴史的教訓として生き生きと再現する。詳細をみるコメント0件をすべて表示