風塵抄 2 (中公文庫 し 6-56)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (329ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122035706

感想・レビュー・書評

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  • ▼司馬遼太郎さんが産経新聞に逝去直前まで掲載していた、まあ、言ってみれば時事エッセイ。その二巻で、これがおしまいになります。

    ▼司馬さんの亡くなる直前って、「阪神淡路大震災」と「オウム事件」だったんですね。それらへの意見が多い。

    ▼あと、時事とはあまり近くない、随筆的なものも多いです。印象に残ったのは、「兵隊同窓会」の話です。司馬さんは戦車部隊の即席下士官として満州をさまよった挙句に本土で終戦を迎えたんですが、その部隊の「同窓会」が長年行われていて、それにはほぼ欠かさず出ていた、という。

    ▼司馬さんと言えばとにかく昭和の陸軍が、平たく言えば大嫌い。なんですが、それはそれ、これはこれ、死線を共にした仲間たちとの人間的な縁は、慈しんでおられたようです。後世の物知らずからすると、一瞬矛盾のように見えて、じわじわと人間臭い体温が感じられる話だなあ、と思いました。

  • 司馬遼太郎氏(1923-1996)が、現代社会を鋭く風刺した『風塵抄』の最終章。 産経新聞に連載開始(1986年5月)当初からの担当記者だった<福島靖夫>サンの手記〝司馬遼太郎氏死去にあたり〟が巻末に掲載されている。 連載最後の原稿となった「日本に明日をつくるために」は、司馬氏逝去の4日前に届けられた・・・「この原稿を書き終わったあと、解熱剤のおかげではありますが、平熱に戻ってしまいました。司馬生」が、最後の〝手紙〟となった・・・。 「島の物語」「悪魔」「〝オウム〟の器具ども」が印象深い。

  • 司馬氏最後のエッセイ。絶筆までの流れを読んでみて、急にぽっくり逝ってしまったんだということがわかった。
    街道をゆくの最終回で、北関東を考えていた、事実には考えさせられる。
    その場所をずっと思っていても、行かないとはとても粋なことなのかもしれない。自分にはそういう場があるのだろうか。
    そして、本棚に眠っているオウム本へと続く私であった笑

  •  日本の恥の文化とはどういうものなのか、三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の借金証文には「いついつに返済すると書き、もしこのことに違えれば、お笑いください、とあるのみ」貸したのは旧大名家なのだが、もし、高額な借金ならば両者の気迫が伝わる。岩崎弥太郎、笑われたら腹も切りかねないよね

  • 産経新聞に昭和61年から連載されていた随筆。氏が亡くなるまで連載されていた。
    二巻もとても読みやすい随筆である。
    新聞に連載されていた随筆なので、時事ネタも多い。このことを考えると当時新聞で読んでいたら、もっと新鮮であったろうことが残念だ。

  • 司馬さんもう死んでるんだもんなあ。生きていたら今の時代のこと何と言っていたかな。

  • 司馬遼太郎の平成3年~平成8年にかけて産経新聞に連載されたエッセー。阪神淡路大震災やオウム事件を題材にしたものもあり、当時を思い出す。

  • 司馬遼太郎が産経新聞で月1回持っていたコラムを集めたもの。風塵抄の1冊目は元気な日本だったが、2冊目は経済がおかしくなり、政治と社会の綻びが見え始めたことが絵が帰れている。1995年は阪神大震災とオウム事件が取り上げられていた。最終回は1996年2月の亡くなった当日に掲載されたものだった。最後まで日本のことが気がかりだったことが分かる。感謝。

  • 読みかけ

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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