虚人たち (中公文庫 つ 6-21)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122030596

感想・レビュー・書評

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  • この人は、人を驚かせない小説を書くことはないのだろうか。そんな感じの筒井康隆三冊目。作品まるごとが、「小説」のパスティーシュ。自らを小説内人物であると自覚した主人公が既定の役割に沿うべく進めていく小説的筋書き。何もかもが普通じゃない。

  •  「今のところまだなんでもない彼は何もしていない。」で始まる筒井氏の泉鏡花賞受賞作。短く言えば、小説の主人公であることを意識した彼(主人公)が、同時に誘拐された妻と娘を探す物語である。しかしこの作品は、そのように短く言ってしまえるものではない。私はこの作品をフジテレビの深夜番組「お厚いのがお好き?」ではじめて知り、その後氏の代表作「文学部唯野教授」(1990年)とあわせて読んだのだが、文学的に奥の深い作品であることは間違いない。といっても、私は一介の法学部生であり、文学や文芸批評のことははっきり言ってほとんどわからない。まったく恥ずかしいことである。
     そんなわけで、「お厚いのがお好き?」の受け売りになってしまうが、この作品は、かつてないほどに文学的な実験を試みた氏の意欲作なのである。まず、主人公が小説の主人公であることを意識していること。加えてその他の登場人物も皆それぞれがそれぞれの物語の主人公なのである。登場人物は皆、個性のオーラを発して、自らが主人公たろうとしているのである。また、小説に登場する主人公以外の事物は、主人公が認識したときに始めて存在するようになっている。このあたりの事情は読んでいただければすぐにおわかりいただけると思う。
     さらに主人公の意識がそのまま文面に反映されているのも実験のひとつである。つまり、主人公が寝ぼけているときは、文章も支離滅裂になり、完全に寝てしまうところでは白紙が数ページにわたって続くのである。8文字分空欄があるところは、「8秒間ほど意識が飛んでいたようだ」などと主人公が言うのだから面白い。さらに、時間の省略を一切しないという方針の下、主人公の意識が常に描写されるために、車に乗って誘拐された妻を捜しに行く場面では、いちいち車から見える景色や、ラジオからながれる漫才が描写される。ここで面白いのは、主人公自身が、そのような描写がなければ小説に時間の短縮が生じてしまうことを意識していることである。さらに、それらの描写が主人公自身のなんらかの心理状態を表すものとして、または物語上何らかの伏線となるものとして、作家により意図的に描写されている可能性があるということ、をも主人公は意識しているのである。
     極めつけは、自分の妻と娘が同時に、しかも何ら無関係な別々の犯人により、別々の場所へ誘拐されるという設定である。いままでの小説が如何に小説のきまりごとに縛られていたかを省みて、絶対にありえないような設定を試みたのである。主人公は自分の息子に二人の救出を手伝うよう依頼するが、結局息子は自らが主人公であるところの学園生活の事件の方が重大であるという判断を下し、主人公の前から姿を消す。
     最後に主人公は、自分は小説の中にいるのだから時間も空間も越えて同時にさまざまな場所に存在できるのだということに気づき、二人の救出に乗り出すのだが…。結末は実際に読んでいただきたい。「、」が少なく、段落分けも章分けもないため、私にとってはひどく読みづらかったが、文学好きの方には大して苦にはならないだろう。是非氏の実験を堪能していただきたい。

     それにしても、登場人物が皆個性のオーラを発して、自らが主人公たろうとしている様は現実世界そのものだと言えるし、認識しなければ存在しない、という哲学上のひとつの大きな命題をとりこんでいるところはさすがである。こういったところから、この作品と筒井氏が、現実とかけ離れた虚構であるはずの小説が如何に現実に肉薄し現実世界の本質を考えさせるものであるか、を示してくれる優れた作品・稀有な才能の作家、であることが覗える。

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著者プロフィール

小説家

「2017年 『現代作家アーカイヴ2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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